読書は自分のためでもあるけれど

今日の午後、西荻窪の駅前で長年文房具店を営んでいらっしゃる奥様とお話ができました。その奥様は元々鎌倉出身だったので、

「そういえば、小川糸さんのツバキ文具店という小説をお読みになったことはありますか」

と伺いました。小説・「ツバキ文具店」は鎌倉で文房具店を継いだ若い女性の物語だからです。

「いいえ、まだ読んでいません。でもきっと読みますからもう一度本の名前をおっしゃって」とメモ用紙を渡してくださいました。

可愛らしい木の年輪のプリントが施されたブロックメモに本の名前を書いている間、僕自身はそれほどツバキ文具店にこれまで思い入れがあったわけではない事を思い返していました。

自分が大好きなものでなくても、誰かはそれを気に入る可能性は何事にも大いにあります。僕は鎌倉に教え子がいたり、扇ヶ谷の方にお住いの教授のおうちに遊びに行かせていただいたことがあるので鎌倉は全く知らない土地というわけではないのですが、「もし鎌倉に詳しい人がこの本を読めば、もっと楽しめるだろうなぁ」と思いながら読んでいました。そこにご自身も文房具屋を長年営んでいらっしゃる鎌倉出身の方がいたら、僕からしたらその本は彼女のためにあるようなものです。

ですから読書をするときは、まず第一には自分のために読むわけですが、もう一つには、きっと誰かにぴったりな本かもしれないという気持ちをしおりのように自分の心に挟んでおきたいものです。


( 文・西澤 伊織 / 写真・yonetakuさん )


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