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活字から

小説の類がまったく読めない時期があった。

時代設定があり舞台となる街があり、展開していく物語に、どうしても入っていけなかった。
主人公やらの心情の機微、人生の変遷など正直なところどうでもよかった。現実の世界において、常に私の周りの人は叫び泣き怒り嫉妬していた。本の中でまで人間のやりとりに一喜一憂するなどごめんだった。

その頃は実用書ばかりを読んだ。
無縁だった世界に少しは近づいたのだろうか。お金の本と家事の本、いまも脳内に残っているのはそれくらいだ。情報として古くなっているかといえば、そうでもない。何事も基礎とは、そういうものなのかも知れない。


手に取る本が少し変わったのは、西遊記を読んだ頃だ。
悠久の、神仙世界の、孫悟空の物語。来る日も来る日も妖との闘いが続く。時に蓮花の安らぎがある。やんちゃでわがままで、かわいい小さなお猿に、すっかり感情移入した。
中国という国は、時にしびれるようなロマンを内に抱く。歴史の厚みなのだろうか。


リチャード・パワーズのオーバーストーリーを読んだのは今年初めだが、その中にもそんなことを思わせるくだりがあった。

成人した娘に、父は先祖から伝わる絵巻と指輪を見せる。絵巻には羅漢が描かれていて、何かを語りかけてくる。時は文化大革命のころ。父から託された翡翠の指環を、娘は月餅に隠して海を渡る。絵巻は皮蛋の下に。
熾烈な時代背景が、ふつうの人間の日々を輝かせる。


そう、今は小説も読む。
身の周りの現実が、穏やかになったから、なのだろうか。
生きている時に、その時代が厳しいものか否かの判断などできない。ボッカッチョのデカメロンも、カミュのペストも、ル・クレジオの隔離の島も、背後に伝染病がある。生まれた文学を、われわれはただ享受する。


オーバーストーリーの翡翠の指輪には、木の姿が彫られている。とうに読み終えた今も、その枝ぶりが見える。活字から無限に拡がる眺めよ。




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