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スモーラー・ザ・フード・イズ ,

ある知人が、極力食べ物はあらかじめ小さく切れている方が好ましい、といった趣旨の話をしてくれたことがある。してくれたというか、その時は内心少しばかりバカバカしくすら思えた。ナイフがあれば好みの小ささに切ることはいくらでもできるし、「お店の人に切っておいて欲しい」というのはまるで子供のようなリクエストではないか、そう思った。


しかしながら時を経て、食べやすく且つサラダドレッシングがより絡みやすいのは少し必要以上に切り込んだ野菜だということに数年後に気がついた。そしてその時「そういえば彼が確かそんなことを言っていたっけ」と思い出した。

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去年のまだ世間が今ほど外出しづらくなかった頃、家族と京都のとんかつ屋でご飯を食べて帰ってきたことがある。その時はさっと食べ終われるようにあまり大きなとんかつを注文しなかったのだが、出てきたとんかつはこじんまりとしている割にある程度大きくカットされていて、確かに小さく切られている方が好ましいかもしれないとその時も思った。

現在その話を自分なりに「確かに食べ物は少し小さめに切られている方が良いだろう」と不思議にも彼の考えに賛成しているわけである。数年前の自分はその考えに対して否定的だった、のにだ。反対から賛成にひっくり返るのに必要だったのはたった二つの実例だけだ。

今後なにかのとき相手から反対意見があらかじめ想定できるような場合、たった二つでいいからメリットが伝わる例を添えて伝えようといま思っている。

数年前のわずかな何気無いその人の意見が、人と関わって行く上で今後も役に立つであろう方法論に気づくきっかけを与えてくれたことに、切り込まれた美味しいサラダを今日も食べながら感謝している。


( 文・写真 / 西澤 伊織 )

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