亥之子餅。

趣味で物語を書いています。 * これまで美しいものにたくさん出逢ってきました。それ…

亥之子餅。

趣味で物語を書いています。 * これまで美しいものにたくさん出逢ってきました。それを満足に言い表せないもどかしさも、たくさん経験してきました。 だから、小説を書き始めました。これから出逢う綺麗なものを、誰かに分けてあげられるような。そんな言葉が、書けるようになりたいのです。

最近の記事

Kiss the Rain

 この世界において、雨はもはや恵みではなかった。  放射性物質に汚染され、舞い上がる粉塵を孕み濁った水が、鉛の雲から槍のように降り注ぐ。直に浴びようものなら、十日と保たずに死に至る。  人々はそれを「死の雨」と呼んだ。  その雨で草木は枯れ、得体の知れない化け物が荒野を跋扈した。  生き残った人類は、成す術もなく、雨が降れば屋内に籠ることを強いられた。川も海も汚染され、研究者は浄水技術の開発に明け暮れたが、どの技術は完全とは言えず、至る所で奇病の報告が相次いだ。  誰

    • 電子の海

       ――――西暦2094年、香港。  科学の発展により、あらゆる物資やインフラが電子的に制御された時代。ホログラムと超高層ビルが屹立きつりつする、世界屈指の未来都市。  その夜、遥か上空を見上げ、人々は目を疑った。 「お、おい……なんだあれは!?」  ――――それは、突如として現れた、巨大なクラゲ。  狭く窮屈な空を覆いつくさんと横たわるその全長は、優に1kmを超えている。青白く発光する長い触手を伸ばし、悠々と夜空を漂う。  報道機関のヘリやドローンが、けたたましいプロ

      • 掌編小説『星を集めて』

         その日は家族で海に来ていた。 「ねぇパパ、ママ、見て! お星さま落ちてた!」  4歳になる娘が興奮した様子で声を上げる。  その手に握られていたのは、丸くて半透明なライトブルー。  ――――シーグラスだ。 「ははっ、お星さまか! ほんとだなぁ!」 「持って帰ってもいい?」 「ああ、いいぞ。だけどちゃんと洗ってからな」  娘の表情が、ぱぁっと晴れ渡る。嬉しそうにシーグラスを太陽にかざした。  水面のような澄んだ青色が、娘の顔にゆらゆらと揺れる。 「私も昔、お星さまっ

        • 掌編小説『まとも』

          「本当に……先輩はさすがですね」  新人研究者の高木が、パイプ椅子に座りながら呟く。  ここは、様々な団体の依頼を受けて研究開発を行う化学研究所。  ピペット、培養器、シーケンサー……いろいろな器具が小綺麗に整頓された実験室に、ヴーンという機械の作動音が鳴り響く。  高木の声の向く先は、彼の直属の先輩である条原だった。 「どうしたんだい、急に」 「ああ、いえ……先輩は新薬の開発に熱心で、研究の計画にも抜かりなくて、こんな遅い時間まで残って実験していて……すごいなあって」

          梟の見た夢 #終「兎の見た空」

          「そうだ、値段決まってない……」  レジの前で、理穂は急に呟いた。困り顔で、フクロウの置物をじっと見つめている。  理穂はさっき、置物は今朝いきなり現れたと言っていた。この置物のことを忘れてしまったのも、つい昨日のことかもしれない。値段が分からないのも当然のことだ。  ……だが、理穂はこのフクロウに、一体いくらの値を付けるのだろう。僕との思い出を失った彼女にとって、その置物はどれほど価値があるだろうか。  それを知ることはつまり、彼女の本音を聞いてしまうことであるような

          梟の見た夢 #終「兎の見た空」

          梟の見た夢 #3「梟と兎」

           あれは、中学三年生のときだった。 「表現したいものを、自由に作ってくれ」  授業の初め、美術の先生が言った。クラスメイトが各々の作業に着手するなか、目の前に置かれた木のブロックに、奏多は深い溜息をついた。  彫刻は、大の苦手なのだ。  ただでさえ不器用なのに、彫刻刀という慣れない道具を使って作品を創れと言われて、僕にできるはずがない。以前なんか、悩みながら彫っているうちに、いつの間にか貰った角材が、全て木屑と化してしまった。  おまけに「自由に」だなんて……その放任な言

          梟の見た夢 #3「梟と兎」

          梟の見た夢 #2「眠りに落ちた梟」

           奏多《かなた》という青年には、幼馴染がいた。  家が近かったこともあって、物心ついた頃には隣にいた。遊ぶときも勉強するときも、気づけばいつも一緒にいた。  その子の名は、理穂《りほ》といった。  幼い頃から、とても聡明な女の子だった。しっかり者で忘れ物もなく、他人想いで正義感が強い。誰にでも明るく社交的に接し、クラスでも常に多くの友人たちに囲まれていた。  間違いなく彼女は、誰もが認める「憧れの女の子」だった。  かたや奏多は、不器用で鈍臭く、引っ込み思案で人と話すのも苦

          梟の見た夢 #2「眠りに落ちた梟」

          梟の見た夢 #1「梟の見た夢」

           彼女は若くして、ひとりでその店を切り盛りしていた。  市街地から少し外れた所にある、小さな雑貨店。温かみのあるモダンな雰囲気のお店で、こぢんまりとした店内には、お洒落な小物やハンドメイド品、日用品などが所狭しと並べられている。  客の入りは、お世辞にも良いとは言えなかった。売上も、生活費を除けば何も残らない。なけなしの貯金を切り崩すような月も、珍しくはなかった。  しかし、そのことは彼女にとって特に問題ではなかった。雑貨店の経営も、生活のためというよりは趣味でやっているの

          梟の見た夢 #1「梟の見た夢」

          スノー・ドロップ #終「種から、新たな花へ」

          「おかえりなさい」  春樹と風間が店の前で私を出迎えてくれた。こんなに寒いなか、急に飛び出した私を心配して、ずっと待っていてくれたのだ。  悴んだ指先を掌で隠すように、強く手を握りしめる。  目と鼻を赤くした私に、風間が何か言おうとした。だが、それを遮るように、私は二人に精一杯の笑顔を作ってみせた。 「花束——あの花束は、最期まで想いを伝えてくれると思います」  二人は少し驚いたように私を見つめていたが、やがてすべてを察したかのように優しく頷いた。  あの男性は、きっ

          スノー・ドロップ #終「種から、新たな花へ」

          スノー・ドロップ #4「落花」

          「素敵なお客さんだったな」  男性が店を出た直後、風間がぼそっと呟いた。 「ええ、何だかバレンタインの由来となったという司祭みたいでした」  もちろん、会ったことないので分からないですけどね。私の言葉に風間は笑って頷いた。 「風間さんはチョコ貰った経験とかないんですか?」 「おいおい、俺だってチョコの一つや二つ、貰ったことくらいあるからな」 「別に疑ってないですって、風間さんモテそうだし」  訂正したが、風間は首を横に振って、深い溜息を吐いた。 「それが全然なのよ

          スノー・ドロップ #4「落花」

          スノー・ドロップ #3「開花」

          ***  ほどなくして、ひとりの男性客が店の中を覗き込み出した。結局一人だけ冷水を飲んでいた風間が、すぐに気づいて声を掛ける。 「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」 「あ、えっと、薔薇の花を…… 」  その男性は見た感じ、二十代後半といったところで、私と同い年か、少し年上のように思われた。優しそうな目元が、どこか春樹と似た雰囲気を感じる。  ベージュのコートに、グレーのマフラー。手袋は付けずに、寒そうに両手を擦りながら、店頭をきょろきょろと見回している。  やや無造

          スノー・ドロップ #3「開花」

          スノー・ドロップ #2「蕾」

           客の入りはと言えば、まあ良い方なのだと思う。普通がどのくらいか定かではないが、個人で営んでいる店で、生活と経営に困らないほどには売り上げが出せているという点で、悪くはないと言っていいはずだ。  とは言っても、当然お客さんが入らない時間もある。  誰か来たときに無人というわけにはいかないので、最低一人は店内にいるようにしているが、正直言ってこの時間は暇というほかない。  店内にいるその一人は、花を愛でたり、花の香りのなかで読書を――これは本当はよくないのだろうが、そうやって

          スノー・ドロップ #2「蕾」

          スノー・ドロップ #1「新芽」

           花は人生そのものだ——誰の言葉だったか、言い得て妙である。  種から芽が出て、少しずつ少しずつ大きくなって、やがて蕾をつける。それは初々しくも力強く、次第に色を濃くしていく。咲くのに良い季節になれば花開いて、その美しさで人々の心を動かす。散りゆく姿も美しい、というのもまた、人間に重ねられる理由のひとつかもしれない。  古来多くの人々が花を楽しみ、愛でながら、花に様々な想いを乗せてきた。感謝や恋慕、愛情を届けることもあれば、弔いや別れを表すこともある。  受け取った側も、そ

          スノー・ドロップ #1「新芽」

          掌編小説『浅葱色』

           突然の夕立に駆け込んだ軒先で、彼女は溜息を吐いた。  天気予報では晴れだった。  急に雲が厚くなってきたと思えば、ぽつり、ぽつりと降り出して、あっという間に街は灰白色に染められた。  せっかく、新しいブラウスに袖を通したというのに。 「ツイてないなぁ……」  濡れてしまった肩をハンカチで拭く。  友人たちとの、待ち合わせの時間が近づいていた。手元の時計の針が、生き急ぐように時を刻む。  でも、この調子だと……。 「みんなも、どこかで雨宿りしてるかも」  そう思った矢先、

          掌編小説『浅葱色』

          掌編小説『偽善者』

           この世は理不尽なことに溢れている。  特に俺は不運だから、その理不尽を被ってばかりだ。  買おうとしていたレジ横の肉まんが、前の客で売り切れる。  取引先に無理な注文を付けられて、丁重に断ったらクレームを入れられ、なぜか俺が上司に怒られる。  会社に遅れまいと懸命に走っても、タイミング悪くすべての信号が赤になり、結局電車に乗り遅れる。それも電車のドアが閉まるのは、決まって目の前。  そんなわけだから、俺はもう現世には期待していない。天国で、あるいは生まれ変わったときに素

          掌編小説『偽善者』

          掌編小説『神様のおねがい』

           その祠を、普通の人は見つけることができない。  ただ心の奥底に、どうしようもなく迷いを抱えた者のみが、祠を探し、辿りつくことを許される。そのような者の前にのみ、それは現れるのである。  何の神が祀られているのか、いつから存在するのか。詳細な情報は一切不明であった。だが、その祠にまつわる、とある噂だけが、ネット上でまことしやかに流布されていた。 「祠の前で祈ると、神に願いが届き、その時の自分が最も必要とするものが現れる」  彼もまた、その噂を聞いてやってきた者の一人だった

          掌編小説『神様のおねがい』