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健全と不健全の「6w5」

身近に不健全なタイプ6ウィング5がいるのだが、私はいつも、その人物に辟易とさせられている。特定のタイプに対して苦手意識を持つべきではないが、私は一時期、その人物のせいで「タイプ6アレルギー」を患っていた。(現在その症状はなくなっている。)それと同時に最近「あの人もタイプ6、しかもウィングは5か」と閃くことがあった。その人は正真正銘の健全レベルであり、タイプ6についての洞察を上げるのに、大きな貢献を齎してくれた。

メジャーリーガーであったイチロー選手を知らない日本人を探すことは、至極困難であろう。彼はまぎれもなく「タイプ6ウィング5」である。リソのエニアグラムにその名前があがっているのだが、私は「イチローはタイプ1だと思う」と、誤った推理をしていたが、イチローはまず間違いなくウィング5のタイプ6だ。なぜそう気づけたかといえば、彼の今だ止まぬ活躍ぶりからである。五十代になった今でも現役時代と同じルーティンをこなし、女子高生チームとの試合では投手を勤めている。もし彼がタイプ1であれば、指導者にまわることや、野球協会に属し、裏側で活躍する人間となっていたように思うし、スーツを着て解説者になったり、本を執筆している可能性だって有り得そうだが、それが、まさかユニフォームを着て、今でも白球を追いかけているなんて、と。
中学時代に出会った教師に、そんな、イチロー選手にそっくりな人がいた。彼は数学教師でありながら、国語の免許も持っているちょっと変わった先生で、長距離ランナーでもありフルマラソンを趣味としていた。新聞の投稿欄に自分の出来事を投書し、たびたび掲載されており、それは私が中学生だった二十年前から今現在も続いている彼の「ルーティン」だ。彼は教師を辞めたのちに図書館に勤め、現在は塾を開いているらしいのだが、これが私の中でどうも「イチローと同じだ」という思考回路を生み出してしまう。なんて健全度の高い生き方なのだろうか。私の身近にいるいつも溜息ばかりつく不健全なタイプ6は、ゲームをすることや動画を見ることに一日の多くの時間を費やしているのに…。不幸なルーティンで浪費を繰り返す、不健全なタイプ6がこの世界に存在する一方で、幸福なルーティンで投資を続ける、健全なタイプ6もちゃんと存在している。同じパーソナリティであるはずなのに、それは到底「同じ」に見えない。不思議でしかない。
この光と闇のタイプ6ルーティンを見比べて思うのは、健全なタイプ6も誰かや何かに追従するが、それに追従する自分に対して確固たる信念があるのだな、と解釈できるということだ。不安があるのなら、不安がなくなるまで準備、行動をする。頭の中で考えた筋道を、疑うことなく一つ一つこなしていく。昔、イチロー選手が「人が僕のことを努力せず打てると思うなら、それは間違いです」というような言葉で、自分は天才ではないのだ、と語っていたことがある。私がイチローと重ねる中学時代の先生は、卒業アルバムの寄せ書きに「人間に与えられた最大の力は、努力です」と残してくれている。私は彼らの共通点を知っている。彼らが見ている景色を、想像することができる。

毎朝溜息をつきながら、背を丸めてゲーム動画を見ている人…私の兄は、彼らと同じ力を秘めているはずなのだが、残念ながら兄は自分が信じたものさえ疑ってしまうようだ。何度も叩いた石橋を渡ることはまずないし、叩きすぎて割ってから「叩かずに渡れば良かったかな」と言い出すような、ちょっと可哀想な人なのだ。
エニアグラムが教えてくれるこの世界の秘密は、とても面白い。健全であっても不健全であっても、その人の本質は変わらないのに、どうしてこんなにも明暗が分かれてしまうのであろう。その不可思議を言語化したくて、またこうして記事に起こしてしまう。

三月三十一日 戸部井