もやしっ子がラグビーに出会った話
みなさんこんにちは、おもちです。
今回は僕のラグビーについての思い出をお話ししますね☺︎
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僕は中学時代、硬式テニス部だった。運動は不得意ではなかったので実力は中の上くらい、かろうじて九州大会に出場できるくらい。中途半端。
当時僕が通っていたのは中高一貫の進学校。中学受験をしたため、周りはお勉強大好き好き君ばかり。僕は馴染めてはいたが、少し息苦しい中学生活を送っていた。
もちろん部員とも馬が合わず、トラブルもしばしば起こった(これについてはいずれ書こうかしら)。
中学3年になり、引退したときは「よし、高校では違う部活をするぞー!」という気持ち。
では何部にしようかと考えたところ、自分の中の条件は、
・高校から初めても大丈夫そうなやつ(バスケとかサッカーはやばたにえんよね)
・部員の雰囲気が楽しそうなやつ
この二つだった。
そこで頭に浮かんだのが、フェンシング部、弓道部。しかし、「なんか面白くなさそう!」(めっちゃ失礼)とどうしても思ってしまい、決めかねていることを知人に相談したところ、一言、
「え、ラグビー部は?」
僕の高校のラグビー部はとても人数が少なく、活動も小規模なため、全く失念しており、その言葉を聞いた瞬間に、「よし、ラグビー部に入ろう!」と決めてしまった。
まずは親に相談。
おもち「高校入ったらラグビー部入ろうと思うとけど、どう思う?」
母「は!?なんでいきなり?危なかけんやめんね、あんた怪我するだけばい」
おもち「わかった、じゃあボクシングにする。(するわけない)」
母「なんで!じゃあラグビーにせんね」
かくして、僕はラグビー部に入る決心と許可を得た。ヤッタネ!
そして中学3年の冬、初めてラグビー部の練習を体験した。(一貫校だからできるのよ!)
初めての練習はパス。足を怪我してるというガタイのいい高校生とパスの練習をする。その先輩曰く、「スジがいい」とのことで、とても浮かれていた。パスを30分くらいしていると、他の部員(と言っても5人だけだが)のウォーミングアップが終わり、何やら黄色いクッションを持ち出し、持ってない人がそこに突っ込んだ。そう、まさに突っ込んだ。
大きな音がした。初めて見たタックルだった。(厳密にはタックルではなかったが、当時の僕にわかるはずもない)
自分より一回り体の大きな高校生がぶつかり合う光景に見とれてしまった。
楽しそう!そう思った。
初めての練習はパスと見学だけで終わり、次の日、入部届けを手にグラウンドへ向かった。僕は附属中学から高校のラグビー部に入部した、初めての部員になった。
部員の数は自分を入れて7人。試合出場に必要な人数は15人。少ない。らしい。。
(入部してしまった僕は先輩たちに同級生への勧誘を義務付けられ、結果として6人を新入部員として迎え入れることになるが、それはまた別のお話…)
入部初日。この日は筋トレの日らしく、まず全員の体重測定から始まった。65キロ、75キロ、80キロ、90キロ、と数字を叩き出す先輩たちを見て驚いたのを覚えている。
僕の番だ。うん。49キロ。華奢な僕はたったの49キロしかなく、先輩たちに笑われた。顧問の先生から「米は二合食え!!」と言われ絶望したのを覚えている。
しかし、中学時代の部活では経験したことのない和気藹々とした雰囲気がとても心地よかった。ラグビー部に入ってよかったな、と思っていると、キャプテンが僕の肩に手を乗せて、こう言った。
「とりあえず、腕立て伏せ200回な☺︎」
二度目の絶望である。腕立て伏せ200回⁉︎意味がわからない!でも楽しそうだからやる!(のちに自分はわりとMであることを知るとか知らないとか)
まずは腕立て伏せのやり方から学ぶ。正しい腕立て伏せはその辺の男子がやるなんちゃって腕立てとは段違いにきつい。これを200回。やりたくないかも、、
するとキャプテンが一緒にやると言い出した。やめてくれ、断れないだろう!
やるしかない、、、
そして1時間半かけて腕立て伏せを200回行った。腕が上がらない。胸の筋肉が張っている。。。なんか気持ちいい、楽しい、。
面倒見のいい先輩に囲まれてみんなでトレーニングをする。とても楽しかった。
そんなこんなで毎日練習に参加し、遂に初めてのタックル練習の日を迎えた。
肩が痛くならないように、肩パッドを装着し、ヘッドキャップもかぶった。なんか変な感じ。
やり方は何度も練習した。フォームやタイミングはわかる。あとは目の前の人間に突っ込むだけ。
それが一番難しかった。
人間に全速力でぶつかり、後ろに倒すなんて経験はラグビー部とアメフト部くらいしかしないだろう。知らんけど。
とにかく躊躇してしまう。自分よりも何倍も強い人のはずなのに手加減してしまう。
そこで顧問の提案により、まずはタックルを受けることから始めた。
ドン。
うん、これやばいね。
衝撃で肺の空気が押し出され、息苦しくなった。こんな大きな衝撃なのか、タックルやベぇ。
すると先輩が「次本気でいくけんな」
ん?????
そして僕は吹っ飛んだ。初めてガチタックルされた感想は、「気づいたら仰向けに吹っ飛んだ」だ。痛い、ちくしょう。
だがこれで手加減は要らないことが分かった。ならばこちらも吹っ飛ばす勢いで突っ込んでやろう。
全力で走る。懐に潜り、右足を前に。
背骨を相手に刺すイメージで足を巻き取り、足の回転で相手の上体を前に押し出し、倒s…
うん、倒れんな。僕は先輩を吹っ飛ばすには華奢すぎた。
なんとか体重と筋肉を増やさねば!そう思った僕はまずプロテインを購入。毎日飲む。ご飯もおかわりするようになった。そして高校入学時にはなんと57キロ。正直こんなに増えるとは思ってなかったが、大成功だ。
いつの間にか90キロの先輩を吹っ飛ばすどころか持ち上げることもできるようになっていた。成長期ってすごい。だが身長は伸びていなかったー
そして5月。初めて試合に出ることになる。試合と練習はやはり違うもので、緊張や恐怖で思うように動けなかった。当たり前である。初対面のデカいあんちゃんが突っ込んでくるのだから。
そして2度目の試合。今日こそは頑張ろう。なんとかタックルして相手を止める。そう意気込んでプレー。タックル。できた。よし、立ち上がろう。ん?なんだ、立てないぞ。あれ、右足が動かんな。先生助けて。すぐに救護班が僕を担ぐとそのまま病院に連れて行かれた。
診断の結果は右足首の靭帯損傷。ほぼ切れてると言われた。あーあ、やっちゃったー、全治1ヶ月の怪我をした。次の日から見学と筋トレだけのつまらない部活が始まった。その間ラグビーをしたい!走りたい!という欲求が募った。1ヶ月後、ギプスを外して軽くランニング。グラウンドの小石でつまづき、右足首を捻る。痛すぎ。病院へ。はい、剥離骨折。連続の怪我である。また1ヶ月松葉杖をついてトレーニングである。悔しい。ラグビーがしたい。そう思うようになっていった。そしてリハビリを経て、ようやく治り、一層全力で部活に参加するようになった。そして2年生になる頃には同期の中で一番タックルが上手いと言われるようになった。これは本当に嬉しかった。
練習試合で相手を病院送りにしてからは部内で殺◯タックラーと呼ばれるようになった。
つまり、ラグビーにはまっていったのである。
そしてもう一つ、僕はステップが得意だった。(ステップとは、ラグビーにおけるスキルで、相手をかわし、ゴールラインに一歩でも近づくための重要な技術である。)
こうして、僕はセンターというポジションに配属された。攻撃と守備を両方行うポジションである。(しかし、前述したとおり部員が少ないので他校と合同チームを組む上で他のポジションもたくさん経験した)
そしてまた怪我をした。今度は左肩である。左肩が上がらず、試合にもテーピングで固定して出ていたが、激痛が治らないので病院に行ったところ、脱臼だと言われた。
この状態でプレーしていたことに驚かれた。もちろん自分も驚いた。
これはリハビリが大変だった。(ずっと外れたままだったからズレてたらしい?)毎日病院に通い、マッサージやらなんやらされた。1ヶ月で完治し、復活!
この頃には体も大きくなり、(身長は変わらないが。)体重は68キロになっていた。
そして一つ上の代、3年生の最後の試合の直前にまた怪我をした。今度は頭である。他校の選手の下手なタックルにより思い切り頭突きをされる形になり、まぶたが切れた。血がびっくりするくらい出た。病院に行き、パックリ割れたまぶたをテープで留めてもらった。その後1ヶ月間、謎の眠気とだるさ、そして鼻血が続いた。軽い脳震盪だったのだろう。
その後、10人制の新人戦で九州大会に出場した。ラグビー部の過去20年最大の快挙である。この県大会予選でトライを数本取ることができ、とても嬉しかったのを鮮明に覚えている。
そして3年生最後の試合。他の部から助っ人を借りて15人で挑んだ。
結果は初戦敗退。とても悔しかったのを覚えている。
15人中5人も未経験者で、けが人が出ても控えの選手がいない状況でよくやった方だと思う。
そして3年。この頃にポジションがスタンドオフに変わり、チームの司令塔的役割を担うようになった。新一年生が6人も入部し、部員は13人にまで増えた。
この頃僕は左の太ももの付け根に違和感を覚えていた。最後の試合の前に病院行っとこう。すると、恥骨の疲労骨折だと言われた。運動しちゃダメだと言われた。高校最後の大会の1週間前だった。
ダメだと言われて出ないわけもなく、痛み止めを倍飲んで試合に臨んだ。思うように動けない僕は不慣れなフルバックというポジションについた。相手とぶつかる回数が比較的少ないポジションである。
慣れない動きで戸惑いながらもなんとかフルでプレーし、初戦を突破することができた。ここ10年で初めての初戦突破だった。
そして二回戦。相手は準強豪校。勝てるはずなかった。顧問の先生は最後に、慣れたスタンドオフとして試合に出してくれた。
最後の試合はとても楽しかった。
試合終了のホイッスルで緊張の糸が切れるような感覚がした。股関節の痛みで立ち上がれなくなったが、最後まで一緒に戦った部員がベンチまで運んでくれた。
ラグビーに打ち込んだ三年間は自分の中でとても大きな経験になった。
僕は特に怪我が多く、思うようにプレーできた試合は数えるほどしかないが、部員みんながお互いの不調を補い合いギリギリの状態で試合に臨むという経験は二度とできないだろう。てか二度とやりたくない。
結果として、華奢で臆病だった中学3年生(49キロ)の男の子は3年で、筋肉質で部内1の攻撃的なタックルをする男(68キロ)になったのである。
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以上が、僕とラグビーの思い出です。🏉
ワールドカップが日本で開催され、日本ではラグビーがとても注目されていますね☺︎
ラグビーは誰でも自分に合ったポジション、役割があるスポーツです。体が小さいから、足が遅いから、そんな理由で諦めるのは勿体無いくらい情熱的で奥の深い競技です。
これを読んで、ラグビーに興味を持ったり、関わってくれる人が1人でもいてくれたらとてもありがたいですね☺︎
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