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山と生きる木工作家と家族の挑戦

山が好き。山で生活したい。なんとなく感じていた気持ちがはっきりしたとき、 安定した仕事を辞めて木工科の学校へ通うことを決め、それを快く許してくれた家族。そして何かを聞きたい時に聞けるという、当時自分にとって’’居てほしかった存在’’である’’山のエキスパート’’になりたいと話す 木工房TABI 水上さんの、これまでとこれから。

 現在、木工家として活動している二児のパパでもある水上さんは30歳。取材当時は美濃の森林文化アカデミーに通っている学生でもあり、2022年の3月に卒業、この4月に木工房TABIをオープンさせた。

木工房TABI

Tabiとは地下足袋のこと
「足袋(タビ)を履いて山を歩く」

森で生きている植物や動物を自分の生活に取り入れ、森と繋がっていることを大切に、木工作家として木材を利用するだけでなく、岐阜県郡上市という土地で暮らす人間の生き方として、森と関わっていきたいという想いが込められているそう。

「都会は好きじゃないし、なんとなく山が好きだし森林学科へ」

この郡上市高鷲町大鷲地域には向鷲見/中洞/正ヶ洞という3つの地区が集まっており、水上さんはその中の向鷲見地区の出身。高鷲中学を出たあと郡上高校に入学し、積翠寮(ほとんどが高鷲出身で構成されることが多い)で3年間生活した。

 郡上高校には当時、普通科・総合学科・食品流通科・森林学科とあり、水上さんは森林学科へ進学。最初から仕事を見越しての進学かと思いきや、

「なんとなく山と木が好きだったので森林学科に」
「都会が好きじゃなかった。山で暮らしたいと思ってた」

 水上さんは、高校を卒業し、短大に進学・卒業後、大和町の大塚林業に就職。当時は大工さんが家を建てる時に使う材木加工の仕事を3年間しながら、18歳から高鷲町のOrkで5年間バイトもしていた。それからの5年間はOrkに転職し、クレープ屋、アクティビティ、コテージなど、主に観光に付随する飲食や宿泊に関する業務を続けていた。

「元々山と木が好き。DIYも趣味でやっていたし、何となく林業科にすすみ、材木加工を仕事にしていた」

が、やはり自然に囲まれた場所での業務が多いOrk。そこでやはり思うことがあったのだろうか?

「自然相手の仕事なのに、木のことも、動物のことも、山のことも、何も知らない。」

そう感じたのだそう。この気づきが、水上さんのある転期につながっていく。

大きな決断

自然に囲まれて仕事をする水上さんはある時、転機となる決断をする。

 山の色々を知るには、図鑑を見たり、調べるしかない。自分の祖父も当てにした。だが、ある程度詳しいとはいえ祖父の知恵の範疇で、この方法では時間もかかる。周りに、この人なら!という詳しい人も見当たらなかった。木工のことに詳しい人を求め、郡上を聞いて回ったこともある。だが山にまで詳しいという人は中々いなかった。
 そこで、改めて勉強をしたいと感じた水上さんは、美濃の森林文化アカデミーに2年間通うことを決意する。

水上さんの工房でインタビューしました

 ふと筆者は「高山市にも木工関係のアカデミーはあるのでは?」と疑問に思いきいてみた。

「高山にも木工関係の学校は多数あるけど、ほんとに家具に特化した学校。机を作ったり、椅子を作ったり。美濃は、製材の過程やルートのこと、山の生態系、保全のためにどうするべきか?生活に取り入れられる植物などについても学習でき、森林資源について総合的に学べる。」

らしい。ハローワークにも行ったことのある筆者はいつも高山の学校のポスターが目立っていたため印象がつよかったが、同じような学校でもここに違いがあることは知らなかった。’’山のエキスパート’’を目指す水上さんにとって、この選択は必然的だった。

仕事道具も徐々に増やしている

 学校の頻度は1年目は平日5日間に、2年目は週2で通う。取材当時水上さんは絶賛卒論制作中。

 そこでの学びは筆者も聞いていて大変興味深かった。学校には全国から、学生が集まる。むしろ岐阜の人の方が少なく、年代も20〜50代まで様々だ。職人になりたい人、木工家になりたい人、教育に関わりたい人も、全て一緒にまず1年勉強をする。座学の中には、文章の書き方まであるという。学校である以上、研究や実験もあるが、カリキュラムを自分で組んで授業を選択できる仕組みだ。岐阜県に実際にあるフィールドでコミュニティビジネスを成り立たせるためにはどのようにするか、などの勉強もするのだという。

 ただ、周囲からは仕事をやめてまで学校にいくことに対して、肯定的な意見ばかりではなかったのも事実だ。だが人生の20年以上をかけて見つけ出した本当の夢と、水上さんの持ち前の性格上、そんなことで折れるような気持ちではなかった。高校時代からのパートナーであるやすほさんも、背中を押してくれた。

挑戦を支える家族の言葉に込められた愛

「学校行きたいって思ってるくらいなら、相当思っとるんやから、死ぬまで思い続けるんだろうから、2年間くらいなら、行ってきたら?って」

娘さんと山に向かう様子

 やすほさんがかけた言葉は、2人の子供を支える親としての気持ちを考えたら、簡単に発せられるものではないと、同じ保育園に通う子を持つ筆者には尚更感じるものがある。そこには家族として挑戦するという覚悟もありながら、何よりも愛のある言葉に感じられた。
 高校も、短大も、Orkへの転職も、その時は深く考えた決断ではなかったが、結果として自分の夢に引き寄せられている結果に・・・。

@wood matchm 虹の中でワークショップ

 今ではキャンプ場にて宿泊者限定のワークショップや、市外のワークショップにも参加したり、昨年の’’GUJO OUTDOOR WEEK’’にも出店するなど活動の幅を広げている水上さんだが、なぜ木工の中でもスプーンを作ることから始めたのだろうか?

道具一つでスプーンができる感動

「昔自分で作ったことがあったから。この道具さえあればできる。」

樹種も塗装もバラバラな作品は全て一点物

 そこに魅力を感じて作ってみたことがスプーン作りの始まりなんだそう。今でこそククサや箸も作るが、やはり私たちの印象も水上さんといえば綺麗に並べられつつも少しずつ個性が出たスプーンのイメージが強い。

「初めはDIYのような気持ちでやってみた。その時の感動がずっと残っていた。」

これがすぐできる環境で育ったということも、大きな要因だろう。

実は少ない木の産地

日本中に木材って溢れていると思っていた筆者だが、
実は岐阜県は林業などの木材加工の業者も揃っていて、数少ない木の産地だという。

 用途で木を使い分けもしている。普段は、桜やどんぐりの木を作っているそうだが、常に新しい素材にも挑戦し、スプーンなど新しい命を吹き込むことに挑戦している。作る過程で、向き不向きに合わせて加工の仕方や、加工する形を構成していくのだという。

’’常識にとらわれない発想’’  というところは、
まさに今の時代にこそなのかもしれない。

水上さんの作品 あえて樹皮を残す作品も
イベントで販売した曲げわっぱ

あくなき探究心と向上心 

実は販売することまでは初めは考えていなかったという。
まだまだ未熟と感じていたからだ。

「けどそれって’’ずっと感じていくことだ’’って気付いたから、販売もしていこうって思った」

 今自分ができる、最高の作品。どちらにしろ妥協はしない。その時その時の自分のMAXを表現していけばいいと思ったのだという。そこにはどれだけ経とうが、学び続けることがあるという姿の表れでもある。

 初めは使いやすさを重要視して実用性重視のものが多かったが、今は生命を感じられるものも作る。樹皮をあえて利用した作品も。いわゆる欠点材と呼ばれるものも、それをあえて利用できないか?などと試行錯誤して作り上げる楽しさがある。

「他の木工家に考えたら、技術もまだまだで、学生と同レベル。でも技術だけじゃないと思う。」

 高鷲の山から木を調達し、木の特徴を生かし、恵みに感謝しながら、人の手で削り、手渡していく。
そこにはこの高鷲で暮らし、ここに工房を置くからこそできる、いわば住人の特権でもある。

 しかし生産性が低すぎることから、木工科とはいえ同じことをする人は学校にもいないんだという。ここに価値を感じ、続ける信念を持ち続けることができるのは、水上さんのバックグラウンドがあるからだろう。

これまでで苦労したこと

 起業に関してはもっと、勉強してこればよかったと思うことだという。好きなことはいくらでもできるが、苦労したのはこの点だった。そこで、郡上市の支援センターが行っている「起業塾」に通った。不定期に開催され、週に1度を計4回、専門家がつきワーク形式でできるセミナーになっている。

「すごくためになって、行ってよかった。大変な作業も多いが少しずつ進められている。」

 この言葉の通り、4月には工房を本格的に開業。工房はまだ実家の駐車場の一角を自身の手でこれまたDIYで作り上げた。取材時の椅子も丸太に座りながらのインタビュー。当時はまだなかったが、現在は自身で組み立てた薪ストーブや、製作の幅を広げるための機械の導入もされている。今後生み出される作品の幅がもっと広がることだろう。

やりがいを感じる時は?

「自分が一から作り上げたものを直接渡して、喜ぶ顔を見られる。その喜びは大きい。昔の人みたいに、何か作ったものや取ったものを街に持っていく、そういうことが現代でもできる。」

 しかし生計も立てなければいけない。どうやって食ってくんや?と聞かれることも多い。
前例があまりないからこそ、心配の声もかかる。
高鷲では副業として木の家具をつくって売ったり、何か販売をするという例は少なくない。が、本業としてそれだけで、というパターンはあまりないからだ。

「逆に言えばその前例、モデルになることが必要だと思っているし、これから挑戦する人たちに背中を見せていきたい」

「自分自身もこの先100%猟師になってるかもしれないし、きのこハンターでYOUTUBERになってるかもしれないし(笑)わからないけど、資源はあるし表現のフィールドはあると思う」

YOUTUBEも期待大?!

 自然と同様に、長い目で山で生きる人間の未来も見据えながら活動しているその覚悟は、
ある種「パイオニア」とよぶに相応しいかもしれない。

20年越しの夢を叶える

 ’’暮らしを含めて山の中で生活ができる。’’

 これが自分の求めている「暮らし」なんだということが、人生の中でだんだんと腑に落ちてきている、これがいちばんしっくりくる。

「山の中で暮らす」

水上さんの将来の夢は小学生の時にかいた夢だ。
それが改めて今、もっと色鮮やかに実現されようとしている。

 子供がいても夢をあきらめず、それを支えてくれる家族がそばにいる強さ。
中途半端にやってこなかった水上さんだからこそ、家族が支える気持ちにもなり、想いに共感する人たちから声をかけてもらえる。

「お金で買わなくても、なんとかなる。高鷲なら。」

と、水上さん。筆者とカメラマンもうんうんとうなずく。

「贅沢はできないが、死ぬことはない。笑」

 自然の恵みを活用しているからだけではなく、高鷲には、物物交換や収穫したものをもらったり、人と人の距離が近く助け合う、そういった文化がまだまだ根強い。パートナーのやすほさんも同じ郡上の八幡出身だが、しょっちゅう野菜をもらったりすることに驚いていたという。

食材の恵みもしっかり頂戴する

 今は天然食材ハンターとして、食材の卸の仕事もしている水上さん。まさに、きのこなど山で採れた食材を、お隣の白鳥町にあるピザ屋さんや、フレンチ料理屋さんなどに下ろしているという。

山で採れたキノコたち

自身のことをきのこハンターとも称する水上さん。

「きのこって、動物が食べたり、人が採って歩くもんで、菌がまた散って運ばれて生命を繋いでいく。だから人間が採って食べることって生態系からしてもぜんぜん不自然なことじゃない。」

猟師の免許も2021年に取った。

今と、これからのあり方は、アカデミーに入学した当初からずっと考えていた。

この先に描く未来

「今年や、来年には、自分のお店を持てるのが理想。自分は木工の中でもカトラリーを作っていて、スプーンや箸などの食器類を作っているので、それを実際に使って良さを実感して手に取って欲しい。山で採れた食材も味わってもらえたらいい。」

 もちろんその先には、同じように山や木、それにまつわる何かにでも、興味を持ってくれて、好きになってくれる誰かが増えていくことも願いとして持っている。

「その時に、’’聞きたいことを聞ける人’’に自分もなっていたい」
と、いつかの自分を思い浮かべながらそう水上さんは話す。

「山ってめっちゃいいんよ高鷲って!いい山で、入ると、毎回感動するんよ。そういう場所がたくさんある。」

話すトーンの高さが山への愛を感じる

高鷲が大好きだった。
その高鷲で、家族がいて、仕事ができる。その喜びが、水上さんの笑顔からは溢れていた。

 現在4歳と、2歳になった子供を持つ父親でもある水上さん。この環境も、子供にもプラスだと感じている。

「やっぱり自然を身近に感じていて欲しいし、好きになって欲しい」

それは、自分の子供だから、というだけではないだろう。
この高鷲にある山を、資源を、恵みを、
もっと多くの人に感じて、体感してほしい。
木工房TABI から生まれる木のスプーンから、届け、繋いでいく。

サスティナブルとか、SDGsなんて、たいそれた話じゃない。
たくさん、早く、つくれる物じゃない。

ただ好きと共感と感動、そして気づきを与える作品。
この土地への愛と家族の温もりが
1つ1つ形になっていくその過程こそが、
木工房TABI の求める未来なのかもしれない。

取材・文/三島慶子 撮影/山根さき
(取材当時と現在で情報が変わっている場合があります。下記リンクにてチェック!)


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