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"@"の意味について考える

英語の"at " とは「その場所に(いる)」という意味ですが、ここから二つのお話をすることが出来ます。

一つはEメールアドレスなどに使われる"@(アット(マーク))"。

そしてもう一つがSNS上のアカウントとしての"@"です。


僕の仕事用に長年使用している現・会社のメールアドレスは Hello@chamber.tokyo といいます。"Chamber" は僕の個人事業主時代の屋号から来ていまして、今でこそ領収書を作成してもらいやすいように株式会社WADACHIと名前が変わっていますが、当時もう一つ同時並行してChamberと共に存在していた事業の屋号は "Break a leg (ブレイクアレッグ)"というものでした。どちらも日本でビジネスをするには非常に覚えてもらいにくく(大抵、どういう意味?からスタート→説明→読み方→...笑)、20代の人間が自己満足的に名前をつけると後々苦労するんだなと思い、ChamberとBreak a legが両方動いているし、それを車輪だと考えて、まぁ車輪の跡の「轍(わだち)」→WADACHI、と名前を変えて法人化し、今に至ります。

少し話が脱線しましたが、このメールアドレスの@とはまさしく「Chamber.tokyoにいるよ(at)」という意味です。なので僕は有料のドメインを使っていますが、意味的にも、「その事業(Chamber)は東京にありますよ」という意味で .tokyo を採用しています。

ですから例えば@docomo.ne.jpというと「日本の(jp)、通信端末上の(ne)、docomo(管理業者。ビルに相当?)の中に(この住所は)あります」を指しています。僕でいいますと三鷹市井の頭(納税地)、東京、日本、にあたる部分がこちらに相当するということです。

そう考えるとメールアドレスさえ伝えていれば、「自分がどこにいようとも、そこにEメールを送ってもらえさえすれば、こちらは受け取れますよ、わたしのweb上の住所はここですよ」ということをEメールアドレス(Eメール住所)は言っているわけですね。であれば企業の広告も、以前はチラシの形をとっていたと思いますが、ここに送れば時間と郵便コストが節約できる。仕事のやりとりは出向くか郵送、電話、そういった方法をとっていましたがかなりの量の資料さえもこの住所に送れば、仮に相手が出社していなくても受け取ってもらえるだろう、そういった利点から普及してきたと考えることが出来ます。


そしてインスタグラムアカウント、ツイッターアカウントなどのSNS上のアカウント名の前に来る"@"。これは先の@の用法とは異なり、「これがわたしです」という意味合いです。

違いをもう一度振り返りますと、

@ドメイン(例 docomo.ne.jp) → わたしはこの中にいます

@アカウント名 → これがわたしです

ですから例えばツイッター上で @iorinishizawa と言えば「ツイッター上では、これがわたしです」 という意味合いになってきます。

そうすると何が起こってくるか。僕は個人的にここが興味深いと思うんですが、

個の概念が尊重される欧米では、例えば海外のTVニュース、報道、ウェブ新聞記事、の発言者は誰か、執筆者は誰か、その名前が必ず出ます。日本でもワイドショーなどのゲストなどはこのような表記が出てくることが一般的ですがこれは「クレジット」という概念で、「この仕事をしたのは自分です」ということを表に出して実績が全て記録されるようにしています。そしてその名前の記載されたテロップに付け加えてツイッターロゴ+@名前が出てきます。ご存知でしょうか。日本だと例えば 朝のニュースに「養老孟司」先生が出演したら、その下に大抵「解剖学者」や「東京大学名誉教授」が出てくるところに海外メディアではそれに加えてツイッターアカウント名が出てくるわけですね。

日本社会では「名前が出ないから新聞記者は好きなこと書いてる」としばしば新聞が批判されますが、各々の記者は社論の執筆を担当しているだけなので日本流に考えると別に名前が出てこなくていいんですね。でも、その記事がひどければ新聞社に苦情がきますし、新聞社が訴えられたりするわけです。お気づきかもしれませんがこれは非常にメールアドレス的な@概念の中で起こっていることです。

一方SNSアカウントが名前の下に表記される欧米式のこの仕組みが果たす機能は「意見箱を自分自身で設けています」ということです。ですから仮に苦情があったとすれば、局や新聞社ではなくライター、キャスター、司会者、こういった個人に視聴者・読者からのコメントが集中しやすい構造が出来上がるわけですね。すると今度は彼らを雇用する局、新聞社が視聴者・読者の意見を十分に回収できない状況が生じます。するとどうなっていくかというとアカウント主がクレームを隠蔽しやすい、上司の指摘から成長することが出来にくい、という側面が生まれます。俳優で言えば少しわかりやすいかもしれません。視聴者から「〇〇さんの演技は嘘っぽくて見るに耐えないな」という意見(苦情)があったとします。これがテレビ局に届けば運営側は今後の人選の参考にしたり、「このような声が視聴者から届いているよ。少し考えてほしい」と品質の改善を出演者に促せるかもしれません。しかしこの声が直接出演者(俳優)に届く構造の中では、この俳優は①(膨大なDMに)悩み苦しむ か、②無視して改善を怠る、のどちらかを取る可能性が出てきます

ですから一昔前の「メルアドを聞いてもいい?」などと異性に勇気を出して尋ねていた@時代からSNSの@が誕生した時代、そしてそれをメディア上でも主流としていこうという動きがある中で、@の持つ意味合いは変化してきていると僕は感じています。皆さんは、どう思われるでしょうか。

この記事のご意見、今後の記事のテーマのリクエストなどもしあれば、弊社@chamber.tokyoのほうではなく下の「コメント欄」のほうをご使用ください。もちろん別件のご用件は弊社Eメールの方をぜひご利用ください。最後まで読んで下さりありがとうございました。

そうでした、書き忘れるところでしたが前回の記事のチョコレート問題の答えは「ひねって割る」です。実はお一人だけ、正解が届きました。


Email: Hello@chamber.tokyo

代表: 0422-77-0691

( 文・写真 / 西澤伊織 )




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