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中島 四式戦闘機「疾風」(1944)

 太平洋戦争に入ってから開発要求されたキ84(四式戦闘機)の仕様は、たいへん厳しい内容と短い開発期間という条件が課せられた。さらに生産性の向上も考えなければならなかった。しかし、中島飛行機には、キ27(九七式戦闘機)、キ43(一式戦闘機 隼)、キ44(二式単座戦闘機 鍾馗)と世界水準の戦闘機を制作してた小山チームが存在してた。これまでの実績の集大成ともいえる試作機を1943年3月に完成させ、期待に応える好評価を得る。試作機は試験飛行で、時速660km/h(6,000m)の試作戦闘機の日本最速記録をたてる。制式化前に増加試作機が発注され、実用テストをかねて1個戦隊が中国戦線に投入された。1944年には制式化され、「疾風」という名前をもらうとともに大増産体制が敷かれた。名称は全国公募で決められた。また、「大東亜決戦機」という称号も与えられ、最優先で生産され終戦までに3,500機が完成した。

 尾翼の形、一直線の主翼前翼、すっきりとのびやかな線で描かれる側面など機体各所で中島飛行機のテイストが感じられる。2000馬力の中島ハ45エンジンを積んだ。しかし、このエンジンに多く見られた不調トラブルがやはり多出し、生産性を落とすとともに前線での整備も難しくしていた。また、燃料の質も低下もあり、本来の性能を出すことができなかった。戦後、アメリカで試験を行ったときには、オクタン化の高い燃料と完全整備のもとで時速680kmを記録しており、アメリカ陸軍機P-51やP-47に引けをとらなかった。プロペラ直径が小さかったため高速度には優位であったが、同馬力の他の戦闘機にくらべ加速性能が劣ってしまうことになった。戦争末期にはアルミ不足から木製化も試みられていたが、試作機の段階で終戦をむかえる。

> 軍用機図譜

四式戦闘機
全長 9.92m
全幅 11.24m
全備重量 3,750kg
発動機 ハ45型 (2,000hp)
最高速度 624km/h (5000m)
航続距離 1,600km
武装 12.7mm機銃×2 20mm機銃×2 30〜250kg爆弾×2

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