ウツ婚!!出会い前半戦

・戦場のガールズライフ開幕?


出会い前半戦

〜戦場のガールズライフ開幕?〜

 「月美ちゃんも先生に婚活しろって言われたんだって~?私も〜~」と女らしすぎてIKKOさんのような話し方をする彼女に待合室で声をかけられた。私は同じ主治医のところに数年通っているので、それなりにメンヘラ仲間は居たし診察に行けば顔なじみとお喋りもした。


 声をかけてくれた彼女は私より少し年上で働いてもいたし美人だし、何が病気なのかはわからなかったけれど、数年の精神科通いで「どんな人にも悩みはあるし見た目じゃ心の闇はわからない」とゆるふわな見識を得ていた私は彼女に「うん。そうだよ」とだけ答えた。彼女は他にも主治医に言われたことを色々話してくれてたけれど、私は上の空で「私より高スペックな彼女にも婚活を勧めているということは、特に私に対して「君は結婚に向いている!結婚すればすべてが治る!」的な想いがあったわけではなく、主治医の中で「婚活」がブームなのだろうな。もう主治医も歳だし。患者のことを娘のように思って嫁に出したいのだろうな」と相対的な解釈と薄っすらとした絶望を感じていた。

 「ねえ。月美ちゃん合コンしない?」
 すごくよく聞こえた。ぼーっと聞き流していた彼女の話だが、そのフレーズだけは鼓膜が全霊で「ありがたや〜!」と躍動するほどよく聞こえた。「行く。お願いします。連れて行って!」即答する私に彼女は「いつが空いている?」と親切に聞いてくれたのだけれど「いつでも空いてる!診察以外!」と自分でも情けなくなるような返答をこれまた即答し、どうにか合コンに連れて行ってもらった。よく考えたら合コンって夜だし。診察って昼だし。マジでいつでも空いていた。



 当日、少しでも痩せて見えるように黒のワンピースを着て「遅くなるね」と告げると「うん。うん」と娘に用事ができたことだけで感極まっているママは、もはや「お持ち帰りされちゃったから朝帰りするね」と深夜にラブホテルから電話をかけても赤飯を炊いて待っていそうな勢いだったけど、私だってすっごく期待して合コンに出かけた。


 「女の子たちだけで先にお茶を飲んで打ち合わせよう」と合コンあるあるな作戦会議の喫茶店に行ったら、私を含めて5人いた女の子は全員同じ精神科に通っている子たちだった。つまり幹事の彼女はその社交性でもって精神科の待合室でメンバーを集めていて、私もその中の一人。診察の曜日が違うから知らない子もいたし、カウンセラーが一緒だから知っている子もいた。主治医の話や精神科内の噂話であっという間に待ち合わせ時間になってしまい「じゃあ、私たちは友達の友達ってことで!」と日本語の便利さに胡坐をかいた結論を出して、一同は合コンに向かった。



 自己紹介タイムで私は名前と年齢と、本来なら職業をいうところなのだろうけれど、無職引きこもりだしと思って「趣味は食べることです!」と体型を見れば一同納得の「だろうね」という感想しか得られない発言をして終わった。お相手は公務員の方々で改めて幹事の彼女の社会性に感心しつつ何で精神科にいるのだろうと疑問に思いながらも会は始まった。

 合コンに来たメンヘラ仲間の女の子たちは一様に真面目で気が利きすぎるほど利き、相手の話を聞くのも上手でつつがなく会は進んでいった。私は相手の話を聞くのが上手いわけではなく単に自分の話が出来ないだけなので「へー。ほー」と表記をアルファベットに変えればラッパーみたいな相槌を繰り返していた。そして私は下戸なのでずーっと烏龍茶を飲んでおり、出された料理は野菜しか食べず、絶対相手に「お前、家帰ってからめちゃくちゃ食うだろ」と思われていただろうけれど、お察しのとおり帰宅してから絶対スイートブール(山崎から発売されている菓子パンで120円くらいなのに大きくてふわふわ。一個400kcalという別名カロリー爆弾)を過食してやろうと思っていた。
 世間話ができない私は(だって世間がないし。私の世間は実家と精神科と菓子パンで出来ているし)何か喋らなくちゃいけなくなったら優秀な姉と弟の話をして虎の威を借る狐効果で自分も優秀に見えないかなって画策した。でもそんなわたしの権威主義を前面に押し出しても隠し切れないコンプレックスの渦はますます私をつまらなく見せたみたいで誰も興味を示さなかった。


 宴もたけなわ。お酒が進むにつれ女子たちも次第に仮面が外れていき、真面目で気が利く聞き上手から自分の過去の暴露大会になったりして、その愛すべきクレイジーな様は男性陣をドン引きさせるには充分だった。最初は愛が生まれる日を期待していたこの合コンも、公務員の彼らが普段見ることが出来ないユニークな女性たちへの見聞を広める会に変容していき、むしろ盛り上がった。私も「美味しんぼ」と「クッキングパパ」における現代日本の食の在り方、そして家族と食について熱く語り、結果三次会までやった。でも皆んな終電で帰ったし誰も番号交換をしなかった。



 数日過ぎても「幹事からメールアドレス教えてもらいました!この前はどうも!」的な連絡が一切来なかったので、スイートブールを貪る代わりに固い全粒粉ブレッドを齧りながら悔しさを噛み殺し、また診察に出かけた。この頃から私は割と真面目に診察に行くようになる。主治医への信頼感がどうのというより、病院に行っている間は過食しないで済むことに気付いたからだ。しかも診察はかなり待たされるので家にいればコンビニを二往復しそうな時間をなんとかダイエットコーラとタバコでやり過ごした。ママも私が「診察に行ってくる」と言うと心から嬉しそうな解放されたような顔をした。



 診察を待っている間は暇だから本を読んだり携帯を弄ったりしていたけど、何より同じく診察待ちのメンヘラ仲間と喋っているのが一番楽しかった。多分数か月の引きこもりで私の人恋しさは限界を超えたのだと思う。引きこもっている間も寂しかったけど「太ったね」って言われるほうが嫌で誰にも会わなかった。でも一度会ってしまうと堰を切ったように寂しさが溢れ出し、精神科で誰かに会うことそして喋ることは私の終わりなき日常で一番楽しいことだった。精神科の近くにある喫煙所はクレイジーな仲間たちの溜まり場になっており、そこで「誰々が入院した」だの噂話をしたり「彼氏に殴られて」だの悩み相談に乗ることが唯一の「世間」になっていった。

 いつもは行かない土曜日にも、行くところがなくて私は精神科に出かけるようになった。土曜日は平日会社勤めの患者さんで溢れかえっており、精神科にも居場所はなく仕方なしに喫煙所に直行した。そこにはやっぱり診察待ちのメンヘラ仲間がいて、いつも通り「つらい」だの「死にたい」だの天候の挨拶のごとく言い合った。そんな中隅っこに、誰とも喋らずでも確実に患者で、携帯をずっと弄っている彼がいた。

 そのときの私たちメンヘラ仲間の共通言語は「日曜日をどうするか」だった。日曜は精神科もやっていないし、街には幸せそうなカップルや家族連れが溢れている。日曜まで自助グループっていうのもつまらないし、意識高い系メンヘラは鉄板でシンポジウムに行くのだけれどシンポジウムって高いし。私たちのように意識も低ければ所得も低い(っていうか親の脛囓り)仲間たちはどこにも行くところが無い日曜日を持て余していた。

 クレイジーな仲間たちが他のクレイジーな話題で盛り上がり始めたので、私は彼に思い切って「日曜日って何してるんですか?」と聞いた。それまでワイワイガヤガヤお病気トークで盛り上がっていた勢いに任せたのだ。すると彼は「僕は車を持っているので明日お暇ならドライブに行きませんか」と一気に言った。初めて会った人に初めて言われた言葉がドライブデートのお誘いなんてクレイジーかイタリア人かの二択で冷静に考えなくても前者なのだけれど、絶賛婚活中!何より寂しくてたまらない私は「行きます!」とこれまた即答し、翌日彼は本当に待ち合わせ場所まで車で迎えに来てくれた。




 車の中で彼は「なぜ自分が精神科に行くようになったのか」を生い立ちから今の今まで語ってくれて、おかげで彼の年齢・職業・家族構成と最終学歴までわかったのだけれど、話が重すぎてどこをドライブしていたのかは最後までわからなかった。でも昼過ぎから始まったデートは夕方くらいになり、夕飯を食べて帰る頃にはなんとなく夜景とか見えて綺麗だった。彼は「連れて行きたいところがある」と今でもどこなのだか分からないのだけれど、郊外の丘に車を止めて私を連れ出し、こんもりとした丘の上で「付き合ってください」と言った。初対面→ドライブ→病歴告白→愛の告白という斬新な流れだったが、私は迷わず「はい!」と答えた。というか私は迷う余地も後先もない背水の陣だったので単純に嬉しかった。


 二回目のデートは彼の実家だった。ひとり暮らしの彼は、離婚して広い実家を持て余している老いた母親を心配しており、私のことを「真剣に付き合っている女性だ」と紹介してくれた。彼の母親は「うちの子は病気だけれど」と彼のトリセツを教えてくれて、私たちの仲を応援してくれた。私も私で「任せてください!」なんて言って器の広い女を演出し、私の恰幅の良さはそれに説得力を与えたみたいだった。帰り際に彼の母親は「本当によろしくね」と私にパワーストーンをくれて彼はそれを「ネックレスにしなよ」と提案した。


 主治医に付き合い始めたことを報告すると「いいじゃないか!結婚しな!彼は真面目な男だ」と祝福してくれたけれど、私にはどうも患者二人をさっさと片づけたいようにしか見えず、何となく結婚・・・うーん。と思いながら、でも彼氏が居る日々を楽しんだ。彼はメールをすればすぐに連絡をくれたし「痩せすぎの子は好きじゃない」と言ってくれたし「俺の給料は低いけど」と謙虚で遠回しなプロポーズまでしてくれて私はかなり調子に乗った。でもまだうーん・・・。って感じだった。


 私が引っかかっていたのは展開の早さでもない。実家がパワーストーンまみれだったことでもない。彼がいつもいつも携帯を離さなかったことだ。私と居る間も、なんなら運転中も信号が赤の隙に。彼はいつも携帯を弄っていて、私が「何してるの?」と聞いても「友達とメール」とか「親とメール」とか言っていた。デート中でも何かにつけて母親から電話があったし、そんなものなのかと最初は思っていたけれど次第に確信した。この人、友達いない。それなのに誰とメールしているのかと思ってしつこく聞くと彼は照れながらとある掲示板サイトを教えてくれた。要はネット上の掲示板にいつもいつも書き込みをしていたのだ。彼は後ろめたさは感じていなくて「見つかっちゃった!」みたいな照れだけしかなかった。見付けて欲しかったのだと思う。


 その掲示板を過去に遡ってROMってみると、私が喫煙所で声を掛けたそのときから書き込まれており、何て言うか2(5?)ちゃんねらー全開な文言と絵文字は懐かしの「電車男」を彷彿とさせた。私のことを「エルメスタソ」と書いてはいなかったものの「飯、どこか、頼む」に近い書き込みはごろごろありマジで引いた。婚活を始めてから「婚活 方法」とかでggったことはある私だが、出会い系サイトにアクセスしたことはなかった。私はいわゆる援助交際世代で、TVや学校で「ネットは怖いところです。安易に人と会ったりしないように」なんて発酵した説教が垂れ流された最初の世代だった。そのせいで私にはネットというものにかなりの不信感があり、そのせいでITリテラが低くその後も苦労するガラパゴス人間なのだけれど、その話はまたいつかってことで。要するに彼のことがキモチワルくなっちゃったのだ。それってもう無理だった。



 私は彼を呼び出して別れを告げ、彼は彼で「二番目でも良いから」という見当外れな食い下がり方をして、それがまたキモチワルくてすっぱり別れた。主治医には残念がられ彼の母親には恨まれたけど、彼から連絡が来ることは二度と無かったし件の掲示板も閉鎖されていた。

 なんだかんだ結構いい男だったのじゃないかなって今は思う。でも後にその話をメンヘラ仲間にしたら「私もそいつと付き合ったことあるよ!」って数人に言われたから、やっぱり結婚はしないで良かった。




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(そして月美は吠えてもキャラバンは進み、このお話は次回へ続く。。。)


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