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昭和をカタルシス[1]しらけ世代

私が生まれたのは、昭和31年3月3日である。
昭和33年なら、3並びでもっと縁起良いかも知れんが‥

昭和31年と言えば、経済白書が“もはや戦後ではない”
と高らかに宣言した年であり、日本の高度経済成長の
始まりとなる神武景気に沸いた年でもある。

家庭では電気洗濯機、掃除機、冷蔵庫が三種の神器
として普及し、日本人の生活レベルが向上されていた。

とは云え、そんなことは生まれたばかりの赤ん坊には
知らん事で、後に「あぁそうなのか」と知る事だが‥

私の生れた年の人間は、「しらけ世代」と呼ばれていた。

先に生まれた兄たち、昭和22年から24年までの、所謂
「団塊の世代」が青春時代(やたら囃された言葉)に、
花火をぶち上げた、“祭の後”の傍観者的世代として、
当時のマスコミは我々を、ひと括りにしたかったようだ。

ひとつの世代を、まるでロールケーキ(昔なら金太郎飴)
を切るように、分けて、「ハイ○○世代でぇす」と、レッテルを
貼られたことに、当時は、酷く違和感を覚えた。気がする

ところで、団塊の世代や団塊ジュニアと言う言葉は、今も
景気の予測やトレンド、消費構造を語る時に使われるが、
「しらけ世代」という言葉は、あまり聞かない。

既に、死語になっているのか?、ならば、当時抱いた、
ある種の不快さも含んだ、違和感は何だったのだろうか?

最も、自転車競技の先頭を風を切りながら走る人の後ろで、
風をよけながら、流れに乗り走ってこれたような我々でもあり、
人生に少し割り徳感があり、偉そうなことは言えないが‥


昭和をカタルシス。って、何を語る訳でなく、
また、吐露するようなカタルシスがある訳でもない。

ただ、昭和31年(1956年3月3日)から昭和64年(1989年
1月7日)まで約33年間 (おっ、ここにも、33のゾロメ)

昭和を歩いた記憶の断片‥
セピア写真の断片を、繋ぎ留めたいだけである。

誰にも歴史はある。薄れゆく記憶を記す、それだけ。

昭和は、遥かに遠くになりけり。なのである

(2013年10月6日 記)

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