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商業漫画に挑戦していた頃の話

2022年の冬コミで『33歳、商業漫画に挑戦中です!』というタイトルの、エッセイ漫画を発行した。これはその時のことを振り返る、後日談のようなものだ。

【『33歳、商業漫画に挑戦中です!』あらすじ】
20代に入った頃の私は、二次創作に出会い同人活動をはじめる。様々な人との交流の中で「商業漫画に挑戦する人」「商業漫画で活躍する人」との出会いが増え、自分にもその願望があったものの、失敗を恐れ挑戦できず、そしてそのような自分を恥じ、嫉妬をこじらせてしまう。肥大化する自分の感情に苦しみ、やがて、好きだった創作活動自体が困難を伴うものとなる。それを救うきっかけとなったのが、エニアグラムや心理学との出会いであり、自分が嫉妬してしまう根本の原因である「自己肯定感の低さ」や「不幸を糧に創作してしまう悪習慣」に気づくこととなる。そういった体験から「心の問題の解決」を経て、ただ取り残されたままであった「商業漫画への挑戦」へ、いよいよ向き合いはじめる・・・といったお話。

結論からいえば、私はもう商業漫画への挑戦をしていない。それは「諦めた」わけでも「逃げた」わけでもなく「納得できた」のだと、今になって強く思う。挑戦をする中で私は、過去の自分が「やれなかった」「できなかったこと」を「やれること」「できること」に変化させていき、本来持っていた力を取り戻していったのだ。それは「挑戦できない私」を「挑戦できる私」に、「逃げてきた私」を「もう逃げない私」に、「負」を「正」に上書きするための試みだったのである。そしてその挑戦を繰り返していくうちに、本当の望みは商業で漫画を描くことでも、プロの漫画家になることでもなく、失敗を恐れずに前へ進むこと、逃げ続けた過去の自分と向き合うことだったのだと、商業漫画に挑み続ける一年半の中で気づき、そして、本質的な願望を達成したのだ。

夢の実現に必要なのは、自分の思考が「したい」「なりたい」から「する」「なる」に変わることにある。私は「商業漫画に挑戦する」という意識こそ強く抱いていたが、実は「プロの漫画家になりたい・なる」と思った瞬間は一切なかった。さらには「本当に私は漫画家になりたいのか?」という疑念さえ抱いており(これは「なれるのか?」という不安ではない)、それゆえに「なりたい・なる」という言葉を、意図的に思考しないようにしていたのだ。いささか不可解にも思えるが、これは「”なる”を唱えてしまえば、それを叶えてしまう」という真実に基づいた、潜在意識からのブレーキだったように思う。嫉妬が招いた執着心が、その歪みを「自分自身の夢」「私が本当に叶えたいこと」と錯覚させていただけで、本質的に達成したい夢ではない。これは仮に私がプロデビューをし、連載などを持ち、人気のある漫画家になったとしても「私のやりたいことって、本当にこれでいいのか?」という疑いをもたらし、心身の不調から強制終了をかけることが大いに予想できる。この一連の流れは紛れもなく「引き寄せの法則」であり、私自身が無意識のうちに、宇宙の仕組みを使いこなしていたことを意味する。

『33歳、商業漫画に挑戦中です!』を発行して、早いもので一年が過ぎた。本作の最後に私は「もうすぐ34歳、新しい人生の幕開け」と記している。34歳の私は様々なことに挑戦をした。失敗や恥を恐れず、結果や見返りに固執せず、純粋に行動を起こし前へ前へと進んでいる。商業漫画への挑戦を機に、負の位置にあった座標がゼロへと戻り、今こうして、正の位置を移動している。

もうすぐ35歳だ。そろそろ結果を引き寄せようと思う。

一月二十二日 戸部井