戸部井

心理学サークル『深層心理の海を泳ぐ』のアカウントです。心理学や脳科学、エニアグラムにつ…

戸部井

心理学サークル『深層心理の海を泳ぐ』のアカウントです。心理学や脳科学、エニアグラムについて、日々の気づきや思考を記事に起こしています。4w5/intp-A

最近の記事

放送大学の「入学者の集い」に参加してきた

登録している学習センターから電話があったのは、三月も末の頃。入学生代表挨拶をやってみまんせんか、といった内容だった。少しだけ「いやだな」と思った直後に頭の中を強制終了する。今年の私は、去年の二乗は挑戦をするのである。嫌なことや面倒なことこそ逃げずに向き合う。結果は自ずとついてくるし、私には私にしかない経験がある。それはまごう事なき才能だ。そんなポジティブマインドによって頭の中を再起動し、代表挨拶への挑戦をその場で快諾した。私に声がかかった理由こそ「入学者の集いの参加連絡が、一

    • 「傷ついた分、人に優しくなれる」論

      結論からいうと私は他人に関心がないし、困っている人がいても積極的に助けたいとは思わない。薄情と思われて構わない…というか、実際に薄情な人間なので仕方ない。私は世の中にある「こういう人であるべき」という雰囲気に屈するのをやめた。 私自身、長い間ひどい傷を抱えたまま生きてきた。ゆえに、似たような境遇の人に出会えばその人の気持ちを汲むことができる。ただそれは同時に、自分がやってきた「己と向き合うことで、問題を解決させられる」という真実を突きつけたい気分にさせる。しかし、多くの場合

      • 健全と不健全の「6w5」

        身近に不健全なタイプ6ウィング5がいるのだが、私はいつも、その人物に辟易とさせられている。特定のタイプに対して苦手意識を持つべきではないが、私は一時期、その人物のせいで「タイプ6アレルギー」を患っていた。(現在その症状はなくなっている。)それと同時に最近「あの人もタイプ6、しかもウィングは5か」と閃くことがあった。その人は正真正銘の健全レベルであり、タイプ6についての洞察を上げるのに、大きな貢献を齎してくれた。 メジャーリーガーであったイチロー選手を知らない日本人を探すこと

        • 映画「変な家」と夏井先生の句会ライブ

          冴え返る朝、電車に揺られ、水戸駅を目指す。車内は小学生や中学生で溢れかえっている。そうか春休みか、と、その時に気づく。 中学生の女の子は、ここ十年ぐらいで大人っぽくなったなぁという印象。頭が小さくて足が長く、身にまとう洋服も、二十代の女の子と大差ない。それに、みんな垢抜けていて綺麗だ。でも男子はというと、男子、なんだよなぁ。中学生ぐらいの男の子達は、スマホでゲームをしながら電車に揺られていて、いかにも初々しい。他にも予備校生とか大学生とか、医学書を読んでるおじいさんとか、春色

        放送大学の「入学者の集い」に参加してきた

          厄介事から身をかわす「そうなんですね」

          大々的な活動をしているわけではないが、心理学で発信や創作をしていると、「突然相談をされる」「自分の気持ちを吐露される」「贖罪を嘆き懺悔をされる」「一方的な意見を聞かされる」「心の闇の開示をされる」といった体験をする。滅多にないことではあるが、少なからずこの数年で数回はそういった体験をしている。別にこれらを「嫌だ」と感じているわけではないが、時々どうしようもなく「めんどくさいな」と思うことはある。それはなぜかといえば、「相手が何を伝えようとしているのか分からない」ことに集約され

          厄介事から身をかわす「そうなんですね」

          自分の人生は自分次第

          私は毒親生まれ機能不全家族育ちだが、それを乗り越えることができた。こういった話をすると「毒親といってもマシなほうだったのでは」とか「本当にひどい虐待を受けた人は乗り越えるのが難しい」とかなんとか言われることもあるが、いちいち比較する人間の気が知れない。私が体験した傷の深さは外側からでは測れない以上、とやかく言われる筋合いはない。 私の愚痴はさておき、自分の人生を「良いもの」にするのか「悪いもの」にするのかは、本人次第なのだなぁとつくづく感じている。というのも、同じ環境で育っ

          自分の人生は自分次第

          「引き寄せの法則」を実感する

          「引き寄せの法則」に関する書籍はたくさん読んだし、動画も何本も見た。それは「現実から逃げよう」「盲信して楽をしよう」といった軽はずみなものではなく、心理学の勉強を続けていれば自ずとスピリチュアルに辿り着く、といったことでしかなかった。臨床心理について学べば「アダルトチルドレン」「愛着障害」「インナーチャイルド」といった言葉に触れるのはごく自然なことで、そういったことを知るために読んだ多くの本で「愛」「宇宙」「癒し」といった、少し曖昧で、どこかこぞばゆい言葉に遭遇する。仮にこれ

          「引き寄せの法則」を実感する

          商業漫画に挑戦していた頃の話

          2022年の冬コミで『33歳、商業漫画に挑戦中です!』というタイトルの、エッセイ漫画を発行した。これはその時のことを振り返る、後日談のようなものだ。 【『33歳、商業漫画に挑戦中です!』あらすじ】 20代に入った頃の私は、二次創作に出会い同人活動をはじめる。様々な人との交流の中で「商業漫画に挑戦する人」「商業漫画で活躍する人」との出会いが増え、自分にもその願望があったものの、失敗を恐れ挑戦できず、そしてそのような自分を恥じ、嫉妬をこじらせてしまう。肥大化する自分の感情に苦し

          商業漫画に挑戦していた頃の話

          ハーディネスとレジリエンス

          春から放送大学に入る。かねてより求めていた「本格的な心理学の勉強」を始める。それを機に私は、BSで放送をしている放送大学の授業を視聴しているのだが、個人的に面白いと感じるのは「レジリエンスの諸相」であった。(本科目は次学期より「レジリエンスの科学」という名称に変更される)私は以前より「メンタルの強さには二種類あるのではないか」と考えていたのだが、それについての一つの解をここで得ることとなる。 まず困難や苦境からの回復を意味する「レジリエンス」と、困難や苦境を跳ね返す力を表す

          ハーディネスとレジリエンス

          「嫌われる勇気」

          「誰かに嫌われる」というのは、万人に等しく与えられる体験でしかないが、ここ最近の私は、特定の誰かが私を嫌っていると察した時に、「それはその人の問題でしかない」とつくづく感じるようになっている。人生において誰かに嫌われることは至極当然のことで、ごく自然な流れの一部でしかない。 最近、短期バイトや単発バイトを始めている。予定がなく非生産的に過ごしがちな休日に、数時間でもアルバイトをすることで「お金を稼ぎたい」「有り余るエネルギーを他者や社会に還元したい」「精力的に様々なことに挑

          「嫌われる勇気」

          C103ありがとうございました!

          暖冬も暖冬です。都内の各所にて「散り切れないイチョウの葉」を目の当たりにし、驚愕。春の訪れを想起させるような柔らかい日差しや、湿気を帯びた生暖かい風に「上着いらんやん」を幾度となく繰り返した12月31日。こんなに暖かい冬コミは初めてだった。いつかの寒い夏コミより暑かった。静電気が一度も起きなかった。わざわざ新調した魔法瓶はベンチ入りのままだった。髪の毛が湿度でふわふわだった。ヘンテコ冬の陣はじまり、はじまり。 初めて評論ジャンルでサークル参加をしたのが2021年の冬。今回で

          C103ありがとうございました!

          イベント参加のお知らせ!(冬コミだよ)

          夏コミの時期に、noteで宣伝してなかったな~と思ったので、こちらでも告知をします。冬コミは評論・情報ジャンルで参加です。ゆるめの心理学サークルだよ。 2023年 12月 31日(日) 会場:東京ビッグサイト 東5ホール/ハ38b「深層心理の海を泳ぐ」 ちょっと大きいポスターがあるのですぐわかるはず 新刊は二種類あるんだな(既刊もあるです) ・『ゆるいをつくる「どうでもいいか」』A5/p36/500円 ・『今年の読書 2023』A5/p28/500円 通販もやってます→h

          イベント参加のお知らせ!(冬コミだよ)

          血液型で性格を語らんでほしい

          パーソナリティについての分析、それに伴う科学的な研究、ざっくりと分類される「性格」の心理学について、私は深く興味がある。長年解明できなかった「自分」という疑問と向き合う手段としてそれらは実に有益で、冒険に出るための地図か、立ち向かうべき敵を倒すに必要な武器か、長い旅を始めるのに必要な、ある種パートナーにも思える。そういった役目としての知識や学問は、疑問に対する「答え」を導き出すのに必要不可欠な存在であると、日々痛感する。自分自身という「謎」に明確な答えを出すことができれば、そ

          血液型で性格を語らんでほしい

          「絵を描く」こと(タイプ4である「私」への手記)

          自分の人生の目的、ともすれば「生まれてきた理由」などといった大それたことを謳う時に、私は「絵がすべて」と高らかに宣言し、「絵を描くために生まれてきた」「それが生きる意味だ」と何度も何度も言葉にしてきた。幸福ではない家庭に生まれ、ネグレクトとも思えるような環境下で育ち、唯一私が「私でいられる」と思える、安全基地として存在していたのが、「絵を描くこと」や「絵を描いている時間」だけであった。 幼少期から「欠落」を与えられ、「欠陥」を抱きながら成長し、学生生活で挫けた時は、自分の描

          「絵を描く」こと(タイプ4である「私」への手記)

          タイプ4から見たタイプ4

          私はエニアグラムの「タイプ4」であるが、「自分以外のタイプ4」を見定めることが得意ではなかった。芸能人や架空のキャラクターなどにおけるタイプ4については、俯瞰した視点で観察や判断をしていたが、日常生活で出会う「恐らくタイプ4である人間」に対しては、これといった判断材料、決め手を持ち合わせていなかったのだ。4以外のタイプであれば、おおよそのパターンを把握し、話し方や言葉選び、様々な場面における反応や態度、表情や仕草から該当者のエニアグラムタイプを推理するができ、その上で考察や検

          タイプ4から見たタイプ4

          人間の分岐点

          重大な決断を強いられるような場面は、生きていても滅多に発生しない。自分自身の今後の在り方に大きく関わる、人生を揺るがすような選択は、百年生きたとしても数回あるかどうかであろう。 しかし、人間の成長を促すような選択は、常に小刻みに発生しているのではないか、と考える。日常の些細な出来事、日々繰り返す小さな選択によって、それまで直進していた自分自身の在り方が数度傾くのだ。そのわずかな屈折の連続が、数か月か、あるいは数年単位で俯瞰して見た時に、大きな曲線となり進路を変え、見える景色そ

          人間の分岐点