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「好かれる」は「ただの収入」、「愛する」は「資産」。「支出」じゃない。

人に愛されることよりも、自分が愛しているものに注目するほうが幸福感は高い気がします。少しこんな感じに置き換えてみます。

「夜眠る前に思い出してよりよく眠れるのは、自分の稼ぎの多さではなく、自分の財産の多さではないか

と。


愛情ってこれと結構似てるなと思います。

例えば素敵な恋人がいて、結婚を考えているとします。

その時に「そういう相手が自分の人生の中にいてくれること」に集中するのと

「その人に20年後も愛されるだろうか」と考えるのでは、幸福感は前者の方が高いはずです。

仕事から得る収入について考えると、マインドマップ的には「新たに何か買えないかな」という欲望や「ずっとこの調子でいられるかな」といった類の不安にも繋がります。でも労働から得た自分の財産に集中するとすでに買ったものに意識が行きますから、いい意味での自己完結感や、充足感があります。


人間を愛する ーこれは広義の意味での表現ですがー ということも、相手に愛されているだろうかと考えるより、自分が愛している人たちのことを考える方が幸せです。

近所に住む話の合う教授がいます。先日彼女がうちである本の話をしてくれたので、すぐに買って読みました。この時僕はこの(広義の意味で)愛する知人のために全く惜しみなくお金を使って本を買い、一日かけて全部読み、彼女の好みを垣間見ることで彼女をより理解した気分になりました。愛するということはきっと全く惜しみなく(お金というよりも) 時間を割いて、もっと相手のことを知りたい、相手の価値観が見たい、と思えることなのだと思います。もちろん無理してそんなことしなくていいと思います。無理やりそうすることで関係を向上させるというアプローチを僕は全くお勧めしません。そもそもこの話のポイントは、「そういったことが難なくできるような相手が自分の人生にいるかどうか」ですから。いなければ、あくまでも現れるのを待つばかりです。0か100かの話です。

僕にとっての財産はそのような対象が自分の人生にいてくれることに他なりませんし、一方で彼女にとっても、そのように自分自身に関心を持つ僕のような知人がいることは財産です。別に恩着せがましく言っているわけではありませんよ笑 あ、でも考えてみれば、僕は彼女にどう思われているだろうか、ということは考えたことがありません。まぁ、来てくれるんだからもちろん悪く思われてはいないでしょうけど。

また、僕はメッセージのやりとりなんかを兄妹や家族、数人の友人と日常的にしています。近年はURLを送りあって「読んでみて」だの「1:29:43あたりから観てみて」というやりとりをしたりしていますが、これに時間を割いたり割いてくれたりすることもやはりある意味で人間として愛しているからそうし合っていると思います。「不動産の儲け話のカラクリが解説されてるから見てみてねー」とあまり親しくない人から動画を送られても、やっぱり正直見れないです(もっとも、僕の友人・知人は怪しい儲け話を持ってくる系ではないのですが)。やはり時間がかかることをする、しない、には愛情が前提にある気がします。そして僕はそういった愛情が抱ける人たちが自分の人生にいてくれることが財産だと思うととても幸せな気持ちになるわけです。

主に人間について話しましたが、当然、自分の物や好きな場所に対しても同じように考えています。故障して道で動かなくなった愛車は1キロ先まで自分で押して歩いてもちっとも苦になりませんし、忘れて来たことに気づいて1時間かけて置き忘れた場所まで取りに戻れるカッターナイフを持っていることも、僕の立派な財産で、僕は満遍なくそういった愛用品のことも日々ある程度の時間、(過去のブログでご存知の通り?)やはり考えながら暮らしています。


若い人に向けてちょっとしたお節介を最後に書いて今日は終わりにします。

特に私生活では、あなた自身の良さを理解してくれている人にだけ、あなたのために時間を使ってもらうように注意してみてください。正直それ以外の人からしたら、僕もあなたもその人にとっては風景の中の一人に過ぎないはずだから、と僕はいつも思って生きています。


( 文・西澤伊織 / 写真・gaqzo_michaelさん )

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