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「おいしい」のつくりかた

こんにちは、にもです。


わたしは「おいしい」という言葉がすきです。

その理由を、じっくり考えてみました。


「おいしい」には、人それぞれの感覚があります。そのなかに「成功」や「失敗」の絶対的な定義は存在しません。

砂糖のかたまりのような甘いお菓子も、苦味の効いたブラックコーヒーも、火を吹くような辛さのカレーライスも、だれかにとっては美味しくなくて、でもきっと他のだれかにとっては美味しいと感じられるのです。


自分の味覚だけを根拠に、その料理に対して、おいしいとかまずいとか、評価をするのは簡単です。

でも「誰かのつくった料理をたべる」という体験は、誰と・どこで・どんな気持ちで食べているのかによって、感じ方が変わることがあります。

さらに、つくった人の手間や苦労、想いなど、ときに、舌だけでは測れない部分を伝えてくれることがあります。


そんなとき、つい口にしてしまう「おいしい」の一言は、あらゆる理屈を超越した、一種の愛情表現ではないでしょうか。

「おいしい」をはかれるのは、舌だけでなく、きっと心でもあるのでしょう。

この言葉には、甘いも、苦いも、辛いも、すべての感覚を包み込む力があると思います。


そしてわたしは、そんな「おいしい」ものを、(料理というカタチじゃなくても)作れたらなあ。と、思うのです。