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ちょっと気付いたこと【不安障害】

もしかするといまあなたは、機能不全家族または毒親または精神や心について調べているのではなかろうか。

その心のもやもやを晴らす方法を探そうとネットを開いて、何度検索したのだろう。

しかし、期待とは裏腹に、グサグサと心を痛めつける言葉が目に入ることに耐えかねて
そっとyoutubeを開く……
または怒りがこみあげる
それとも虚無感に襲われポロポロと涙が流れるだろうか

この痛みの対処法はどこにあるのか、だれが持っているのか。
もはや体験した人にしか理解できない異世界なんだろうと悟る。誰にも相談できずに、相談したところでまた同じことの繰り返しだと予想する。
(相談したくても、この状況をどこからどう説明したら、欲しい答えに辿り着けるのか検討もつかないだろう)

私も、この苦しみをどうにかしようと、カウンセリングを受けたりしたけど、いつも大事なところをすっぽかされているような気持になった。
そんなのを何回か繰り返して、それでようやく分かったのだけれど、あなたの今のもやもやを理解してくれる人間は、いないのだ。
とても苦しいことだけど。
あなたの心のもやもやをだれかに話したところで、あなたの気が楽になるなら、いい。
だけど、そうじゃないんだよね?

ーーーーー

情報量が多いと言われるネットに答えがないのなら、お手上げだ。(でも、いいことに気が付いた。と自分では思っているからnoteにしたためている。)
この心が苦しいのを解決する方法について ”ネットで探せば答えが見つかるかもしれない” との期待を裏切ったのは、画面に表示された誰かの言葉。
表情も、どんな人なのかも分からない誰かの言葉。
そして「やっぱり分かってくれる人はいないんだ・・・。」と思った瞬間、気持ちが深い深い谷底に沈みゆくような感覚になる。

ここで、私は少し頭を冷やして考えた。

せめて、その発言に至った思考回路の説明が欲しいと。
みんなそこを見落としてるんじゃなかろうか?

私たちが知りたいと検索するもの、本当に知りたいことは何か?

言葉にするまでの、思考回路の部分を知りたいのだ。
この苦しみを解決するのに必要なのは、他の人間の思考回路の部分。
言葉というものは、まず思考回路があって、そこから最終的に結論付けられたものであると思うのだ。

だけど私たちは生き急いで、、。
いや、
実は議論してもどうしようもない部分を一生懸命に議論しようとして、
(自分の辛さを理解できる他人は、いない ということを思い出して。)
いきなり答えを求めてしまい、他人の言葉を見て、大真面目に痛い目に遭うのだ。

あなたとあなた以外の人間では、そもそもの見ている世界が、(物理的にはみんな同じ世界に生きているんだけど)違うと思った方がいい。想像の何十倍も違う世界だと思った方がいい。
だから、あなたがこれまでしてきた経験を一生懸命に他人に説明したとて、その体験をしたことがない場合はおろか、もし似た体験をしていたとしても、あなたが実際に体験した経験の程度を、理解できる人間はいないのだ。

でも、あなたはその心の苦しみをどうにかしたいと思っている。

スポーツが上手くなりたいと思ったら、誰かの動きを目で見て真似して身につけていく。メイクも、誰かの真似をして身につける。ファッションも。髪型も。
こうなりたいと意識するものがあって、それを真似る。

じゃあ、思考回路は?
目に見えない。見えるわけがない。
誰かの思考回路を真似することはできない。

だけど私たちは、この苦しみから解放されるために、自分ではない誰かの思考回路を知りたいと願っているのではなかろうか?

そして、自分の思考回路を説明できる人がどれほどいるのだろう。
(そもそもいい大人相手に、面倒くさがらず説明してくれる人間はどれほどいるだろう。)
30年近く生きて、わたしは、1人しか知らない。(その1人がいてくれてよかったと思う。ちなみに、「私自身」ではない。普通の友達だ。)

思考回路を丁寧に噛み砕いて説明して教えてもらえない限り、私たちの心が軽くなることは、ない。(んじゃないかと気付いた)

それでも、他の人の思考回路を垣間見ることができたなら、ちょっとしたことでも大きな衝撃があるに違いない。
それくらい、あなたと他の人の心には違いがある。
自分の心を軽くするコツが、少しわかると思う。

(いきなり自分の辛かった経験とその対処法が知りたいんだと、そっくりそのまま話しても、理解できる人はいないだろうから、例えば、今現時点、自分が辛いと感じていることを、できるだけ大雑把なくくりで相手に問いかけるのだ。会話の中で一発で、知りたい答えに辿り着くのは難しいけど、例えば、
・嫌なことがあった後ってどうしてる?
・なんか気分が落ちてる時にすることとかある?
・ストレス発散でしてることある?
みたいなことを聞くと、自分には無い新しい視点があったり、その人なりの対処法が聞けるかもしれない。
他の人が、苦しい思いをしないために(または苦しい思いをしてしまった後)、どういう工夫をしながら楽しく生きているかを知る機会になるだろう。
その後は、それをできる範囲で真似するのだ。
そしたらもう、心の苦しみの解消に向けた一歩が踏み出される。

わたしたちは気づけなかったけど、
たぶん人間って意外と生きることに楽しさを見つけるのが得意だ。
だから、他の人からはそういうところを学びたい。

そして、ほとんどの人間は、生きる苦しみを理解しようとすることは苦手だが、わたしたちは自分自身のために、生きる苦しみを理解する必要があり、それを土台とした後で、本来の人間としての得意なこと ”生きることに楽しさを見出すこと” に目を向けるのが良いと思う。

ひとつの行動でも、その人がどんな思考回路を持ってそうしてるのか聞けるような間柄の人がいると頼もしい。

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