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掌編小説『浅葱色』

 突然の夕立に駆け込んだ軒先で、彼女は溜息を吐いた。

 天気予報では晴れだった。
 急に雲が厚くなってきたと思えば、ぽつり、ぽつりと降り出して、あっという間に街は灰白色に染められた。
 せっかく、新しいブラウスに袖を通したというのに。
「ツイてないなぁ……」
 濡れてしまった肩をハンカチで拭く。

 友人たちとの、待ち合わせの時間が近づいていた。手元の時計の針が、生き急ぐように時を刻む。
 でも、この調子だと……。
「みんなも、どこかで雨宿りしてるかも」
 そう思った矢先、スマホが鳴った。見ると案の定、友人たちからのメッセージが届いている。

《今コンビニで傘買ってるとこ! 十分くらい遅れるかも……》
《とりあえず本屋さんで雨宿りしてます》
《すまん今起きた》
《それは知らん》

 みんな相変わらずの様子で、思わず笑みがこぼれる。

《私も雨宿り。止むまで動けそうにないなぁ……》

 送信ボタンを押してスマホを閉じる。
 もう一度溜息を吐いた。

 空を覗き込むまでもなく、雨が上がる気配はこれっぽっちもない。
 ただそこには、色彩を失った街並み――人通りもなく、哀愁さえ感じる。
「いつまで降るのかな……」
 ぽつりと呟く。しかしアスファルトを叩く雨粒が、言葉を攫って掻き消してしまった。

 自分まで色を失ってしまいそうで、途方に暮れていると、
「あの————」
 突然、透き通った声が響いた。驚いて横を見ると、そこには高校生くらいの女の子が控えめにこちらを窺っていた。白いセーラー服に、絹のように滑らかな髪が揺れる。
「もしよろしければ、これ使ってください」
 言いながら、その女の子は鞄をごそごそと探った。細い腕で取り出したそれを、すっとこちらに差し出す。
「え、これ――――」


 浅葱色の折り畳み傘。丁寧に折り目をつけて畳まれている。

「いやいや、そんな悪いよ。だって借りたとて返そうにも……」
 慌てて遠慮する彼女に、女の子は笑って首を振った。


「返さなくていいんです。それ、人々の優しさが連鎖したものですから」

 そう言うと女の子は、ぺこりとお辞儀をして振り向かずに去っていった。

***

「お、やっときた!」
 雨上がりの待ち合わせ場所で、友人たちが手を振る。
 彼女が駆け寄ると、一人が彼女の手のなかのそれに気付いた。
「可愛い傘だね。新しいやつ?」

 彼女は少し考えた後、自慢げに見せて言った。


「ううん、ずっと前からあるみたい」

 首を傾げる友人たちに、彼女は微笑む。
 次の夕立が、少しだけ楽しみだった。

<了>

2024/02/08 亥之子餅。

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