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【連載小説】「愛のカタチ・サイドストーリー ~いびつな二人の物語~」#4 自殺未遂

前回のお話(#3)はこちら

ストーカー行為が露呈した純。「一度だけ信じる」と言って許してくれたかおりですが、彼を乗せたまま夜の高速道路へ向かいます。かおりはいったい何を考えているのでしょうか……。続きは ↓ をお読み下さい(*^-^*)

かおり

頭の中がごちゃごちゃしている時、わたしはしばしば高速道路を走る。信号のないまっすぐな道を走っていると、不安や悩みを忘れられる。けれども今日はなぜか上手くいかない。気づけば青ざめた兄の顔がよみがえり、頭の中を支配し始める。

◇ ◇ ◇

見知らぬ番号から電話がかかってきたのは、一週間前のことだった。

「もしもし……」

応答してみたものの、向こうからの返事はない。不審に思い、眉をひそめる。わたしに電話をかけてくる人なんてまずいない。いたずらか間違い電話なら切ってしまおうと思った。

「かおり……? かおりだよね……?」

切ろうとした時、電話の向こうの人物がわたしの名を呼んだ。どこかで聞いたことのある声。わたしは再び受話器を耳に当てた。

「……どちら様ですか?」

「僕だよ、とおる

「えっ、透って……お兄さんなの?」

あまりにも疎遠になっていたから、声を聞いただけではすぐに兄と分からなかったが、記憶がよみがえるにつれ、確かにこんな声だったと思い出す。

「急に電話なんかかけてきて、いったい何の用?」
 兄と話す時はどうしてもぶっきらぼうになってしまう。兄も分かっているはずだが、今日はどうも様子が違った。

「……もう大学生になったんだろうね。元気にやってるの?」

「えっ、何、急に……」

「僕はもう、生きる希望を失ってしまったよ……。これ以上、耐えられそうにない。だから最後に……。最後にかおりと話したかった」

「ちょっと待ってよ、透。最後って、縁起でもないことを言わないで」

「久々の会話が別れの挨拶だなんて、かおりは嫌だろうと思う。でも、僕の知る限り、一番マシな頭を持ってる人間はかおりだから」

「……今、どこにいるの? それだけは教えてちょうだい」
 わたしの問いに、兄は少しの間黙り込んだが、やがてぽつりと、

「……K市の……実家近くの公園をぶらぶらしている」
 と言った。

「分かった。今すぐそっちに行くわ。だから、早まらないで」

「ダメだよ、かおり。僕はもう、あっちの世界に行く」

「ダメ。そんなことさせない」

「どうして……? 僕のこと、嫌いなんじゃないのか? だったらいなくなったって何も変わりゃしないだろう? むしろ清々するはずだ。……親だって周りの大人だって、僕がいなくなった方がいいと思ってるに決まってる」

「……そりゃあ嫌いよ。だけど、嫌われてることを理由に自分から人生を終わりにしなくたって」

「だから意味があるんじゃないか。最後に、僕を苦しめた奴らに迷惑をかけてやるんだ」

「そんな……」

「……かおり。君は僕の分まで生きろよ。やっぱり最後に話す相手として、かおりを選んで良かった。それじゃ。さよなら」

「透……!」
 電話が切れた。すぐにかけ直したが繋がらない。わたしは混乱した頭のまま、貴重品だけひっつかんで車に飛び乗った。

兄は、厳格な両親のいうことを忠実に守って、地元でも随一の高校へ進学した頭脳明晰の人間だ。しかし、両親が望む国立大にはどうしても合格できず、結局今年も浪人したと聞いた。兄の頭脳ならばどこの大学にだって入れるはずだが、生真面目な性格のためか、T大合格にこだわっていた。

兄とは、生まれた時から敵同士だった。学校ではもちろんのこと、家でさえ成績を競うよう強要されて育ったせいだ。三歳差だから普通の努力ではかなうはずもなく、人一倍勉強して兄を上回れるよう努めてきたが、「勝てた」と思えたのは一度か二度。兄はわたし以上に努力家だった。

幸いにしてわたしは、目を覚まさせてくれる友人を得たことで、親の言いなりだった人生に終止符を打つことが出来たが、兄にはそういう出会いがなかったのだろう。最後の最後の話し相手として、生涯競い合ったわたしを選ぶくらいだもの。

いや、兄はわたしを敵ではなく、良い意味で刺激し合えるライバルだと思っていたのかもしれない。お互いに、相手を蹴落とすための努力をしても、空しさと痛みしか生まないことを知っている。そういう意味では、わたしは兄の気持ちを理解できる唯一の人間と言えよう。

平日の帰宅ラッシュに巻き込まれ、実家のあるK市にはなかなか着かなかった。そうでなくても焦る気持ちから時の経過が遅く感じられた。赤信号を待つ間に思い出すのは、兄と喧嘩した日々。それすらも今になってみれば懐かしく、もう二度とあんなふうに言い合うことが出来なくなることを思うと胸が痛んだ。

電話で聞いたとおりの場所に兄はいた。すでに、うつ伏せで倒れていたところを通報されていた。パトカーと救急車のランプで真っ赤に照らし出された公園。一気に不安に駆られる。心臓がぎゅうっと締め付けられる中、そばにいた警察官に歩み寄る。事情を話すと、兄にはまだ息があることを教えてくれた。

兄は睡眠薬の大量服用が原因で昏睡状態に陥っていた。病院に搬送され、すぐに適切な処置が施されたが、意識は戻らないまま今に至っている。

念願叶って、親や身近な人間に迷惑をかけることが出来た兄だが、彼がそれを知る術はない。命をかける以外にも、迷惑がっている彼らの姿を見届けて優越に浸る方法はいくらでもあっただろうに……。

◇ ◇ ◇

途中、パーキングエリアにさしかかる。思考が停止できないのなら、これ以上先へ進む意味はない。わたしはそこで休憩を取ることにした。

車を停めても橋本君は黙っている。

「いつもならいろいろと話題を提供してくれるのに、今日は静かなのね」

「思い詰めた顔をしている人に何を話せばいいか、今のおれには思いつかないから」

「……そんなにひどい顔をしていたかしら?」

「うん。まるで……このままおれを道連れにして高速道路のガードレールに突っ込むんじゃないかと。正直、ちょっと怖かった」

「わたしが……わたしが命を捨てる訳がないでしょう! 軽々しくそんなことを言わないでちょうだい!」

「……ごめん。……ちょっと、外に出てもいいかな?」
 激高したせいか、橋本君は逃げるように車外へ出た。

背にもたれ、天井を仰いで息を吐く。深いため息は天井に当たり、自分に返ってきた。我ながら嫌になるくらい、重苦しい空気だ。彼が逃げ出すのも当然である。

自分探しがしたいと旅を始めた。しかし、探せば探すほど道に迷い込んで、元いた場所にすら戻れなくなっている。余計に自分を見失っている。わたしはどこへ向かっているのか。どこに行けば本当の自分に出会えるのか。そもそも、そんな自分が存在するのかさえ、今となっては疑わしい。

何度もため息をついていると、彼がドリンク缶を持って戻ってきた。

「なんか冷えちゃって。鶴見さんの分も買ってきた。良かったらどうぞ」
 手渡されたコーンポタージュ入りの缶は、持っているのがやっとと言うくらいに熱かった。

わたしは、自分のせいを感じた。缶の熱これは、彼の優しさの温度。生きているわたしにしか、感じられないものだ。手のひらの皮膚から胸の奥までじんわりと温かさが伝わってくる。

「ありがとう。……謝るのはわたしの方ね。アパートに送り届けると言っておきながら、こんなところへ連れてきてしまって申し訳なかったわ」

「いいんだ、そんなことは。あのまままっすぐ帰っても、モヤモヤして眠れなかっただろうし。……さっき、何を考えていたの? おれが斗和君見たさに後藤さんをつけていたこと?」

わたしはゆっくり首を横に振る。そして熱い缶を握りしめたまま、ぽつりぽつりと兄に起きた出来事を話す。

橋本君は言葉を挟まずにじっと聞いていた。わたしが話し終わってからも、しばらくうつむいたまま動かなかった。沈黙に耐えきれず、こちらから口火を切る。

「……暗い話題だったわね。忘れてちょうだい。これを飲み終えたら、今度はちゃんと部屋まで送るわ」

「鶴見さん。ごまかしちゃダメだ」
 話題を変えたかったのに、真面目に返されてドキリとする。彼は繰り返して言う。

「自分に嘘をついちゃダメだ。本当は忘れて欲しくなんかないくせに、そうやって強がるなんてダメだよ」

「…………」

「こうやって話したのは、この問題に向き合いたいからだ。一緒に考えて欲しいからだ。鶴見さん自身はそう思っていなかったとしても、心の声はそう叫んでいるとおれは思う」

「……兄にこそ、そう言ってあげて欲しかったわ」

馬鹿よね、透は。現実逃避してでも生きていれば、彼のような人と出会う機会もあったでしょうに。このまま一生目覚めなかったら、これから起きる良い事も体験できないじゃないの。

「わたしもそんなふうに言ってあげれば良かったのかな」
 苦しい胸の内を吐露する。
「電話を受けたのに、兄を止められなかった……。それが心残りで、思い出しては眠れなくなるの」

「……人の心は変えられない。そう言ったのは鶴見さんじゃなかった?」
 言われてはっとする。彼は続ける。

「うん。だから、何を言っても言わなくても、お兄さんの気持ちは変わらなかったと思う」

「……そうなのかな」

「でも、おれは思うんだ。鶴見さんはお兄さんの最後の気持ちを受け止めた。それだけでも充分役目を果たしたんじゃないかって。もし電話で話をしないままだったら、お兄さんは本当に孤独を感じたまま死出の旅に出てしまったかもしれない。

……おれだってそうだ。鶴見さんがいてくれたから、踏みとどまろうって思った。ここまで連れてきてもらったことで、おれは救われたんだよ」

彼の話を聞いて胸が熱くなった。
 あの日からずっと、自分は何の役にも立てなかった、無力な人間なのだと責め続けてきた。しかし彼は言った。そんなわたしに救われたのだと。

「直接力になれなくても……? 差し出した手がくうしかつかめなくても……?」

「そう言うのって、目には見えないものだよ。……だから難しいとも言えるけどね。うん、感じ取るって、伝えるって、すごく難しい」

目に見える数字こそが、結果こそがすべて、という世界で長い間生きてきた。そのせいでわたしの、いわゆる第六感は鈍ってしまったのかもしれない。

「……もしもわたしが感じる力を取り戻せたなら……。兄のための『祈り』は……想いは届くと思う?」

「きっと、届くよ」
 力強い返事に勇気づけられる。

(まさか、このわたしが兄のために祈りを届けたいなんて、笑っちゃう。でも、人はきっかけさえあれば簡単に考え方を変えられるものなのね……。)

兄という高い壁がなければ、わたしの人生はもっと楽だったはずなのに、と何度思ったか分からない。透なんていなければよかったと、面と向かって言ったこともある。けれど、やっぱり兄がいなかったら、十年近くもの間、上を目指すための努力を続けることは出来なかった、とも思う。むしろ、わたしが透のように、人生に絶望していたかもしれない。

透が命を捨てようとしなければ、その存在の大きさを知ることもなかっただろう。透は、自分が思っているよりずっとこの世に影響を与えることが出来る。決して、居なくなって清々すると言われるような存在じゃない。

たとえ言い合いになったとしても、生きている透にわたしが感じたことを伝えたいと思った。そのためなら祈るし、神様にだってすがる。

「わたしも、あなたには助けられたわ。一人で悩んでいたら、いつかわたしも心を病んでいたに違いないもの。今日はありがとう」

橋本君にお礼を言い、買ってきてもらったホットドリンクを飲む。なぜだろう、ただのコーンポタージュのはずなのに、あっという間に飲み干してしまうほどおいしかった。空になった缶を見つめながら言う。

「ねえ、橋本君。……例のクリスマス会の日、二人で出かけない? 話を聞いてくれたお礼に、ご飯をおごらせて欲しいの」

「それ……。パーティーをブッチするってこと?」

「まあ……そういうことになるわね」

わたしのわがままな誘いに対し、彼は「うーん」と唸った。きっと彼は高野君に会いたくて、その日が来るのを楽しみにしているはず。それを、陰気な話に付き合ったばかりにキャンセルしなければならないとなれば、悩むのは当たり前だ。

ところが彼は急にクスクスと笑い出す。

「って言うか、鶴見さん。実はおれと一緒にいるの、好きでしょ。クリスマスに食事に誘うなんて、まるで片思いしてる人みたい」

「…………! わ、わたしはただ、恩返しがしたくて……」

事実、それは本心だった。が、言ってからクリスマスである必要もなかったと気づき、赤面する。そんなわたしを見て橋本君は再び笑った。

「ちょっと、からかいすぎちゃったかな。ごめん、ごめん。……実はおれもさ、どうしようか悩んでたんだ。斗和君を追いかけ回してるのがバレちゃったのに、鶴見さんや斗和君たちと顔を合わせるのはやっぱり気まずいなあって。でも今更どうやって断ろうかって考えてたところだったんだ。

いいよ、おれは。鶴見さんに付き合う。なんなら、どこか遠いところに行こうよ。その日は一日空けてあるんだ。そうだなあ……。鶴見さんさえ良ければ、旅に連れて行ってもらえると嬉しいな。そうすればまた、旅ブログも書けるし」

快諾してもらえるとは思っていなかったから、逆に戸惑う。

「ほんとうに、それでいいの?」

「そっちが誘ってきたんじゃん? それとも、本当は断って欲しかった?」

「いいえ……。あなたと出かけられるなんて嬉しいわ」
 うつむきながらも正直な気持ちを打ち明けた。彼は嬉しそうに微笑む。

「へえ、今日は素直なんだね。うん、思ったままを言える人って素敵だよ」

「……あなたが教えてくれたのよ。確かに、口に出した、ありのままの想いを受け止めてくれる人がいるって有り難いわね」

「鶴見さんにとっては、おれがそういう存在になれてるってことなのかな。だったらおれも嬉しいよ。それだけで、ここにいて良かったって思えるから」

「じゃあ……。あなたを喜ばせることが出来たわたしもまた、生きている価値があると言える?」

「もちろん」

兄の背中を追うのをやめてから、わたしは生きる意味を失っていた。けれど、たった今みつかった。わたしと関わり合う人が喜んでくれること、話し相手になってあげることで安らぎを感じてもらうことが、わたしの存在価値であり、生きる意味なのだ。

大勢の人間を蹴落として頂点を目指していた時にはおよそ感じることの出来なかった、穏やかな気持ちが胸の真ん中にある。とっても心地の良い温かさ。わたしはそれをいつまでも感じていたいと思った。が、時計をみるといつの間にか、午後11時を回っていた。

「そろそろ帰りましょうか。……トルテも首を長くして待っているわね」

「そうだね。……部屋を出る前にご飯と水はやってきたけど、遅くなっちゃったから、いたずらされてるかもしれないなあ」
 彼はそう言って肩をすくめた。

「なら、急ぎましょう」

「あー、くれぐれも安全運転でお願いします」
 さっきの荒い運転を思い出したのか、彼は顔の前で手を合わせてそう言った。

「大丈夫よ。兄には生きて再会するんだから、それまではわたしだって死ねない」
 わたしはエンジンをかけ、ゆっくりと車を動かし始めた。


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