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心の中は水の中。


不安がない人なんてきっといないだろう。


不安にも色んな種類がある。
明日や来週、仕事や恋愛、生活や病気、
言葉で説明できる具体的な不安もあれば、
いつか、もしかしたら、数年後?
はたまた数十年後か、そんないつかも分からない、
言葉では説明し切れない漠然とした不安もある。

数え切れないほどの不安に
今にも押しつぶされそうな時も、
心配事の9割は起こらないって言うし
きっと大丈夫だいじょぶ、そう思える時も。

誰しもが常に何かしらの不安を抱いていて、
心が弱った時や体調が悪い時、
ふとした時に顔を出してこちらを覗いては
こう言ってくる

「不安でしょ?大丈夫なの?どうするの?」と。

自分はこのままで生きていけるんだろうか。
5年後10年後20年後、自分は大丈夫だろうか。
もっと年老いた時、どうなるんだろう、
そんな不安もきっとほとんどの人が
多かれ少なかれ抱いている。

その多かれ少なかれには差があるだろう。
不安や心配事の重みだ。
ポケットに入れたガム程度の重さの人も、
抱えきれず押しつぶされそうなほどの重さで
毎日感じている人も。


そして、不安は孤独…いや、
実際に孤独かどうかではなくて、
自分自身が「孤独だと感じる」ことにより、
増幅することが多い。
孤独だと自分で思い込みながら、
自分に向き合わずうずくまり膝を抱えて、
けれど誰かにこの気持ちをわかって欲しいと
心の隅でそう強く、願うからだ。


自分が今まで生きてきて、
数え切れないほどの不安を抱いてきて、
大きいことから小さいことまで、
解消したもの、乗り越えたもの、
乗り越えられなかったもの、
起きたこと、起こりすらしなかったこと、
おそらくは永遠に解決しないこと、
沢山たくさんあったし、
今もこれからも、あるのだろう。

けれど、不安は分からないことに抱くのだ。
どれだけ具体的な不安であってもそれは同じで、
だから不安は想像の未来にしか存在しない。
人は、過ぎ去った過去に不安を抱いたりしない。

通り過ぎた過去に、
新たな不安を抱くなんてことは決してない。


そして不安は、和らげることは可能でも、
完全に取り除けるようなものではない。


不安な人は、自分だけが不安の中にいるように
思ってしまうが、その不安は大小あれど、
この世界に生きる全ての人が抱くものだ。

どんな人でも不安は抱く、ならば

ネガティヴな想像や、不安、悪い結果、
ついつい想像してしまうそんなことたち、
そんな想像をするのと同じ分だけ、
ポジティブな想像や、安心、良い結果、
同じようにそんなものを想像してみるのも
また一興ではないか。


自分の心は水の中にある、
時には深く深く、奥底に。
そして一時の感情は水面みなもである、
ほんの少しの風でも水面は揺れる、
強い風が吹き水面が激しく揺れ、
あらゆる感情で水中が掻き乱される時、
掻き回された水は水底の砂を巻き上げ
水を濁らせ、どれだけ透明な水も濁り、
透き通っていたはずの水底は到底見えない。
その激しく揺れ動く水に、
全てのものは歪んで見える。
どんなに美しい景色さえも、歪んで見えるのだ。

波を起こすも鎮めるも、
結局は、自分自身なのだ。
水面を鎮めた時、
その外側にある美しい景色を、
水鏡は映し出してくれるのかもしれない。


水鏡は、周りの景色も自分自身も、
そのまんまを映し出すものだから。




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。




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