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『0メートルの旅』

何年か前のこと。僕は後輩と298円の肴で298円の酒を飲んでいた。

「あの人、またハワイ行ってたみたいですね。高級ホテルに高級料理、世界が違い過ぎて理解できないですよ。どう思います?」

「どうって。まあ、いいんじゃない。たしかに俺たちとは違うと思うけど」

後輩がやっかみ8割で話す” あの人 ”というのは共通の知人だ。『何不自由ない』という言葉がこれほど似合う女性もいないだろう。

小さな会社に勤める僕たちには旅行など無縁だ。その時間もお金もない。

若い頃に行っておけば、という後悔もない。事情は違えど僕も後輩も18歳から働いている。僕達には最初からそんな時間もお金もなかった。

「やっぱお金かけるって、楽しいんですかね」

「どうだろう。それなりに楽しんだろうね。でもさ、感度の問題だとは思ってる」

「感度?」

「うん。例えばさ、福島にいた時に1歳の子供を抱いて家族三人で行った近所の河原の光景、その時、その場所で感じたことを俺は今でも覚えている」

「どこ、という場所よりも、何を感じるかってことですか」

「そう思う。あの人の感度がどうかは俺は知らないけど、お金をかけなければ価値や意味を感じられない人は世の中にはいるようだね」

「たしかに。鈍感だとお金かかるってことですか」

「あの人達が何十万円とかけなければ感じられない価値を、俺達は今298円で感じられている。この超低燃費。ひょっとしたら俺たちの方が勝ち組かもよ」

「そうっすねw」

後輩がやっかみ8割で始めた話にやっかみ12割で応えて強引に幕を引いた。


だが、これは僕の本音でもあった。

「絶景だった」と旅の土産話を聞かされる。
それは4K55インチの大画面でドローン撮影された世界遺産の映像を見るよりもキレイだった? (この理論でいくと動物園も水族館もいらなくなる)

「最高においしかった」と旅先での食事の話を聞かされる。
その料理、東京で食べられない? (今ではUbereatsが家から一歩出る必要すら奪い去っている)

極端なのはわかっている。だが、これが本音だ。

歳をとったせいなのか、青年期の不遇のせいなのか、最初からひねくれているせいなのかわからないが、あまり旅に意味を感じないのだ。

いや、たっぷりと時間とお金があれば、行ってみたいとは思う。ナスカの地上絵をセスナで上空から見てみたい、そんな願望は僕にもある。
旅が無駄だとも思っていない。そこでしか得られない感動はあるのだろう。

だが『そこまでして…』とも思ってしまう。

周りを見渡せば日常で感動できることはたくさんある。それで十分じゃないか。

常々そう思っているのだが、世の中の大半の人は「旅行が好き」で「旅行に行きたい」らしいので、僕もわざわざ反論はしない。

そんな僕なのだが。


今回読んだのが、なんと旅の本である。

旅の本で思い出すのは中学生の時に読んだ『オーパ!』だ。あれは読むというより『見る』だった。初めて見る写真に衝撃を受けた。

旅の本はたぶんあれ以来。

それには一つのきっかけがあった。

ある言葉がフックしたのだ。


『 部屋での旅 』 


ん?  部屋での旅? どういうこと?

そして

『 遠くへ行くだけが旅じゃない 』


これだ… 

これだよ。

そう!そうそう!

そういうことなのよ! 

そのツイートには僕が日頃思っていたことが言語化されていた。

旅をしなければ旅ができないわけじゃなくて、旅に行かなくても旅ができるし、その感動を得るために必ずしも旅に出る必要はない。

文とも言えないナンジャコレ感のある文字の羅列だが、僕が『旅』に対して思っていることって、そういうことなのよ!

こうなってくるとこの本が気になる。

これはきっとただの旅の本じゃない

『じゃあ、そもそも旅ってなんなんだ?』とほんのり哲学の香りがする自分への問い掛けに陶酔しながら、僕は予約ボタンを押していた。


年が明けた1月6日。

届いたまま机に積んでいた本を、僕は読み始めた。

そして

オイ! 

どうした!

僕としたことが不覚にも旅に出たくなっているではないか!

しかも『チラッと数ページ』でだ!


いや、ちゃんと理由はあるのだ。

それは前書き10ページ目だった。

道草に夢中になったあの日、僕は確かに旅に出ていた。それは日常を引きはがす冒険だった。激しくきらめく閃光だった。いつもの通学路という「定まった地」を離れて、ひととき他の世界へとダイブした。だとしたら、たとえ遠くへ行かなくても、旅はどこでも始められるのではないか。

旅とはなにか。


旅とはなにか。

旅はどこでも始められるのではないか。


そう。そういうことなら、それが旅なら、僕にも旅を始められる。

時間も場所もお金も関係ない。僕は僕の旅をすればいいのだ。

そう思ったら、左手親指が勝手に「旅に出たくなってる」とつぶやいていたのだ。



前書きが終わると、本は海外編からスタートする。いきなりの南極である。
ペンギンは臭い、なるほどそうなのか。たしかに臭いは行かなくちゃわからないな。

そんな感じで一話(一ヵ所?)につき15ページくらいでリズミカルに進んでいくのだが、一気に読み終わるのはちょっともったいない感じもする。
せっかくなら”行った気分”を楽しみたいと思い、僕は一話ずつインターバルを入れながら読み進めていくことにした。

本はやがて国内編に移り、ラストの部屋での旅に。

その渡航距離0メートル。

なるほど、たしかに。これも旅だな。


旅とはなにか。


285ページに書いてある言葉が、この問いに対する著者なりの答えだと思う。

わかったような気もするし、わからないような気もする。わからなくてもいいのだとも思う。

ただ、言えることは、数日間の『この本を読む旅』はなかなか楽しかった。

また旅をしたいと、素直にそう思えた。



ちなみにこの感動のまま、ふと知り合いのキャバクラ嬢に「今度さ、久しぶりに旅に出たいなと思うんだ。沖縄でも行こうか」とLINEを入れてみた。
すると当たり前に「はぁ?二人で?何考えてんの? 全額出してもらってもイヤ」と断られた。


これも旅。

数分間で終わったが、僕はたしかにその瞬間旅に出ていた。



これも人生。

たまには寂しさや悲しさを感じることがあるだろうけど、それでも楽しく。

僕は僕の旅を、これからも続けていくことだろう。




--- 僕の『0メートルの旅』---

---【読書感想文シリーズ】---

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