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軍用機図譜

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第二次世界大戦前後の軍用機が好きで本や雑誌を集めていたら結構な数になった。退職を期に読み直しながら覚書みたいなものを作ってみようと思い立った。初期のコンピュータで飛行機などのイラ…
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#軍用機

愛知 艦上爆撃機「彗星」 D4Y2(1943)

 九十九式艦上爆撃機の後継機として十三試艦上爆撃機として開発された。「十三試」だから昭和…

Stonefield
2年前
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中島 四式戦闘機「疾風」(1944)

 太平洋戦争に入ってから開発要求されたキ84(四式戦闘機)の仕様は、たいへん厳しい内容と短…

Stonefield
2年前
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中島 一式戦闘機「隼」(1938)

 かつて(今から50年以上前かな)、日本の男の子たちが戦闘機に夢中になった時代があった。…

Stonefield
2年前
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川崎 五式戦闘機 (1945)

 液冷エンジンの生産が間に合わず、エンジン待ち三式戦闘機がたくさんできてしまった。では、…

Stonefield
2年前
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九州飛行機 震電 J7W1(1945)

 子供の頃(少しばかり軍用機の知識が自慢になった頃)、震電の写真や図を見て「すごい飛行機…

Stonefield
2年前
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中島 二式戦闘機「鐘馗」(1940)

 「日本のロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士は、東京帝国大学工学部航空学科を出て中…

Stonefield
2年前
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川西 強風 N1K1 (1942)

 第二次世界大戦前、アメリカから石油等の経済封鎖にあったことで東アジア方面への侵攻が日本にとって重要な戦略となった。東アジア方面の島嶼を基地として制空権を得ることが必要である。陸上基地に頼らない水上機で陸上機なみの戦闘機があったら・・・ということで海軍は他国には類のない水上戦闘機を構想した(水上機はたいがい偵察機であった)。構想されたのが十五試高速水上戦闘機の企画で、水上機を得意とした川西航空機が受託することになった。同時に零戦を生産していた中島飛行機にも、零戦を水上機化する

カーチス SB2C ヘルダイバー(1940)

 『ヘルダイバー』は、カーチス社の艦上爆撃機の伝統ある名前である。カーチスF8C、SBC、SB2C…

Stonefield
2年前
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川西 紫電 N1K1-J(1942)

 水上戦闘機『強風』を陸上機に転換したのが『紫電』で、後の『紫電改』へとつなぐ役割を担っ…

Stonefield
2年前
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九三式中間練習機(1934)

「赤トンボ」と呼ばれた練習機。昭和10年以降、士官も兵も海軍の飛行機搭乗員は、皆この九三式…

Stonefield
2年前
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ノースアメリカンP-51マスタング(1940)

 私が子供の頃(昭和)は、ムスタングが標準的な表記だった。フォードで出したスポーツカーも…

Stonefield
2年前
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中島九七式艦上攻撃機 B5N2(1937)

 九七式艦上攻撃機は二種類ある。昭和10年に海軍が競争試作を命じた十試艦上攻撃機に中島飛行…

Stonefield
2年前
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三菱九六式艦上戦闘機 A5M1(1935)

 宮崎駿の映画「風立ちぬ」で、主人公が設計していた飛行機が「九試単座戦闘機」。後に制式採…

Stonefield
2年前
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カーチスP-40トマホーク/キティホーク/ウォーホーク(1938)

 この飛行機には生産形によって3つの名前がある。A型からC型まではトマホーク、D型とE型がキティホーク、F型以降がウォーホークである。トマホークは、インデアンの持つ斧の名前だし、キティホークはライト兄弟が初飛行した土地の名前、ウォーホークはタカ派の意味でホークにこじつけたダジャレのような命名である。もともとは、1935年に初飛行したP-36ホーク(鷹)であったから、進化とともに名前もバージョンアップしていった。出世魚の名前みたいなもんだ。  P-36は初飛行が1935年なの