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昭和をカタルシス[4] 落ちたロイド眼鏡

ロイド眼鏡と云えば、1920年代のサイレント映画で活躍したアメリカの喜劇役者ハロルド・ロイドが劇中で愛用していた、丸型レンズで、真ん中から弦の出ている眼鏡の愛称である。

ロイドは、チャップリンやキートンと並ぶ世界の三大喜劇王として日本でも人気が高かったようだが、無論、私が映画を観たのはずっと後で、チャップリンほど作品は知らない。

ロイド眼鏡と云う名前は、ロイドの名とセルロイド製の眼鏡、というダブルミーニングでつけられたそうだ。
日本でも戦前から愛用者が多かったが、今もクラシックなスタイルが好まれて、眼鏡屋さんの店頭にも並んでいる。
有名な愛用者では、ジョン・レノンやスティーブ・ジョブズ、大江健三郎、サザエさんのマスオさん、大阪くいだおれ太郎、だが、亡くなった外国人やアニメキャラクターと人形の中に、ノーベル賞作家を連ねるのは気が引くが、マァ、そういう事だ。

そのロイド眼鏡だが、私の父も愛用していた。

父は歌手の、東海林太郎(しょうじたろう)に似ていた。
東海林太郎とは、ロイド眼鏡に黒燕尾服を着て、直立不動で、ヒット曲「赤城の子守唄」を熱唱した、人気歌手である。

彼は色白で、細い顔立ちに天然パーマの好男子だった。
父も同じで、TVに東海林太郎が出ると、皆が“似てる”と、良く囃していたが、当人も満更、嫌でもないようだった。その父のロイド眼鏡。幼児期にちょっと、苦い思い出がある。


家は、チャワン屋だったが、そう毎日、売れるものではない。
子供が四人いたし、店は母に任せ、父は勤めに出ていた。最も父は長男で、実家が祖父の店だったから、父自身は大学を出てから、ずっと勤め人だったのかもしれないが‥

ある冬の日の夕方、父が白い息と共に、背広姿で帰って来た。朗報のようで、着替えもせず、居間で母と立ち話をしている。
私は父と母の笑顔がとても嬉しく、ハシャギまわっていた。

父の気を引きたく、何度も掘り炬燵の上から父に飛びついた。と、その時、伸ばした手が父の眼鏡に引っ掛かり、眼鏡が落下。
パリンっと、あっけなく、父のロイド眼鏡のレンズが割れた。
今は考えられないが、昔のレンズはそれ程、壊れやすかった。

普段あまり叱る父では無いが、この時ばかりは叱られた。
それはそうだ。昔は眼鏡も今より、ずっと高価だったろう。
貧しい家計を遣り繰りして、買った大切な眼鏡だったろう。
結局、子供のしたことと、父の剣幕も、諦めと共に消えたが‥


私もこの二、三年、老眼鏡をかけるようになった。
目の良さだけが自慢だったが、今は仕事や読書にかかせない。
街を歩いても、何となく、眼鏡屋さんにブラッと寄ることも増えた。

そんな折に、少し高価なロイド眼鏡を見かけると、つい昔の苦い思い出が蘇り、ギュッと胸が締め付けられる。ギュッと

(2013年10月14日 記)

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