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カーチスP-40トマホーク/キティホーク/ウォーホーク(1938)

 この飛行機には生産形によって3つの名前がある。A型からC型まではトマホーク、D型とE型がキティホーク、F型以降がウォーホークである。トマホークは、インデアンの持つ斧の名前だし、キティホークはライト兄弟が初飛行した土地の名前、ウォーホークはタカ派の意味でホークにこじつけたダジャレのような命名である。もともとは、1935年に初飛行したP-36ホーク(鷹)であったから、進化とともに名前もバージョンアップしていった。出世魚の名前みたいなもんだ。

 P-36は初飛行が1935年なので基本設計はかなり古いが、すでに1000馬力の空冷エンジンを積んでいて、当時としてはそれなりの性能があった。このP-36に同じく1000馬力級の液冷エンジン(アリソンV-1710)をのせると50km/h近く最大速度が向上した。そこで、武装も強化しP-40としてアメリカ陸軍から大量発注を受けることになる。頑丈で生産体制がしっかりできていたので、第二次世界大戦初期にあらゆる戦場で活躍した。ほかに戦場に出せる戦闘機がなかったためである。アメリカは中立主義を保っていて、本気で戦争する準備ができていなかったことの証拠とも言える。戦争が始まると優秀なドイツ機や日本機には太刀打ちできず、追い回されたが、P-38ライトニングやP-47サンダーボルト、P51マスタングなどの新鋭機が出てくるまで、なんとか頑張り通した飛行機である。

「第二次世界大戦の『軍用機』がよくわかる本」では次にようにまとめている。
「P-40は傑出した戦闘機ではない。戦歴を見ても中低高度での対爆擊機迎擊には有効だったものの、対戦闘機戦闘はドイツ機、日本機どちらに対しても苦戦を強いられている。しかしアメリカ陸軍もイギリス連邦各国空軍も、戦争初期には本機が最も多数入手できた戦闘機であり、ドイツと日本が破竹の勢いに乗っている時期に矢面に立たなければならなかった。やがて連合軍側に高性能戦闘機が行き渡るま で、P-40はべルP-39などとともに、戦線建て直しのため必死に働いたのだ。」

 戦時には、高性能よりも平凡でも大量に生産でき、壊れにくく扱いやすいことの方が重要である。P-40は機首の大きなラジエターやスマートとは思えない翼のカーブなどどちらかと言えばブサイクであるが、頑丈な機体構造、高い防弾性能、シンプルな内部機構が強みとなった。安価でもあった。最終生産数は13,738機という記録がある。アメリカが参戦する前、日中戦争時に国民党政府へのアメリカ義勇軍にも使われた。このときの機体のラジエター部分にシャークティース(サメの歯)が描かれ、フライング・タイーガースと呼ばれることになる。P-40といえばシャークティースというほど有名になり、後年、アメリカ空軍のファントム戦闘機などにもシャークティースが描かれることになった。

P-40タイガーティース

 佐貫亦男氏は『下駄』と評した(続ヒコーキの心、佐貫亦男)。昔の若いもんは何の用意もなくケンカになったときは、履いていた下駄を脱いで武器にした。頑丈で相手を殴っても割れないし、使い勝手がいい。P-40は、そんな応急手段的な戦闘機というのが謎解きである。
 さらに辛辣な言葉が連なる。「設計の見地からは、アメリカ陸軍の仕様書が未経験のためにぼけていたせいもあるが、あまり冴えた外形ではない。これは同じ液冷エンジンのP-51ムスタングとくらべて見ればすぐわかる。なんとなしに重たげであり、だるそうな線である。〜設計者が練りに練り、楽しげに図面を引いている気配はどこの部分にも感じることができない。」  
 佐貫先生は、脚の構造からシャークティースのデザインまで徹底的にこき下ろしている。しかし、それもこれも憎まれ口だと自戒し、「アメリカの工業力がすぐれている点は、このようにあまり上等でない機体も、艤装や取り扱いは実用的で、とにかく戦力に仕立てたことである」と評している。 


<P-40N>
全長 10.16m
全幅 11.38m
全備重量 3,780 kg
発動機 アリソンV-1710 1,150馬力
最高速度 563km/h(高度5,000m)
武装 12.7mm機関砲6門
爆装 227kg爆弾3発

> 軍用機図譜



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