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子ども達をおもう大人のレポート

こんにちは!誰もが違うといったことを前提とした教育について、広島からの発信に挑戦しているNPO法人日本インクルーシブ教育研究所です。今回も私(中谷美佐子)が書いています(笑)こちらはNPOのスタッフブログなので他スタッフも書けるようになれたらいいな~と私は思っているのですが、スタッフが「まだ自信がない」のだとか…^^;

当NPOにはいろんな事務方の仕事があって、多様性について発信したり、ブログを書いたり、データをつくったり、新しいソフト導入やホームページなどのデザイン、イラストを描いたり、メール作業もありますから文章を書くことが多いです。商品を選んで注文したり、梱包や郵送もあります。広島市や広島県、教育委員会や法務局へ行くお仕事などバラエティーに富んだ事務作業がたくさんあります。当NPOの事務局はほぼオンライン体制が整っているので、行政に出向く以外はほとんど遠隔で仕事ができます。私達の活動に興味があり事務局ボランティアスタッフに加わって活躍したいなっ!と思われたら、ぜひお声がけいただけると嬉しいです。面談や仕事内容の説明はZoomで行うので移動時間を節約できますよ。その余った時間を有効に使えるといいですね ♪ 連絡はこちらです→ inclusive@jiei.org

さて、前置きがボランティアスタッフ募集みたいになってしまいましたが(笑)今日は第6期学習・発達支援員養成講座ご受講中の方々の中間レポートを紹介します。素晴らしいレポートが本当に多く、全員分、紹介させていただきたいくらいでしたが、ブログが巻物みたいに長~くなりそうだったので6人分でお許しください。同じ講座を受講していても一人一人感じ方や受けとめ方が違うことに気づけて学ぶところが多いので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。 

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6回の講座を終え、率直な思いは、なんと深い事に踏み入れたものだと感じている。パソコンの画面をみながらの受講に考え方や理解も追い付かない講座もいくつかあった。私は現在子どもの支援を具体的にしているわけではないので、内容的に自分の子どもの頃を思い出し重ねながら聞くことも多かった。そのなかでわからない事を質問する事も全くできず、成績が落ちれば当たり前のように塾に入れられ、まだその当時は、答えを間違えば大きなコンパスの角で頭を叩かれる恐怖から逃れるため、必死で数学をしていた事を鮮明に思い出しました。ピアノも習字も親の体罰がこわくやめたくてもやめられない辛さなど。

今人生の半分以上を過ぎ、我が子も社会人となり、このように多様性に気づき、理解しようとする講座に出会えたのはほんとに大きな衝撃でした。きっかけは支えたいと思う人をどうしても理解できないもどかしさを強く感じているとき新聞の広報に飛び付いたのがきっかけでしたが、受講が進む毎に人ではなく、自分の特性や生きずらさの気づきが多くありました。仕事柄自分はもう少しわかっているとも思っていましたがとんでもない勘違いでした。

20年以上前に教員になった友人が勉強はできても不安な生徒をどう支えていいのかわからないと真剣に悩んでいたのを思い出します。生きていくために自立するためにと学習、勉強、そして点数化する試験と当たり前のように思っていましたが、インクルーシブ教育を日本のスタンダードにしてほしい。インクルーシブという言葉なんてなくても当然の事くらいになってほしいと思います。そして人に頼る事もできる大人の自立を怠けると同意味にしないでほしい。本来の意図とは違うかも知れませんが自分自身の多様性・特性をまず自分が認めることも大切だと感じています。まとまりがなくすみません。中間レポートとさせて頂きます。【作業療法士】

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学習・発達支援員養成講座を学ぼうと考えて半年。このレポートを書く前になぜ、学びたかったのかを思い出しています。30年間の保育士生活、田舎の小さな保育園ですから、小学校、中学校と子どもたちはずっと一緒に学年をあがっていきます。仲が良いのはいいのですが、変化したいときに変化をうけいれてもらいにくい環境で、イメージが出来上がってしまうというところもありました。

入園一日目「ねむたい」と私につぶやいたのを最後に卒園まで、みんなの前で話すことができなかったA君。運動神経が良く野球部に入ってピッチャーとして活躍していたのに、声が出せないことで友達と意思疎通ができず高校生になって悩んでいると聞いたり、保育園までは車で来れるのに車の中から出てこれなかったBちゃん。小学校になって保健室に通っているそうで、その上でお母さんが悩んで孤立していると聞いたりもしました。それを耳にすると、保育園時代もっと柔軟に私がやれることがあったのではないかと考え、反省してきたのです。ただ、素直に先生のいうことを聞く、そんな子だけでよかったのか?もっと、自由に自分を表現できる子も大切にしなくてはいけなかったのではないか?と。また、私は本当に子どもを理解できていたのかも不確かなものになっていきました。閉園する前に関わった数名の支援を必要とする子を見ていて、一緒に小学校まで行きたいと思ったほど、支援が必要な子を理解したくなったのです。

そんな反省をもとに、現在閉園した保育園舎を活用して子育てサークルや不登校支援をしています。「先生」という立場としてではなく、子育ての近くで寄り添っていきたい、もっと理解していきたいという気持ちがあるからです。また、子育てを一人で抱え込んだり、孤独な子育てをしている少数派のお母さんの悩みを、解決はできないまでも、話を聞いてあげたい、一緒に悩みたい、繋がりたいと、活動しています。

新学習指導要領は、「主体的、対話的な深い学び」を掲げます。未来を生きるこの子どもたちは、私が生きた道とは全く違う生き方、働き方をしていくのだと思うのです。ギガスクール構想の前倒しも世の中の変化が影響しています。学びは自己実現するために必要だと思いますが、古川先生の講座で聞いた板書という日本の教育のカタチも子どもが理解出来たらよいという目線なら、柔軟性を持たせることが必要です。そもそも答えがあるものを、トレーニングのようにやることは逆に主体性を失わせていくのではないかと危機感さえ覚えます。教育にも柔軟さが必要だと感じました。

三森先生のソーシャルスキルは私自信が勉強したいと思いましたし、梶梅先生の基本的信頼感の獲得の重要性や保護者支援、良いところに目を向けるまたは、変換する技術であるリフレーミングなど、きちんと目的や意図を持つことで効果的に活用しています。とにかく自己肯定感を損なわないように実践していくようにしています。

支援をしている私自信がもっと自分を知ること。それが大切だと気付かされたのが、6月の講座でした。私の目線で子どもを見ているのだと客観視すること。いつもあたたかい目線でいることを大切にしていきます。きっと、どんなに学んでも私は寄り添うことしかできない。専門家ではないから。でも、だから、できることもわかったんです。そして目の前のお母さんの「本当のキモチ」に触れ、吐き出せる場所になっていこうと改めて感じました。学びが深すぎて私には再受講が必要です。再受講してまだまだ学んでいきたいと考えています。【民生主任児童委員】

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これまでの学習の中で,発達障害には多くの“特性”が存在し,その障害によって子供たちが苦しみを受けていることを知りました。社会の中には「多様な考えや意見がある」とはよく聞かれること,このこと自体は誰もが認め
ることでしょう。対して「発達障害」の特性も多様に存在し,しかも発達障害は病気ではないと学びました。発達障害の多様性はどれだけ認識されているだろうか,私は今回この多様性について学ぶことができただけでも受講の意味があったと感じました。子育ての目的は将来に向け社会の中で生きてゆく力をつけること。障害を持つ子供たちも同様と学びました。

しかし障害の有無には関係なく子供たちの心に自信と意欲を根付かせるのは容易いことではない,子育ての目的すら見失いがちです。ましてや,障害を持つ子どもたちの行動をアセスメントしその障害を理論的に明らかにする。子供一人ひとりの特性に合わせた対応となると,少し学んだくらいでは判ったとはいえない。例えば「意図的な無視」などのテクニックは使い方を間違えると大変なるだろうと思う。私自身も小学校低学年の時に担任から言われた言葉を思い出すことがある。よかれと思ってかけた言葉でも子供の心には傷を与えることがある。

また支援者が「主導権」をもって子供と対応するといっても振り回されることが現実には大半ではないか,支援の現場では相当な技量が必要だろうと思うところです。発達障害に対応する各種の法律・制度がこんなにも整備され,教育内容も大きく変化していることを学びましたが,子供たちは自己の障害について客観的にはなれず,制度の知識も持たない。そこは支援者が代弁者となって,これらの制度をうまく活用しながら,が学習の環境づくりを教員の方々と協力して実現しなければなければならないということを理解しました。

今回,発達障害という言葉すら理解しないまま受講してしまいましたが,これまでの学習で,おぼろげながら発達障害の輪郭が見えてきたように思います。ここで多様性という視点で周りを見てみると発達障害には関係なく,様々な人がいるんだなと改めて気づかされ,これが当たり前のことなんだと人の見方も変わったように感じています。【パート社員】

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6 回の講座を終えて、発達障害のことについて、インクルージブ教育について、学習・発達支援員としてどんな支援ができるか? 受講前は、えんぴつで描いた薄い下書き程度の知識であったが、講座を重ね学びを深めるごとに、一つひとつの線が太く明確になり、そこに色が付きはじめてきた。様々な事例を通して、問題の抽出や支援方法を学んだことをもとに、今、関わっている子ども達と接する中で活用するよう心掛けている。明確な手応えがあるわけではないが、明らかにこれまでと違っていることは、知って対応するのと知らずに対応するのとでは、自分自身が落ち着いて関わることができ、これに対して子どもも心落ち着かせて、話を聞くということをしてくれるようになった。私にとって小さな成功体験の一つである。これを継続するとともにより良い支援ができるよう努めていきたい。

社会的に、発達障害、インクルージブ教育の言葉が広まりつつあり、行政としても、法整備、制度の構築、合理的配慮の環境整備等といった取り組みがなされているが、学んでいる私自身、初めて目にすることや耳にすることが多くあった。恐らく、関心があればこれらの言葉や情報に触れることはできるが、関心がなければ全く知らない状況が続き、社会全体での合理的配慮を進めていくことは難しいのではと懸念している。こうしたことから、自分自身の学びだけに止めるのではなく、啓発活動も視野に入れた発信をすることで、発達障害に関する知識や理解を深め、合理的配慮が恒久的な取り組みとして社会全体で進められるという希望をもって、微力ながら取り組んでいきたい。【自営業】

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ここまで講座を受けてきて、学んだこと、気づいたこと、感じることはたくさんありました。私自身、幼少期から生きづらさを感じてきたので、その原因を探る中で発達障害を知りました。その後、我が子が発達障害と診断され、母親が学ばなければという想いでやってきました。自分の成育歴を思い起こすと、母親や学校の影響で二次障害を起こしていたとも気づけました。

2016年、真亀公民館での中谷さんの講演会に参加し、たくさんの驚きや気づきがあったことが今につながっています。私の母親は私と手をつなぎたがらない、つないだら嫌そうにすることを中谷さんと話しました。私は愛されていなかったのではなく、母が触覚過敏だったと分かりました。同時に、ひどい親だと思っていた母親も発達や感覚に困り感を抱えていたということに思い至り、本音を伝える、接し方を変える等で、親子関係も変わりました。

これまでの講座の資料や書き込みを見返し、学んだこと、感じたことを思い出していく中で、いつまでも心に残っている言葉があります。第1回目の「知識が母親(支援者)を救う」です。発達障害児を育てる母親としては、学ぶことで自分自身の、我が子のしんどさが少しでも減るようにと。生きづらかった子どもとしては、当時の母に少しでも発達障害の知識があれば、また社会に特別支援の考え方があれば、母も私も、もう少し生きやすかったのではないかと。小学校支援員としては児童はもちろん、お母さん方が少しでも楽に生きられるようになるのではないかとの想いで今学んでいます。発達障害は母源病と言われていた時代があると知った時は驚きましたが、特別支援教育に関する法律改正から10年以上経過し、発達障害について発信されてきた中、未だに「母親の育て方が悪いから」という空気があることを感じます。ネットや本で情報を得るのに、母親発信が多いとも感じています。職場においても、児童に問題があると、家庭での母親のことが議題になります。この研究でも子どもに一番近い存在として母親が対象になっていると思いますが、多くのお母さんが知識を得、夫や家族にも伝わり、今後「知識が社会を救う」「社会のためになる」ところまでいくことを願っています。

そのためにも、私ができることは、特別支援の学びを続けることと周りへ伝えることだと痛感しています。田中裕一先生のおっしゃったように、学校は卒業があるので、児童を一生見ていくことができません。関わる期間も長いこともあれば、短いこともあります。その子への適切な支援ができるよう学び続け、また、学校の先生方と情報を共有し、取り組みを継続していただけるように伝えていきたいです。さらに、この度学んだこと、これから学ぶことを先生方に、周りの人に伝えていかなければいけないと思います。特別支援教育について、詳しくご存知ない先生方も多くいるように感じます。通常業務が多忙な中、どうしても興味のある先生だけが詳しいという現実があると思います。今後、合理的配慮の不提供の禁止を、先生方、保護者両者にしっかりと周知し、対立ではなく、児童を見守る仲間として、学校と家庭がつながっていく必要があると思います。講座では、支援員としての基礎的知識を教えていただいていると思っています。今後も自主的な学びを続け、より良い支援を目指します。【特別支援アシスタント、学習サポーター、保護者】

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まず受講に際して、インプットだけでなくアウトプットする過程が重要と中谷先生がおっしゃっていて、講座の中でグループワークやアンケート記入、レポート作成等によってその過程を経ることで、自分の中で理解が深まるのを実感できた。今までいろんな研修に出て話を聴いても、いまいちそれが自分の中に残らないように感じていたが、一旦自分の中で整理して消化して、それを人に分かる言葉で伝えるという作業を通すと理解が深まり知識として積み重なっていく感じがあった。また、アウトプットがあるという心構えだけで、メモを取りながら聴いたり、自分の体験と照らし合わせながら聴いたり、印象に残った言葉に印をしたり、聴くという作業をより能動的に行えると感じた。また、「今日何を学びたいか」の目的意識を明確に持つことも同様に重要と感じた。この体験を自分だけでなく、子どもの課題に向かう姿勢づくりに生かしていきたい。

穐山先生のお話で「コミュニケーションは違いを学ぶもの」と話されており、この違いを認識することがインクルーシブな教育の土台になると学んだ。会話の中で何かと共通点を見つけてそれについて話したり、認識が同じであることに喜んだり、安心したりしている感覚があったのだが、違っていて同然で、違うことを認識するのがコミュニケーションの目的だと知って驚いた。少し意外な感じがあったが、コミュニケーションによって違いを乗り越えられる、というのは異文化交流等も同じで、そのためのコミュニケ―ションなのかと納得できた。

他者と自己の違いを知るから合理的配慮ができるのであって、その認識無しに合理的配慮を誰かに求めても、行っても浸透していくものとはならないのかもしれない。少数派にとって色々と生きづらさのある世界の中で「こういう人がいるよ。こんな風にしたらもっと楽ちんだよ」の考え方と支援の方法を広めてけるように、日々の中でこんな視点を持って物事を見ていきたいと思った。【言語聴覚士】

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いかがでしたか?皆さんのレポートにもあるようにNPO法人日本インクルーシブ教育研究所の学習・発達支援員養成講座は社会や学校に活かされるよう、みんなで発信を続けていけるよう、構成しています。誰だって、自分のことを認めて欲しいですよね。自分が認められて初めて他人を認めることができるのかもしれません。この社会を互いに承認し合える場にしていけるよう、考えたり、行動したり、いろいろ挑戦しながら前に進んでいけるといいかなっと思っています。皆さんのご意見もお聞かせいただけると嬉しいです ♪

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この写真は我が家から見える夕焼けです。私はこの時間が好きです。

10月31日(日)オンラインで発達障害の子どもとスムーズにコミュニケーションがとれるよう書く方法をお伝えします。喋り言葉だけで伝えようとすると上手くいかないことが多いと思います。簡単にメモ帳を使うことで互いに正確に話ができるようになります。発達障害のある子ども達に関わっている方におすすめの講座です。詳細はNPO法人日本インクルーシブ教育研究所のホームページからご覧ください→障害のある子どもの暮らしを支えるコミュニケーション

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