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#119 教員が気づくことには限界があるからこそ、児童・生徒から発信してくれるような関係性が大切

Observe(観察する)

という英語があります。

相手を日々観察し、些細な変化に気づくことは教員にとって大事だとされています。

もちろんその意見に異論はありませんが、これは非常に難しい。

多くの児童・生徒と関わる中で時としてその変化を見過ごすこともあるし

気づいたと思った変化が勘違いであることもあります。

声かけが大事だという思いのもと、それをしすぎて逆に鬱陶しいと思われてしまうことも・・・・

教員側が些細な変化をしっかり観察する努力をすることは前提にしても、教員側からのアプローチだけでは限界があります。

児童・生徒の側から相談してくれる関係性が大切でしょう。

そのためには学校生活の中で彼らと日々の何気ないコミュニケーションが必要です。

そしてそのコミュニケーションは

教師と児童・生徒という構図ではなく

一人の人間同士という構図であるべきだと思います。

私が中学2年生の担当している時

ある生徒が思春期特有の反抗的な態度をとる時期に差し掛かりました。
おそらくその生徒の中には何かしら心の葛藤があったのだと思います。

ある日、その生徒は私にふと

「今反抗期なんだよ。だから先生のいうこと聞きたくない。」

漏らしてくれました。

だからこそ、私はあえて距離を詰めることをせず、見守ろうと思ったのです。


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