【短歌とエッセイ】愛されていて幸せです
短歌とそれに触れるエッセイです。
誰のこともお父さんと呼べぬまま写真に写るパパを見つめる
鳥になるときに私を思ったか それでも鳥になったんだよね
生きてないから人としてではなくて魂同士の会話ができる
生きてたらなんてたられば言ったことないよ 温もり覚えてないよ
好きなひとあなたにちょっと似ています愛されていて幸せです
父は、母と離婚したあと私が小学生になった頃に自死を選んだらしい。それを知ったのは高校を卒業してからだった。
学校には離婚をしている家庭の友達は何人かいた。普通に会話をしていると、定期的にお父さんと会ったり何かを買ってもらったりしているひとが多かった。たしかに私にはそういうことがなかった。それでも変だなと思うことはなく、歳を重ねていった。
十八歳になってやっと、今のパパはどうしているのだろうと母に問いたくなった。正直なところ、亡くなった頃に家に届いていた得体の知れない書類たちを見かけたときから、文面を読んで理解ができたわけでもないのに、なんとなく気づいていた。だから、会いたいから知りたい、というよりは、答え合わせをしたい、という気持ちで聞いた。
お父さんと呼ぶことはなく、パパはパパのまま、空へ飛んでいった。生きていたら、どうして会ってくれないのか、娘が大事ではないのかと、思うことはたくさんあったと思う。それは今の母親に対してもそうで、どんなに生きづらくても自分が産み育てた娘たちには縁を切るまでか最後までは責任を持っていてほしいと思ってしまう。これは私が頑固だからでもある。でも、死んでしまったひとに対しては、それが父親であろうと、ひとつの魂として会話ができる気がする。私たち娘を置いていけるほどの理由や精神状態だったのだろうと、受け入れたいと思える。どうせ、どうしたって気持ちは届かない。
温もりを覚えていない。幼かったから、思い出せることは少ない。写真から記憶を刻むことが多い。それでも、写真がたくさん残っていることは良かったと思う。今とは違って、デジタルよりもアナログで残っているから、分厚いアルバムが何冊もある。嬉しい。
写真に写る父の姿は、なんとなく私の好きなひとに似ている。身体が細くなくてがっちりしているところ、背の高さ、さわやか系ではないところ、とか。
私は今、私らしい言葉を綴れているだろうか。私は、こころを素直に、ことばと共に生きている。
愛されていて幸せです、と父に対してなるべくいつも想っていられるように、これからも私はできる限り生きて暮らしをがんばりたいと思う。
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