川西 紫電 N1K1-J(1942)
水上戦闘機『強風』を陸上機に転換したのが『紫電』で、後の『紫電改』へとつなぐ役割を担ったことで知られている。過渡期の飛行機のように思われがちだが、太平洋戦争末期にもかかわらず生産機数は1,000機を超えた。『紫電改』の生産かはじまったとき、他の機種を抑えて最優先されたが、すでに工場はその生産能力を失っていた。
水上戦闘機特有の中翼構造をそのまま引き継いだため、長い脚を2段階で引き込まねばならず、この複雑な構造が事故や故障を多発させ、最後まで稼働率の悪さに影響した。また、発動機を三菱製の火星エンジンから実用化されたばかりの中島製の誉エンジンに換装したためのトラブルも続出した。誉エンジンはその優秀さへの期待から満足な試験を行わないまま実用化したため飛行機の試験飛行とエンジンの試行を同時に行うことになった。エンジントラブルが続いている間に川西の技術陣は主翼の低翼化や胴体の改造など、紫電改へつながるアイデアをまとめていった。結果的には、『紫電改』を並行して設計できたことになる。このエンジンの調整不良は実用生産が進んでからも改良されず、基地に配置されてからもエンジン調整は常に最重要な稼働条件になった。
多くのトラブルを抱えていながらも『紫電』は、パワフルな性能を発揮し、零戦の後継機の位置を確実にした。2000馬力のエンジンパワーが最大速度を600km/h近くまでもっていった。また、自動空戦フラップが、単に速度だけでない空戦性能を与えた。20mm機銃4丁の威力も大きかった。主翼は『強風』そのままの構造だったため、追加の機銃を主翼内に入れられず、主翼仮面のポッドに吊り下げることになった。デザイン的には直線が多用され、工作のし易さがうかがえる。二重反転プロペラだった水上戦闘機『強風』のために設計された大きな三角尾翼もそのまま引きずったとはいえ、三角おにぎりのような垂直尾翼もシンプルで無骨な味を出している(『紫電改』になったときには、面積が13%軽減された)。
343空で活躍した笠井智一氏が初めて『紫電』を見た時の感想を次のように述べている。
「初めて間近に見る紫電はずんぐりした中翼。脚は二段引き込み式、なんと四枚プロペラでエンジンがいやに大きく、翼には二十ミリの銃身が四本もつき出ていて、見るからに強そうな印象を受けた。ただ胴体はかないオイルで汚れていたので、ハハァこれは油圧系統に問題があるな、と直感した。思ったとおり脚の出ないもの、ブレーキの不調、空戦フラップの作動不良など油圧系統の故障が多く、搭乗員や整備員が泣かされた。
それはともかく、虻を思わせる紫電の姿に、だれかが隊長(菅野)によく似ているなあと言ったので一同大笑い。隊長も怒るわけにもいかず、苦笑するばかりであった。
古賀大尉(横空審査部)から機内の説明と計器、性能などの詳細説明。もの静かななかにも、これで貴様たちは大任を果たすのだぞいう気迫が、その言葉の端々にうかがえた。この紫電にくらべると、それまで乗りなれていた零戦がいやに弱々しく感じられてならなかった。」
全長 8.855m
全幅 12m
全備重量 3.750kg
発動機 誉二一型(離昇1,990馬力)
最高速度 583km/h
航続距離 1,430km
武装 20mm機銃×4 60kg爆弾または250kg爆弾×2