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ゆるめて、ほどいて、解き放つ。


わたしにとって文章を書くことは
過去と現在の自分自身の
気持ちや感情を解放すること
なのかもしれないな、と思った。

日頃書いている様々な内容の
そのひとつひとつは、

日常の中で、指の隙間からぽろぽろと
零れ落ちてゆく感情をひと粒ひと粒
掬い上げるようなことだったり

過去に取り残された感情や
絡まってほどけない気持ちの集まりや
その結果いつからか放り出された感情を
手繰り寄せてほどくようなことだったり

置き場のない気持ちたちを
水滴が滴るようにポタポタと、点々と、
こぼしてゆくようなことだったり

もう手放したい気持ちを
ここへ置いて行くね、と
ぽとんと落としていくようなことだったり

とめどなく溢れ出したどうしようもない感情を
解き放つようなことだったり

自分に何かを言い聞かせたり、
どこの誰かわからないけど
自分が感じたような、
自分と似た痛みを持つ人に
大丈夫だよって伝えたかったり、

振り返ったり掬い上げたり
集めたり拾ったりほどいたり
溢したり置いて行ったり解き放ったり。

顔を上げて生きて行くためだったり。

そんな感情や言葉たちの
集まりなんだろう。

そんなふうにして、
ひどく絡まった細い糸のような
心や気持ちをゆるめて解いて、
そっと解放しているんだろう。

小さな想いのカケラを、
手のひらからそっと放つようなイメージで。

文章を書くのは、"紡ぐ"なんていう、
糸を縒っていくような、縒り合わせて
編んでいくようなイメージがあるけれど、
そう考えるとわたしの場合、
編んでいくようなイメージではなく
絡まってる糸やネックレスのチェーンを
解いていくようなイメージかもしれない。笑


言葉ひとつひとつが、雨粒のような。
悲しみや辛いことを綴った時は、
雨が上がった後キラキラと輝いて見えたらいいな。




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。






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