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阪大日本史答案例

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記事一覧

2023年阪大日本史第1問答案例

摂関政治は、藤原忠平の子孫が独占した摂政・関白が、天皇とともに太政官を指導して行った政治のことをさす。地方行政や外交、受領の人事など重要事項は、陣定と呼ばれる太政官の公卿会議で審議され、天皇が最終決裁を行い、決定事項は太政官の出す太政官符や宣旨などの文書によって命令・実行された。摂政・関白は天皇の外戚として、天皇の決裁に関わり、摂政は天皇の政務を代行し、関白は成人後の天皇を補佐し、実質的に人事権を

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2023年阪大日本史第2問答案例

室町幕府は、直轄領の御料所から年貢・公事を徴収し、内裏造営など国家的行事の際、臨時税として段銭・棟別銭を守護を通じて賦課したほか、日明貿易の利益を財源とした。また、幕府は商業発展に背景に、流通経済への課税を主な収入源とした点に特徴があった。京都で高利貸しを営む土倉・酒屋への課税、京都の入り口など交通の要所に関所を設けて徴収した関銭がその代表例である。土一揆の発生に伴い、徳政が行われ、土倉・酒屋への

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2023年阪大日本史第3問答案例

答案例①
 16世紀後半、東アジアにおいては日中間の中継貿易が盛んで、ポルトガル商人は中国のマカオを拠点にして貿易に従事し、日本産の銀と中国産の生糸を独占的に交易しており、長崎に持ち込む生糸の価格をつりあげて、暴利を得ていた。このことを受け、江戸幕府は糸割符制度を設け、京都・堺・長崎の特定商人らに糸割符仲間を作らせ、仲間が輸入生糸の購入価格を決定して一括購入し、他の商人に分配することで、ポルトガル

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2023年阪大日本史第4問答案例

答案例①…主題に沿って書く
 新聞は、金属活版印刷技術の普及を背景に、1870年代に最初の日刊紙が刊行されて以後、次々と発行された。主に政治を扱う大新聞は自由民権運動の盛り上がりを背景に、1870年代後半から80年代にかけて発行部数を伸ばし、娯楽や雑報を重視する小新聞は、民権運動の衰退に伴って大新聞が衰えると、代わって部数を伸ばした。1890年代以降、輪転印刷機を導入した新聞は政治・経済など報道を

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2022年阪大日本史第1問答案例

温暖化による自然環境の変化に伴い、従来の狩猟に加え、採集や漁労が本格化し、食料の獲得方法が多様化して食生活が豊かになったことを背景に、人々は日当たりがよく、水辺に近い台地上に集落を形成し、竪穴住居を営んで定住生活を始めた。集落には住居のほか、食料を保存するための貯蔵穴やゴミ捨て場である貝塚や共同墓地などが存在した。住居の規模や構造には著しい差がなく、特定の墓に多量の副葬品が集中することもないことか

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2022年阪大日本史第2問答案例

鎌倉時代は鎌倉幕府と朝廷が並立する公武二元の状況にあり、両者の関係は承久の乱以降、幕府優位の状況にあり、朝廷は院政が一般的だった。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、幕府・院政・摂政・関白を否定し、従来の家格を無視した人事を行い、綸旨による所領安堵を打ち出すなど公武双方の慣習を否定して、天皇への権力集中をはかったが、殺到する恩賞や所領安堵の要求に対応できず、政権内の複雑な人間的対立が政務の停滞や社会の

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2022年阪大日本史第3問答案例

答案例①
戦国時代以降、宋銭・明銭などの中国銭に加え、粗悪な私鋳銭も流通して、良悪様々な規格の異なる銭貨が混在し、各地で撰銭が行われ、円滑な貨幣流通が阻害される不安定な状況となっていた。統一政権である江戸幕府は貨幣鋳造権を独占し、全国的に通用する統一基準の銭貨を安定して供給することをめざした。特に寛永期には、参勤交代が制度化され、街道周辺や宿場町での銭貨に対する需要の高まりが想定されたこともあり、

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2022年阪大日本史第4問答案例

答案例①
 1910年代後半、日本と提携関係にあったロシアがロシア革命によって倒れ、ソヴィエト政権が樹立すると、日本は列強とともに革命に干渉するため、シベリアに出兵したことで関係は悪化した。1920年代、国際協調の風潮を背景にシベリア撤兵の後、日ソ基本条約を締結してソ連との国交を樹立したことで日ソ関係は改善した。1930年代、ソ連を仮想敵とした総力戦体制構築のため、満州事変で満州を軍事占領し、これ

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2021年阪大日本史第1問答案例

答案例①…山川『詳説日本史』ベース
奈良時代、仏教が社会に根づく中で、神社の境内に神宮寺を建てたり、寺院の境内に守護神を鎮守としてまつったり、神前読経が行われるなど、神仏習合の風潮が見られたが、平安前期には、この傾向が広まり、その影響で神像彫刻が制作され、神の偶像化が進んだ。平安時代中期には、神は仏が仮に形を変えてこの世に現れたものと考える本地垂迹説が生まれ、天照大神を大日如来の化身と考えるなど、

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2021年阪大日本史第2問答案例

承久の乱以前、幕府は東国を実質的に支配する一方、朝廷は西国を中心に強い影響を持ち、朝廷と幕府の関係は相互に独立的であった。承久の乱の結果、幕府は三上皇を配流し、朝廷の監視や西国の統括を担当する六波羅探題を設置して、没収した院方所領に御家人を新たに地頭に補任した。このため、畿内・西国における幕府の支配力が強まり、朝廷は治安維持や軍事力を幕府に依拠するようになり、以後、幕府は皇位継承や朝廷の政治に介入

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2021年阪大日本史第3問答案例

天明の飢饉によって、農村から多くの人々が都市へ流出したことにより、農村が荒廃した。幕府は飢饉で荒廃した農村を再建するため、代官を刷新して幕領の支配を強化し、公金を貸し付けて耕地を復旧させた。また、村からの出稼ぎを制限するとともに、農村から江戸に流入した者に資金を与えて帰農を奨励する旧里帰農令を発令して、江戸での打ちこわし防止と農村人口の確保の両立を図った。飢饉対策として、綿や菜種以外の商品作物の栽

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2021年阪大日本史第4問答案例

初期議会において、藩閥政府と対立する民党は予算を大幅に削減して地租の減税を主張したが、建艦詔勅で妥協した。日清戦争後、対露軍拡を実現するため、議会の協力が必要な藩閥政府は民党と積極的に提携したが、軍拡の財源をめぐり地租増徴が政治課題となると、これに反対する民党の自由党と進歩党が合同して憲政党を結成し、初の政党内閣である第1次大隈重信内閣を成立させた。その後、成立した藩閥の第2次山県有朋内閣は旧自由

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2020年阪大日本史第1問答案例

倭国は朝鮮半島南部の加耶諸国と密接な関係を持ち、鉄資源を確保していた。そのため、4世紀末以降、半島北部の高句麗が南下策を進めたのに対し、百済・加耶とともに高句麗と交戦していた。5世紀には、中国皇帝の権威を利用して、朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため、中国南朝に朝貢していた。こうした朝鮮半島・中国との交渉の中で、倭国は朝鮮半島からの渡来人を通じて、先進技術や文化を摂取し、彼らを積

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2020年阪大日本史第2問答案例

9世紀以降、東北地方は律令政府の支配下に入っていたが、11世紀に入り、陸奥国の豪族安倍氏の勢力が強大となり、国司と争っていたが、源頼義らによって滅ぼされ、頼義に協力した出羽国の豪族清原氏が陸奥・出羽国双方に勢力を拡大した。清原氏の内紛から発生した後三年合戦の後、源義家とともに内紛を抑えた藤原清衡とその子孫が平泉を拠点として、東北地方を支配した。12世紀末に源義経を匿ったことを理由に源頼朝は奥州藤原

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