2022年阪大日本史第2問答案例

鎌倉時代は鎌倉幕府と朝廷が並立する公武二元の状況にあり、両者の関係は承久の乱以降、幕府優位の状況にあり、朝廷は院政が一般的だった。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、幕府・院政・摂政・関白を否定し、従来の家格を無視した人事を行い、綸旨による所領安堵を打ち出すなど公武双方の慣習を否定して、天皇への権力集中をはかったが、殺到する恩賞や所領安堵の要求に対応できず、政権内の複雑な人間的対立が政務の停滞や社会の混乱を招き、武士を中心に失望感が広がった。(221字)

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