見出し画像

ひとり妄想読書会

大好きな宮沢賢治。法華経との関係を見つめる本を読んでいます。今までそのことを「ふんわり」としかわかっていなかった自分。基礎的なことさえ理解していませんでした。

法華経は「妙法蓮華経」の略称で、原語のサンスクリット語では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言うそうです。詳しくは省きますが「プンダリーカ」“白い”蓮の花。「泥の中から咲く真っ白な蓮のような、妙なる真実の教え」という意味だったのですね。

蓮である由来は知っていましたが、その色が「白」だということは知りませんでした。

宮沢賢治と仏教についてはこれからもゆっくり学んでいこうと思います。


私はいくつかの読書会に参加しながら、毎日少しずつ、複数の本を並行して読んでいます。遅読な私なので「1日5分」「1ページ」だけでもと、それぞれの世界に浸り、気分転換になっています。
時折、私の中でそれらの本がつながって、妙な妄想に突入することがしばしばあります。困ったことに妄想だけでなく、さまざまな疑問が次から次へと湧いてきて収拾がつかなくなるのも私の悩ましいところです。
(幼少期から学生時代までずっと「質問おばけ」と煙たがられていました)


宮本輝さんの『流転の海』シリーズ全9巻読破を目指す読書会へ、去年「うっかり」参加してしまい、なんだかんだ今4巻目を読んでいるところです。

第1巻から苦しい印象で読んでいて
(本来好きなタイプのジャンルではなかったのです…今は楽しいです!)
私がこの本で最初にほっとした箇所は・・・

「銀閣寺に近いある小さな寺の池で、一輪の蓮の花を見たとき、熊吾は不思議な感動をもって、そのまま泥の中に咲いている花を見つめたものであった」

「ただ小さな泥の池に咲いていた蓮の花の白い輝きだけが、ぽつんと心の中に捺されていた。熊吾は、伸仁が大きくなったら、あの寺に連れて行って、蓮の花を見せてやろうと思った。そして、いろんなことを教えてやろう。いろんなこととは、いったいどんなことなのか、熊吾には言葉にすることは出来なかったが、あの蓮の花を見せることで、この世のさまざまなことが伝えられるような気がしたのである」

宮本輝『流転の海』第一部・第三章

ずっと息ができないような心持ちで読み進めていた第1巻、白い蓮が出てきた第3章で、やっと深呼吸ができたことをはっきりと記憶しています。(その後も息苦しさは続くのですが笑)

この本の主人公、復員兵・松坂熊吾は、齢50にして初めての実子に恵まれます。そこを軸に、明治〜昭和を生きた人々の群像劇として、大河の流れのように物語が語られています。

「…何の天分もない人間は、ただのひとりもこの世におらん。わしはたぶんお前が、自分の天分に気づくまで生きちょることは出来んやろ。そやけど、お前が二十歳になるまでは絶対に死なん
 そう言った瞬間、熊吾は、もう何ヶ月も心の底にわだかまったまま、明確な答の出せなかった問題がふいに解けたような気がした。熊吾は、このひ弱な伸仁というたったひとりの息子を、無事に成人させ、心優しい、多くの人から愛される、懐の深い男に育てあげてみせることが、自分に与えられた使命だと思い至ったのである。天分という言葉は、熊吾の中で使命という言葉に置き換えられた

宮本輝『流転の海』第一部・第六章

熊吾(くまご)は過去4人の女性と結婚していて、もうじき45歳になるという昭和16年に、本茶屋につとめる通称キク・本名 房江(30)と出会い、結婚します。伸仁はこの房江さんとの子どもです。
(実は熊吾には幼い頃に亡くした姉がいて、その名前が「キク」でした。17歳でした。何だか繋がりがあるような気がして…)

出会って間もなく2人は気持ちを確かめ合います。熊吾さんは房江さんに言います。
(つい「さん」付けしてしまう癖があります。笑)

…やがて房江が意外に思うほどの含羞の色を顔面にたたえて言った。

「白い蓮の花みたいじゃ」

…「やっぱり蓮じゃ。蓮の花は泥の中に咲くからのお」

宮本輝『流転の海』第一部・第七章
(※「…」は略した部分です)

告白する瞬間、愛する女性を蓮の花に例えた熊吾…
「白い蓮=房江さん」
その時、私の中でぱっと閃きが。
熊吾さんの「使命」とは、息子・伸仁が成人するまでに、伸仁にとっての母・房江の人生を「伝えきる」ことなのか!と。
彼は「それまでは死ねない」と言っているのです。
もうそれだけで充分ロマンチックです(笑)


すっかりその気になって読み進めていた私ですが、この小説はその後も熊吾のモノローグに乗せ所々、仏教思想が散りばめられていきます。気になります。

2月、Eテレ「100分de名著」にて『日蓮の手紙』が放送され、そこであらためて法華経や日蓮の奥深さに触れました。

学生時代、哲学・倫理・宗教の授業がとても苦手だった私にとって(人名や年号が憶えられない…)、今になって素直に好奇心が湧いてくるのを感じました。

そして冒頭に戻るのですが、今年2023年、没後90年となる宮沢賢治(享年37歳)が、創作の上で想像以上に法華経とともにあったと知り、私の中で仏教、とりわけ法華経が体温を持ち始めました。

(ちなみに島の行事や日常は、かつての琉球王国時代に中国の影響が強く、今も仏教が身近に在る文化です)

初歩の初歩、入門編のような本たちを相変わらずの遅読でとろとろと読んでいるのですが、いろいろ混ざってしまい、そこからハッと思いついたことがありました。

「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」は、インドから中国に伝わり、406年に後秦の首都、長安に於いて、鳩摩羅什(344?〜412?)が「妙法蓮華経」として漢訳しました。

北川前肇『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』NHK

「鳩摩羅什」・・・「くまらじゅう」?
…『くま』…

鳩摩羅什のことは一応知っていました。教科書で読んだ憶えがありましたし、これまでも『流転の海』読書会のどこかに出てきたような…でもその時は流してしまったのかもしれません。

私は昔からなぜか宮沢賢治が好きで、でもその理由は今もうまく説明できないままです。昨年の秋から宮沢賢治熱が再燃していて、やはり好きなものを通しての出会い、新しい発見というものがあるのでしょう。

《以下、私の脳内疑問&妄想対話です》

『松坂熊吾』…『鳩摩羅什』…
「もしかして…松坂熊吾は…鳩摩羅什なの?」
「“白い蓮”である房江さんは“法華経”?」
「じゃあ…法華経の象徴である房江さんを、鳩摩羅什である熊吾さんが、理解しようと努める…読み解こうとする物語?」
「これは…仏典の旅を表しているの…?明治〜昭和の日本になぞらえて…?」


妄想は大爆発です(笑)

宮沢賢治が詩や童話に法華経の真髄を織り込んだように、宮本輝さんも、ご自身やご家族を投影した大河小説へ、同時に仏教の物語をも巡らせる試みをしているのでしょうか?


もう私の手には負えません(笑)
知識が圧倒的に不足しています。

まずは『流転の海』を頑張って読み切る必要があります。
(話はそれからだ、imoよ…※天の声)
「ひとり妄想読書会」ではなく、本当の読書会を通して、皆さんのお力を借り、私も少しずついろんな角度から学びつつ、旅を続けなければこのモヤモヤは解決できません。それだけは確かです。


『流転の海』読書会は、6月27日で1周年を迎えます。
本を読むこと自体に難があった私。当初はどうなることかと思いましたが、あわあわと必死にくらいついて過ごすうち、ここ迄あっという間でした。
感慨深いです。


今夜、その読書会があります。
早速、私の疑問だらけな妄想を、仲間に尋ねてみようと思います。


2023.6.26(月)
🌿imo


この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?