京都の石屋【ISHIMO】 / 七代目 茂右衛門

東から西の京へ。“イジュー”し、早26年。 双六のように迷い廻って、気づけば緑寿。 この町で暮らし、感じ、染みたこと、色々。綴ります。ボチボチと(石屋だけに) https://kyoto-ishiya.jp/

京都の石屋【ISHIMO】 / 七代目 茂右衛門

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    • 京から旅へ / インド編

      各宗派のお寺さんと一緒に、お釈迦様の四大聖地(ルンビニ、ブッダガヤ、サルナート、クシナガル)を巡る旅。仏陀の生涯とインド事情もわかる体験ルポ。

    • 昭和をカタルシス

      昭和をカタルシス。昭和31年(1956年3月3日)〜昭和64年(1989年1月7日)まで約33年間。昭和を歩いた記憶の断片‥セピア写真の断片を、繋ぎ留める。

    • 京から旅へ

      四国遍路、熊野詣、伊勢式年遷宮、そしてインド。 仏跡巡礼、神も仏もまぜこぜの、旅の体験記。 京都を離れ思う、神への路、仏への道。

    • 京のヨモヤマ

      東京から京都に移住した“エセ京都人”の見るまま、気ままの「京都伝説」。プチ・ガイドブック。外から見るのと大違い。って、アルアル。ですね。

    • 京都ディテール

      古都の町並みから都市へと、移りゆく京都の中で、変わらぬ“京都らしさ”探し、自転車のって西、東。京都のディテールを拾い集めた、ミニミニ写真集。

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    京から旅へ/インド仏跡巡礼(37)/サルナート②サルナート遺跡公園

    サルナート遺跡公園は、緑が豊かな美しい場所である。 一万六千坪の広い公園の周囲には高木が茂り、地面は芝が敷かれ、 掃除の行き届いた園内には、数多くの遺跡群が遺されている。 サルナートは、釈尊(ブッダ)が五人の修行僧に初めて教えを説いた “初転法輪の地”であり、仏教の教団化が始まった場所でもある。 その後は、仏教の教育センターとして長い歴史を刻み、幾度も 他民族の強奪や破壊にあったが、その都度、復興をとげている。 だが最後は、1206年にデリーでイスラム王朝を開いた奴隷

      • 京から旅へ/インド仏跡巡礼(36)サルナート①初転法輪の地

        サルナートは“初転法輪の地”で有名な仏教四大聖地の一つである。 初転法輪(しょてんほうりん)とは、釈尊(ブッダ)がブッダガヤで 悟った後に、初めて人に法(教え)の輪を、転じ(伝え)た事を云う。 法輪は古代インドで使われた手裏剣ような武器。その破壊力の如く、 仏の法(教え)が、人々の迷いや悩みを打ち破ると云う、喩のようだ。 法輪の形は、釈尊(ブッダ)の教えを八方向に広めるとの意味合い から車輪のように描かれているが、インドで仏像が作られる以前は、 仏足石や蓮華と同じく、釈

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        • 京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(35)聖地ベナレス④/「聖なる河」ガンガー

          ガンガーとは、ガンジス河を神格化した。 女神の名前である。ガンガーの神話は長く、省略するが、今でもガンガーは「聖なる河」として、ヒンドゥ―教徒の信仰の対象となり、生きているのである。 例えば、“沐浴は全ての罪業を浄化し消滅させ、功徳を増す”と信じられ、より良い「生」を生きる為に、ヒンドゥ―教徒は一日の始まりに、寺院の前の川や貯水池で沐浴を行う。 中でも、聖地ベナレスの沐浴は、最も功徳が大きいとされている。その為、生涯に一度は、聖地ベナレスを訪れ、ガンガーの「聖なる」水で沐浴

          • 京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(34)聖地ベナレス③/ガトーの夜明け

            ベナレスの朝は早い。朝5時、まだ空は暗く、ゾクっと、冷たい。 私は、聖なるガンガーで毎日、夜明けに行われる沐浴を観る為、ホテルを出て、生あくびを噛みしめながら、バスへ乗った。 沐浴ツアーは人気があり、年間100万人の観光客が来ると云う。 バスは15分ほど走り、ガトーへ進む道路脇で停まり、降りた。 ここにきて、長旅の疲れがでたのか、目覚めが悪く、足取りも重い。 ベナレスは、長い歴史の中で幾度も、戦火にまみれ、様々な王朝に支配されながら、破戒と再生を繰り返してきた、聖地である

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            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(33) 聖地ベナレス②バラモンと仏教

            ベナレスは、Varanasiと書き、実際はワーラーナシーと呼ぶ。ベナレスは、英国が植民地時代に誤訳した呼び名だが、今でも日本の旅行社のパンフやネットの記入に、多く使われている。なので、ここでは、ベナレスの地名で話を進めたい。 ベナレスは「聖地」として、3000年以上の歴史を有している。 当時のインドはバラモン教が、強い影響力をもっていた時代だ。バラモンとは司祭階級を指すが、バラモン教は、紀元前1500年頃から、インドを侵略し始めたアーリア人が、先住民を支配する中で創出した宗

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            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(32) ベナレスへ①

            ブッダガヤから、聖地ベナレスへは、約250km。スジャータの村を午後1時半に出発して、ベナレスのホテルには夜8時40分に到着。 約7時間10分、バスの走行時間である。長距離だが、初めのような悪路はなく、割と楽な移動であった。 トイレも草むらの奥に入って、男女交代でしなくとも、普通にドライブインの施設が使え、牛の落し物を踏むリスクも無い。 とは云え、この国の“小便器”の高さは、何処でも異常に高い。 イギリスが、インドを植民地にしていた時代の名残らしいが。昔の朝顔型小便器の位

            京から旅へ/インド仏跡巡礼(31)スジャータ村、ナイランジャナー河

            釈尊(ブッダ)が悟りを開いた菩提樹の何代目かとお別れをした後、 バスは、あの“スジャータ”が住んでいたとされる村へと向った。 “スジャータ”は信仰心に篤く、優しい、村の長者の娘だった。 初産を控えた彼女は、長男が授かりたく、ナイランジャナー河の 傍に立つ、神聖なバニヤンの樹に、毎日、願をかけていた。 そして、めでたく、男子を出産したスジャータは、ある日、 願いがかなったお礼に、バニヤンの樹へ乳粥を奉納しに行くと、 偶然、樹の下に、苦行で疲れ果てた、釈尊が身体を休めていた

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            京から旅へ/インド仏跡巡礼(30)ブッダガヤ「マハーポデ寺院」②

            大塔を見上げながら何枚もシャッターを切る。 ドピーカンの空を背景に、ド迫力の塔が、画面一杯に迫る。 頂上辺りを見ると、ストゥーパの傘蓋(さんがい)のようである。 また表面は全体に、美しい幾何学のパターン彫刻が施されている。 所々に彫られた、半肉彫りの仏像も、優雅な姿で素晴らしい。 12世紀の、仏教が密教的な色彩を強めた頃の仏像が多いらしく、 できれば一日、様々な石彫刻をじっくり見たいが、そうもいかない。 東京の通勤ラッシュなみの混雑で、ボヤっとしてたら仲間と逸れる。

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            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(29)ブッダガヤ「マハーボデ寺院」①

            かつて、釈尊(悟る前は、ゴーダマ・シッダルータ)は、釈迦族の王子として、冬、夏、雨季と季節毎に住み替える、三つの宮殿を与えられ、地位と物質的な享楽では、素晴らしく恵まれた暮らしをおくっていた。 宮殿では多くの従者と女性に取り囲まれ、贅と官能の限りが尽くされ、やがて、美しい妻と愛児にも恵まれるが、王子の少年期に芽生えた、誰も逃れえぬ“生老病死”への恐れと、世の“無常感”は払拭できず、29歳にして、王家の暮らしを全て捨て、出家し、修行の旅に出た。 釈尊(ゴーダマ・シッダルータ

            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(28)ブッダガヤへの道

            「ナーランダ大学」からブッダガヤまでは、約80kmの行程だ。ずうっと悪路を長い距離、走り続けてきたので、何だそれ位かと、安堵している。 そう言えば、昨日からあまり仮眠をすることなく、揺られていて、ポンコツな思考回路がさらにマヒしているようだ。少しでも休もうと、瞼を閉じるが、ヘンに頭が冴えて寝れない。 周りでは静かな寝息も聞こえ始め、羨ましさを感じながら、ボンヤリと、外の明るい青空の下に、流れる景色を見つめている。 デザイン学校の頃、徹夜で課題を作り、そのまま授業に出て、講

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            インド仏跡巡礼(27)ナーランダ大学

            釈尊(ブッダ)、晩年の修行の地「ラージギル」の中でも、有名な 聖地を一通り観て、ホテルに戻って昼飯を食べた後、バスは、 いよいよ、釈尊(ブッダ)成道の地「ブッダガヤ」へと、向う。 だがその前に、もう一か所。釈尊(ブッダ)には、直接関係はない が、インド仏教の盛衰を物語る象徴的な場所へと、バスは向った。 ラージギルから、北西約16kmの場所にある「ナーランダ大学」だ。 かつて「ナーランダ大学」があったナーランダ村は、釈尊(ブッダ) 十大弟子の中で、智恵第一と云われた舎利弗

            京から旅へ/インド仏跡巡礼(26)ラージギル/王の因果②牢獄跡地

            釈尊(ブッダ)とビンビサーラ王の、もう一つの因果な物語。 「王舎城の悲劇」と呼ばれる、この物語には王と釈尊(ブッダ) の他に、新たに、三人の登場人物が出てくる。 ビンビサーラ王の息子、アジャータシャトル王子と釈尊(ブッダ) の従兄で弟子のデーヴァダッタ、そしてヴァイデーヒ―王妃だ。 始まりは、アジャータシャトル王子の“出生の秘密”である。 ビンビサーラ王は、王妃との間に子供ができず悩んでいた。 そんな或る日、占師に相談すると、今、山中で修行中の仙人 が老衰で亡くなっ

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            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(25)ラージギル/王の因果①竹林精舎

            霊鷲山から西へ走り、さらに北へ上ると「竹林精舎」へ着く竹林精舎は、マガタ国のビンビサーラ王が、釈尊(ブッダ)の在家信者となって建立した、世界初の仏教寺院である。 霊鷲山から竹林精舎までは、車で10分程の距離だが、途中には、同じ、ビンビサーラ王が晩年、息子のアジャータシャトル王に幽閉され餓死した,牢獄の跡地がある。 牢獄跡地はマガタ国の首都・王舎城跡(ラージギル)の中心にあり、城外東の霊鷲山、北の竹林精舎と結べば、ほぼ直角で三角となる。 この狭いエリアに、仏教に帰依し、仏教の

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            京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(24) 霊鷲山 (りょうじゅせん)

            霊鷲山は、晩年の釈尊(ブッダ)が、弟子達に教えを説いた聖地で、無量寿経や法華経、般若教もこの地で、説かれたと云われている。 また此処は、釈尊(ブッダ)が八十歳を迎えた年に、故郷をめざす「最後の旅」に出るが、その時の“旅立ちの地”でもある。 その霊鷲山が、インドの旅5日目、最初の目的地だが、まずは‥昨日の超・想定外の運行トラブルで、宿泊できなかったホテルへ。 早朝4時10分に到着し、そのまま、着替えの為に部屋に入る。霊鷲山への出発は5時30分。あと80分。で、ある。 仮眠や

            京から旅へ/インド仏跡巡礼(23) 長い夜②

            「長い夜」と云えば1970年に流行った、シカゴの曲を思い出す。 ビルボード誌で、全米第四位を記録したヒットソングである。 dan・dan・dan・dan・dan♪ dan・dan・dan・dan・dan♪と力強く クールなエレキギターとドラム、続いてpa~ra・pa・pa・pa~♪と 管弦楽器が襲う、イントロが衝撃的なブラス・ロックバンドの名曲だ。 当時は中ニ。勉強もせず、ラジオの深夜放送ばかり聴いていた。 オールナイト・ニッポンだ、セイヤングだ、走れ歌謡曲^^だ、 そ

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            京から旅へ/インド仏跡巡礼(22) 長い夜①

            足元に受けた二度の「牛の洗礼」にもメゲズ、巡礼バスの旅は進む。 結局、その日予定した昼食場所は着かず、3時過ぎに「禅ZEN」と云う、 通りがかりの印度飯屋で、伽哩をかっこみ、再び、バスは走り続けた。 連日の辛く脂っこい刺激物の摂取と、間断なきバスのシャフルにより、 しかりとモタレた胃袋を抑えながら「そうだよ、これがインドだよネ」 と悟り顔で、なるままの旅を“ケセラセラ”で、楽しむ事にした。 「インド人は、物事の結果がどうなるかは、人が決めるのでなく、  神様が決める事と