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いい加減は良い加減。

例えば今現在どんな悩み事があっても、
10年後20年後30年後、
今と全く同じことで悩んでいる可能性は
極めて低いのかもしれない。

どうでもよくなっているかもしれないし、
なんなら生きてすらいないかもしれない。

生きていたとすればもちろん、
新たな悩みや苦しみなどがあるのだろうけど、
どんな場合でもどんな悩み事でもやはり、
永遠に「同じこと」で悩み続けること
さらに「同じ重さ」で悩み続けることなどは
ほとんどないに等しいのだろう。

時間薬だったり、年齢や環境によって、
悩みだったものが気にならなくなったりも
するのだろうな、とも思う。
若い時のコンプレックスも
歳を重ねたらもう気にならない
というようなこともよく聞く。

私は今までの人生で、
色んなことに悩み過ぎた気がするので
もっと心を軽くしたいと
ここ何年も、考え方や受け止め方を
変える努力をしてきた。

先日辛いことがあり、
数年振りと言えるくらいに心を閉ざし、
食べられない眠れない胃が痛くてたまらない
ストレスでいっぱいいっぱい、
という日を過ごしてますます思うようになった。

どうしてこんなふうになってしまうのか。

どうすれば苦しい苦しいと
水の中で溺れるように過ごさずに済むのか、と。

そこでふと思い出した。
自分がなりたいものを。


わたしはきっと根が真面目で
(普段はふざけてます笑)
なおかつ、心根が優しいのだと思う。
嫌いな人には氷のように冷たいですが。
自己評価ではあります、が
よく言われてきたことでもあります。
優しすぎるからしんどくなるんだよ
って言われてきたタイプです。

わたしは、もう5〜6年ほど前、
とてつもなく辛い時期を過ごしている時期に
心に誓ったのです。


「いい(良い)加減な人」になるんだ!と。

ほら、悩みすぎたらハゲるって言うし、
いいかげんは、良い加減、ってね。


そう、わたしは「いいかげん」で
「良い加減」な人になりたくて
そうなろうと心に決めて過ごしてきた。
なろうとしてなれるものかどうかは
また別の話です。

そして、例え何歳になっても、
軽やかにくだらないことを楽しめる人でいたい
ふざけたことができる人でいたい
そう思って生きてきた。

さらには、なんかふざけてるのに
見ていて不愉快な気分には絶対にならない人
そんな人になりたい、と。

そう、
「目指せ女版高田純二」と
数年前心に誓ったのだ。

高田純二さんの好きな言葉は
「木も見ず、森も見ず」
毎年の目標は
「ただ生きる」
らしい。


私も毎年の目標を
ただ生きる、に設定してきた。
が、改めてそれを心に刻んだ。

木も見ず、森も見ず。
ただ生きる。


改めて誓った記念に本を買ってみた。
中古しか見つからなかったけど、
状態の良いものが届くと良いな。
この2冊だけど、
表紙からしてもう最高に適当で最高だ。

読むのが楽しみ。



それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。



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