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昭和をカタルシス[11] 柿の葉天麩羅

昔の家の裏庭には、もう一つ。思い出深い話がある。
「柿の葉の天麩羅」である。

裏庭には、大きなソメイヨシノがあって、その隣にも、 これまた大きな、柿の木がそびえていた。共にアメリカシロヒトリに、葉をかじられた仲だが、 柿はそれでも秋には、律義に大きな実を与えてくれた。

スィーツが溢れる今と違い、昔は、四季折々の果物が、 つくりだす甘味は、確かな自然の恵み。と感じられた。 だが、正直、裏庭の柿の実が甘かったか、渋かったか、 当時、あまりに幼すぎて、記憶が定かでない。

ただ、亡き父が、熟し切ったグジュグジュの柿が好き だったという事だけ、へんに覚えている。
柿色よりも赤みを帯び、皮一枚の中はゼリーのように、 柔らかく甘味を増す。実は私も、この柿が好きである。

今でも秋になると、買ったり、貰ったりした柿の中で、 一つくらい食べ忘れた、まさに “熟れ残った” 柿は、 適度に冷やされた後、私のパーシモンデザートになる。
そんな柿は大概、父の遺影の前に供えられた柿だが、「あぁ親父も、こんな柿スキやったなぁ」と偲びつつ、 口の周りをベトベトにして、ズルズルと貪るのである。


ところで柿の葉の天麩羅だが、これは我が家の定番で、天麩羅と云えば、必ず出た。
そんな気がするが、多分、食べごろの「旬」と云うのも、当然あったんだろう。食感はパリパリで、少し甘味と苦みがあった。
ただ、印象が強すぎ、他に何の天麩羅が出たか分からない。もしかすると、それだけだったのかも知れない‥


自分では、柿の葉の天麩羅は、具材として当たり前、のものと思っていたが、最近、家族に話をしたら、柿の葉なんて京都では、食べた事が無いと笑われた。

そう云えば大人になって、天麩羅屋に行っても注文したこと無いし、柿の葉寿司も、葉ッパは食べない。
まさか、貧しい我が家の、サバイバルメニュー?と、慌てて「柿の葉天麩羅」をネットで見るとシッカリ、レシピの紹介があり、胸を撫で下ろした次第である。

とは云え、柿の葉の天麩羅なんて、幼い時しか食べたこと無い。
中学の頃、引っ越した家には、柿の木は無かったし、大人になって天麩羅屋で、注文したことも無い。
でも、パリパリの食感と、少し甘く、苦い感じと、家族のぼやけた笑顔は、今も記憶のヒダに残っている

(2014年1月12日 記)

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