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ハーディネスとレジリエンス

春から放送大学に入る。かねてより求めていた「本格的な心理学の勉強」を始める。それを機に私は、BSで放送をしている放送大学の授業を視聴しているのだが、個人的に面白いと感じるのは「レジリエンスの諸相」であった。(本科目は次学期より「レジリエンスの科学」という名称に変更される)私は以前より「メンタルの強さには二種類あるのではないか」と考えていたのだが、それについての一つの解をここで得ることとなる。

まず困難や苦境からの回復を意味する「レジリエンス」と、困難や苦境を跳ね返す力を表す「ハーディネス」という言葉があり、それらはレジリエンス=凹んでも元に戻るプラスチックのカップと、ハーディネス=落としても傷がつかないステンレスのカップとして表現されていた。尚そこには「衝撃に耐えられず割れてしまうガラスのカップ」も比較対象として紹介されており、それらは直結して「メンタル(ハート)の強度」としても言い表せると私は考えた。

同じ環境においても、脆く崩れやすい人と、なんの気にも留めない人がいる。他者から受けた些細な言動に反応し落胆や立腹する者と、同じような言動を受けても、丸で気に留めない人がいる。相手の攻撃を攻撃として受け取らない、ある種鈍感である「屈強さ」は前述した「ハーディネス」であり、また、落胆することがあっても回復することができる「鋭敏さ」は「レジリエンス」と称することができる。メンタルの強さとは、それらのどちらか一方に偏らず、状況によっては両者を使いこなせることにあるのではないか、と私は考える。

メンタルの話をすると、メンタルが強いことを自称する、ただただ攻撃的な人がやって来ることがある。自己正当化のために他者への攻撃や搾取を厭わず、自らの「気持ち」や「我」の強さをアピールしてくる。彼らは他者の弱さに慈しみを投げかけられない。なぜならば、自分自身の弱さにも慈しみを投げかけることができないからだ。そういった者は、残念ながらメンタルの強さとは対極の位置にある。自分自身が”衝撃に耐えられず割れてしまうガラスのコップ”であるがために、割れてしまうことを恐れ、周囲を威嚇することで身を守ろうとするのだ。それはなんとも滑稽で、皮肉である。「私はタフだ」を主張を繰り返すことが、逆説的に、「私の心はガラス製です」という自己紹介になってしまっているのだから。

好奇心で視聴した放送大学の授業「レジリエンスの諸相」から、こうして大きな収穫を得た。四月からの授業を待ち遠しく思う。

一月二十一日 戸部井