見出し画像

エッセイ | 日常を宿す

家にいる時、電車で移動している時、待ち合わせ場所で人を待つ時に本を読んでしまう。以前まではSNSを見ている時間が多かったが最近はもっぱら読書になった。もちろん毎日SNSを見ているが、無駄に見ている時間は減っただろう。

8月は3冊の本を読んだ。まあ、そこまで多いというわけではないのだが、ひと月に1冊も読まないことだってあるのに3冊も読んでいると考えると多いのだ。

なぜこんなにも読書をしていることが増えたのかと理由を考えたが、なかなか思い当たらない。「積読を解消したい」という理由は一つあるかもしれないが、自ら進んで読んでいる本もある。


私が今月に読んだ本は全て伊坂幸太郎作品だ。「アイネクライネナハトムジーク」、「逆ソクラテス」、「キャプテンサンダーボルト」。

アイネクライネナハトムジークとキャプテンサンダーボルトは積読をしていた本だが、逆ソクラテスは人から借りる機会があって読んだ。

毎日少しずつ読む日もあれば、1日で一気に読み進めることもしていて、なんだか高校生の頃を思い出した。

私が高校生の頃はとにかく本を読んでいた。授業中も読書に精を出していたほどだ。少しだけ早めに進学先が決まっていた私は、勝手に授業へ見切りをつけてコソコソと読書をしていた。

教卓に立つ教師からはバレていたと思うのだが、恐らく目をつむってもらえたのだろう。

私が高校生の頃に出版されていた全ての伊坂小説は読んでいたため、その頃はさまざまな作家の小説を読んでいたと思う。読んでいたのは小説だけだった。


最近は小説以外も読みたいと思うことが増えた。読みたいと考えているのは純文学とエッセイだ。純文学はなかなかとっかかりにくいと思ってしまい、全然手が出せていない状況だ。

エッセイについては自分が毎日「エッセイ」を書くようになったため、世間でいう「エッセイ」とはどのようなものかを知りたいがために読みたいと考えている。

「エッセイは定義が曖昧だから、なにを書いてもなんとかなるだろう」と簡単に考えていたのだが、最近になって少し気になり始めてきた。

では誰のエッセイを読むのがいいのだろうかと考えて調べては見たものの、エッセイの正体を把握できていないためにどれも手を出す勇気がない。

いろいろと悩んだ末に伊坂幸太郎のエッセイを読むことにした。やはり慣れ親しんだものを頼りにするのがいい。信頼と習慣だ。


読んでいるエッセイは1話完結で進むからよい。予備知識も必要とせず楽しめるし、文章の量が多くないのも助かる。

「目的の駅まであと1駅」や「あと3分、時間をつぶしたい」という時にも読み切ることができる。

たった数ページに何気ない日常が宿っていることに温かみを感じる。

エッセイを読み切ったら次は純文学も読んでみようかな。



こちらもどうぞ


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?