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昭和をカタルシス[12] 場外乱闘

場外乱闘と云えば、昔も今もプロレスの見せ「場」だ。
でも、最近はだいぶと過激になり、リング外だけでなく、 2階観客席まで乱入し、1階にレスラーが落ち、観客を 怪我させて訴訟問題になった、等のケースもあるようだ。

その点、昔の場外乱闘は、少し見せ方が違っていた。
試合の基本的展開は、ヒーローの日本人レスラーが、悪役 外人レスラーと戦い、苦戦して勝つ。と、云うのが多いが、 勝利までの間に、たびたび場外乱闘が見られた。

悪役を倒し、ワン、ツウー、スリーとカウントされて、勝者と なるのだが、決まって、別の外人レスラーが、邪魔をする。
観客は“もう少しで勝つ!”その瞬間に、何度も邪魔され、 フラストレーションが、ドンドコ積もり、もうパンパン。
膨らんだ風船が、堪え切れなく破裂するように、場外乱闘。
空手チョップは出るは、客席の折畳み椅子で額を割るは、 カンカンカンカンと、ゴングは連打されるはで、もう大変。

だけど、観客もTVの視聴者も、ヤンヤヤンヤの大喜び。
行け、行け、チョップ!!、チョップ!!
昔の我が家でも、白黒TVの前は、熱狂の渦である。
何故かその中心に、普段はおとなしい、父の姿があった。

プロレスは、野球や歌謡曲と共に、戦後、急速に普及したTV の目玉番組であり、大衆娯楽の大きな柱の一つだった。
またプロレス観戦は或る意味、敗戦で意気消沈した日本人が、「ナニくそ、外人なんかに負けるかあ」と、対抗意識を再燃 させる着火剤であり、厳しい復興の日々の中で積もる、鬱憤 を発散し、共感できる 「場」と、なっていたのかも知れない。


ところで、我が家の裏庭の “場外乱闘” だが、昔の庭の奥には、 竹竿が4本ほど並べられる、少し広めの物干場があった。
物干は木製。地中に埋まった根元は、水分を吸い腐食していた。
今にも倒れそうな、物干しの間で、場外乱闘は展開された。

レスラーは、私の八つ上の長兄と、五つ上の次兄である。
私の小さい時の記憶では、兄二人は、実に良く喧嘩した。
長兄は、勉強家で運動もでき、男前。次兄は、喧嘩ぱやいが 情に厚い親分肌。タイプは違うが、魅力的な兄達だった。

二人は年齢が近く、何か互いに競い合っていたのだろうか、 顔を合わせば、どちらともなくチョッカイを出し、即、喧嘩。
「一触即発」と云う、四字熟語の見本のような、兄弟である。


「表にでろ!!」 って、揉み合いながら、裸足で庭に飛び出て、 取っ組合い。殴り合いはないが、互いに力で押し倒す勢いで、 物干しは倒れるは、ガラガラと竹竿は落ちるはで、もう大変。

ソレ!始まったと、隣人は二階の窓から身をのり出し、観戦。
母も心得たもので、喧嘩と同時に洗濯物はサッと、取り込み、 チビの私も、その手伝いで、庭先をかけ回り、オオワラワ。
「ナニくそ、コイツに負けるか」と、二人は対抗意識に燃え、 真剣にぶつかていたと思うが、幼い私には、ヒーロー同志の 場外乱闘を見るみたいな、カラッとした、印象であった。


八つ上の長兄は、既に九年前、他界している。 私の今の年齢より、一つ下の、五十六歳だった。
あまりに早すぎる別れで、昔を懐かしみ、話す事などなかった。
年の離れた私には、喧嘩ができる兄達が、羨ましかったが、 そんな思いを長兄へ伝える 「場」は、もう、何処にも無い‥

(2014年1月18日 記)

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