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「引き寄せの法則」を実感する

「引き寄せの法則」に関する書籍はたくさん読んだし、動画も何本も見た。それは「現実から逃げよう」「盲信して楽をしよう」といった軽はずみなものではなく、心理学の勉強を続けていれば自ずとスピリチュアルに辿り着く、といったことでしかなかった。臨床心理について学べば「アダルトチルドレン」「愛着障害」「インナーチャイルド」といった言葉に触れるのはごく自然なことで、そういったことを知るために読んだ多くの本で「愛」「宇宙」「癒し」といった、少し曖昧で、どこかこぞばゆい言葉に遭遇する。仮にこれらの言葉に苦手意識を持ち、より具体的で科学的な視点で学ぼうとしたところで、精神医学であれ脳科学であれ自己啓発であれ「言葉は呪いになる」「引き寄せは科学的にも認められている」「思考が現実を創る」といった内容の本は多く出版されている。「スピリチュアルを全て受け入れろ!」とまでは言わないが「科学的じゃないとイヤだ!」と突っぱねる人の逃げ場は、もうどこにもないのではないかと感じる。降参してしまった方が早い。私自身、白旗を揚げた時から視界が明瞭になった。

昨年の一月、家事をしている際に一つの句が浮かんだ。元々「俳句をやってみたい」と考えていたが、勉強を始めるまでには至っていなかった。しかし、一つの句を閃いたことをきっかけに、私は歳時記を購入し、俳句の勉強をしはじめ、幾つかの句を作り、その勢いのまま「伊藤園 新俳句大賞」に投句をしたのである。閃きから投句まではたった10日間の出来事であった。その時の私はなぜか、家事をしてる際に閃いた句が”選ばれる”ような気がしていた。現にその句は選ばれ、3ヶ月後には「一次審査通過のお知らせ」が届き、9ヶ月後には賞状や私の句が印刷されたお茶が届くこととなる。私は、引き寄せについて述べられたあらゆる情報で目にする「宇宙にオーダーをする」「叶ったイメージをする」「オーダーを忘れる」「楽しみながら待つ」「願いが叶う」を、知らず知らずのうちにに達成してしまったのである。

それまでの私は、引き寄せの法則についてすんなりと理解できていたものの、「実際に叶い始めている」という実感がなかったために、長い間半信半疑だったように思う。(ゆえに”半信半疑の現実”を引き寄せていたのだ)これは、今となっては「不幸も幸も全て自分で発したエネルギーで、それが終始叶い続けていたのだ」と、真に納得できた体験でもある。心の傷が癒えていない私だったら、どんなに自信のある俳句ができたとしても、「入賞しなかったら凹むから」「評価される自信がないから」と、投句することができなかっただろうし、ましてや新俳句大賞は”本名が掲載される”という、人によってはリスクを感じる応募条件となっている。私自身、自分の本名や住所のある市町村が印字されることへの恐怖心は少なからずあったが、「後ろめたいことは何もない」と、恐怖心と向き合ういい経験になったことも覚えている。

引き寄せの法則は、心の傷が癒えていなくては使いこなせないのだと、身を以て知った。これは逆説的に「心の傷が癒えれば、どんな願いも叶えられる」ということだ。それは「心の傷が癒えれば、恐れずに挑戦し結果を出せる」ということであるし、さらには「心の傷が癒えれば、本来持っていたアイデアが戻ってくる」ということでもある。入賞した俳句はそんな、本来持っていたアイデアがもたらしたものなのだ。

一月二十六日 戸部井