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昭和をカタルシス[2] 高度経済成長

私は東京の下町で生れ、中学二年まで、その町で暮らした。
家は、瀬戸物屋を営んでいた。祖父が始めた商売である。

「昔は問屋として羽振りが良く、土地も多くあって、 ○○さんの家の角まで、ぜ~んぶ、家の土地だったんだよ」 と小さい頃に聞かされたが、当時は、そんな名残はなく、 人気の無い町の、ただのちっちゃな“ちゃわん屋”だった。

記憶では、祖父はいつも、白いステテコと前開きの白シャツで、 椅子にドカッと座り、右手にハタキを持ち、人の采配をしていた。
ちゃわんを叩くハタキの布が、軍旗のように、はためいていた。 怖い祖父。
そんな記憶だが、大人になって聞く祖父の評判は、 優しいお爺ちゃんだったと言う。無責任な子供の記憶である
たぶん子供の頃に見た、生真面目な祖父の遺影と、祖父の 他の写真の絵がブレンドし、勝手な印象が作られたのだろう‥
今さらだが、祖父に申し訳なく、心で手を合わせた。


片側一車線ずつの狭い道路に面した店は、幅が3間ほどだった。店の棚には茶碗や湯飲み、丼ぶりなど様々な瀬戸物が陳列され、時に赤いポストの貯金箱や、硝子の金魚鉢なども置かれていた。
そんな店の奥に、陶器の招き猫が、所在なさそうに座っていた。大きな目をクリっと開けた愛らしい顔で、右手を挙げて招く姿は、子供ながらも滑稽であり、なにかフクフクしさも感じていた。

猫は何故か、大、中、小と大きさが揃えられていた。
そんなに売れるか?と思うが、時に猫の数が不揃いな時もあって、何匹かは、景気が良い人の家に、お嫁入りしてたのかも知れない。

何はともあれ、世は、高度経済成長の坂を、上り始めていた。誰もが、「坂の上の雲」を目指し、我先にと駆け上った時代だ。
昭和29年12月から日本の景気は上昇し、神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気を経験し、年平均10%以上の経済成長が達成される。

昭和48年11月のオイルショックまで、約19年間も「神話」は続いた。日本の奇跡と呼ばれ、日本はGDP世界二位を達成した。


一転して今は、平成3年2月頃から始まる、バブル崩壊後の世の中。坂から転げ落ち、黒い雲に覆われた、時代が長く続いてきた。

が‥今やっと、“失われた20年”の喘ぎから脱却し、若者が未来を語れるような、薄い光も雲間から、少し見えてきたような“気”もする。
昭和の若者たちの子供たちの時代が再び、皆で上を向いて歩けるような、そんな時代になることを、ほんとうに願っている。


招き猫の手の挙げ方には、三種類あると云う。
右手を挙げる猫は“金運”を招き、左手は“人”を招く、そして、両手を挙げる猫は、“お手上げ”だそうである。せめて、うえ二匹の猫に、あやかりたいものである。

(2013年10月9日 記)

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