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全てを白紙に 第一章 消却迫る 六、新たな遭遇

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 宿で迎えた翌日の朝は、外からの放送で目が覚めた。窓からうるさく響いてくる音に顔をしかめつつ、レンは内容を聞き取る。いつの間にかこの町に到着していたと見られる軍による放送だと知って、より身が引き締まる。
 枕越しに聞こえるのは、町全体への警告だった。「白紙郷」が消却を進めており、早く避難してほしい。そして消却爆弾、及び「白紙郷」団員と思われる人間には近付かず、攻撃もするなと言われてレンは息をついた。彼らの忠告は妥当だが、自分たちの邪魔はされたくない。その命令的な様子も、どこかシランを髣髴とさせる。
 軍は同じ文句を繰り返していたが、途中になって異変が生じた。警告の裏で騒がしい人々の声がしたかと思えば、ぶつりと音声が消える。放送している場で何かあったのか。戸惑いながらもレンは起き上がり、身支度を整えようとして隣のベッドを見た。リリは頭から布団を被り、突然の大音量に怯えた様子だった。もう外は静かだと教え、レンは彼女の布団を剥ぎ取る。
 朝食に向かった食堂は、思いの外人が少なかった。宿泊者が多くないのか、既に宿を出てしまったのか、はたまた眠っているのか。テーブルがいくつも置かれ、人々がばらばらに座る空間の隅にアーウィンを見つけた。右隣でレンたちの席取りをしてくれている一方で、左にいる赤毛の知らない女から親しげに話し掛けられている。最初はアーウィンが絡まれているのかと心配したが、彼らが仲良さそうだと知ると、レンは困惑気味のリリを諭して配膳場所に移った。
「アーウィンさん! その人、恋人ですか?」
「レンちゃん、失礼なこと聞いちゃだめだよ!」
 料理を好きに盛り付けた盆を手に、レンは空いていたアーウィンの隣に座る。そこで囃してみたが、リリに止められてしまった。加えてアーウィンからも否定され、赤毛の女は不機嫌な顔をする。
「へぇ、この子たちがお前さんの協力者かい? 頼れるような頼れないような……」
 食事の用意さえしていない女は、テーブルに片肘を突いてぶつぶつと呟いた。恋人でないなら、仕事の同僚か何かだろうか。アーウィン越しにちらちら女を見ながら、レンは朝食を進めていった。
「でも知り合いにしちゃあ、仲良さそうですよね?」
 湯気の立つふわりとした卵炒めを口へ運びつつ、レンはアーウィンへ無邪気に問うてみる。リリの注意も、さほど耳に入ってこなかった。
「仕方なくの関係さ。それよりレン、体の具合は大丈夫?」
「もう万全です!」
 今も利き手で問題なく、皿に盛った煮豆を掬えている。甘じょっぱく柔らかいそれを口に含み、レンは何気なくアーウィンの手元に目をやった。食事を終えている彼の左手には、二つ折りの小さな紙が握られている。誰かに渡されたのか、それともこれから送るのか。
 レンが問おうとした時、食堂を小さな長い横揺れが襲った。周りの人々が驚いてざわめき、配膳場所に積まれた食器は音を立てる。その振動が収まったのも束の間、食堂の入り口から宿泊者らしき人が飛び込んで叫んだ。
「ここの前にも爆弾があったぞ! 早く逃げろ!」
 リリが茶の入ったカップを落とした。その割れる音も、一斉に部屋を出たがる人々の足音や声に埋もれる。宿の者が誘導する中、彼らは入り口に押し迫っていた。速くなる鼓動を感じ、レンは荷物を部屋へ取りに行った方が良いか考えた。あの爆弾が起動に向けて秒針を進めているか、まだ分からない。
 いつの間にか赤毛の女も姿をくらまし、食堂にはレンとリリ、アーウィンしかいなくなっていた。急いで部屋へ行き、まとめてあった荷物を引っ掴んで宿を出ようとする。受付には係員さえいなかったが、外へ通じる扉前に一人だけしゃがみ込んでいる人がいた。魔術によるものか、体の周囲は青い粒子らしきもので覆われている。先に出るリリとアーウィンに続かず、レンは具合の悪そうなその人へ声を掛ける。そして相手がゆっくりと上げた顔に、目を見開いた。
「もしかして、サーレイ村で会わなかった?」
 幼い顔立ちの少年は、黙ったままでいる。一度は村の危機を救ったものの、シランに「愚か」と言われてしまった彼に違いなかった。薄い唇を小さく震わせる彼を逃がそうと、レンはその腕を取る。途端に少年は大声を上げ、レンの手を振り払った。驚かせたことを詫び、レンは少年と視線を合わせるように軽くかがむ。
「ここにいても危ないから、早く出よう。ね?」
 今度は少年を脅かさないよう、そっと手を差し出す。少年はしばし躊躇った後、恐る恐る青い光をまとった手を伸ばしてきた。それを優しく握って、レンは戸を開ける。
 爆弾は扉のすぐ前に置かれ、周りに同じ制服を来た人々が集まっている。その装いが深緑色に迷彩の入った戦闘服だと気付き、レンは足を止めた。腰に拳銃があるのを確認し、爆弾を見返る。秒針は真下に向かって動いている。同時に爆発までの時間を知らす時報音も、無機質に響いてた。このまま何もしなければ、町の被害をより増やしてしまう。アーウィンが昨日言った現状を思い出し、レンは咄嗟に爆弾へ銃口を向けた。
 離れろという軍の指示を聞かずにいると、一人の軍人がこちらへ歩いてきた。間違いなく自分を、爆弾から引き離そうとしている。今ここで移動しては焦点が合わなくなる。葛藤が浮かんだ瞬間、軍人の前を青い光が阻んだ。よく見ると宿から連れ出した少年が割って入り、軍人に向けた手から青い色の付いた透明な壁を生み出している。
「今です!」
 少年の指示にレンは頷き、まっすぐ狙いに向けて撃った。銃弾は時計の奥へ入り込み、秒針を止める。爆弾から発していた音も消え、軍人たちがどよめきを上げた。消却は防げたのだろうか。レンが実感を持てないでいると、後ろでリリの声がした。
「なんで逃げなかったの!? 危ないところだったのに!」
 泣きそうなリリの後から、アーウィンが目を丸くしながら大股でこちらに近付いてきた。
「来るのが遅かったから心配したよ。それにしても消却爆弾を止めるなんて、大したもんだ」
 確かに時間が経っても、爆弾は作動していない。そこでようやく、レンは安堵の息をついた。やっと「白紙郷」に対して、何かしてやることが出来たのだ。そんな喜びが湧き上がったのも一瞬だった。肩を叩かれて振り返ると、戦闘服の男がこちらを見下ろしていた。短い間の事情聴取として、レンの抵抗も聞き入れられずリリたちから引き離される。
 車輪がいくつも付いた厳めしい装甲車の前へ案内されると、そこにレンの助けた少年もいた。彼はまず軍人の一人に名を聞かれ、ルネイと答える。だがさらに立て続けに質問されると、次第に口ごもっていくようになった。レンも同じように聴取をされたが、合間合間に彼の様子を見ているといたたまれなくなってくる。ついには途中で応答をやめ、ルネイのもとへ向かった。
「あまりその子を問い詰めないでくれる? わたしはともかく、この子は何もしてないでしょう!」
 それとも軽い邪魔をしただけで、軍というのは民間人を責めるのか。静かに怒りを滲ませてレンが軍人を睨んでいると、装甲車の扉が開く音がした。車輪の上から地面まで伸びる階段を、褐色肌の男が下りていく。ざっと四十近いだろうか。軍帽を髪がほとんど隠れるほど深く被り、形相はいかにも堅苦しい。奥二重の下にある青い三白眼、そして右頬から耳の下にかけて伸びる傷跡が、よりレンに警戒を強めさせる。
 男はレンたちに話を聞き出していた者たちへ、いったん離れるよう指示した。それから帽子を取って榛色の短髪を露わにし、レンとルネイへ頭を下げた。
「この度は危険な場にありながら、消却爆弾の起動停止を行ってくれたことに深く感謝します。同時に、貴方がたの勇気を称えましょう」
 陸軍中佐のヘイズと名乗った男を、レンはまじまじと眺めた。偉い立場にありながら、物腰が低い上にこちらを立ててくれる。いかつい容貌から予想できない態度にも、困惑が生まれた。だがそれも、朝に聞いたような警告を再び耳にして崩れる。
「貴方がたの行いは、賞賛に値します。ですが、これ以上消却爆弾や『白紙郷』に関わることは危険です。ぜひ、我々が指定する避難区域までお逃げください」
 ヘイズの言い分には、昨日のシランと似たものを感じた。急に苛立ちが生まれ、レンはまだホルスターに収めていなかった拳銃を握って豪語する。
「お言葉ですが、わたしは今までみたいな日常を取り返すために動いているんです。何としても、行かなくちゃいけません!」
「貴方のお気持ちはよく分かります。ですが我々は、これ以上国民の被害を増やすわけにはいかないのです」
 レンに戦う自由はもちろんあると伝える一方で、ヘイズは実戦への参入を止めようとしてくる。言い分はレンにも分かるが、それよりも変に介入されたくない思いが強まる。
「『白紙郷』の討伐は、我々ライニア陸軍にお任せ願いたい。そこで宜しければ、貴方がたから詳しくお話を伺いたいのです」
 ヘイズはレンたちそれぞれがどこから来たのか尋ねた。そしてどのようにこの町へ辿り着いたか、道中で「白紙郷」団員と戦闘になったか、また被害状況はどうなっているか聞き出すつもりだという。そのためにはわざわざ首都の施設まで行かなければならないようで、「虹筆」を探したいレンに焦りを覚えさせた。軍について行けば、イホノ湖へ向かうのが遅くなってしまう。はらはらした気持ちを抱えていると、隣から鋭い声がヘイズを制した。
「ぼくたちは軍に関わるつもりはありません。こちらでどうにかしますので、もう放っておいてください」
 やたらにきつい物言いをして、ルネイは去ろうとする。一人で行く彼を追うべく、レンは手短に聴取への断りを告げた。それを受け入れた軍人が、今後の目的を問うてくる。遠くにいるアーウィンを指差して教えると、ヘイズは恐らくこの場で初めて表情を変えた。
「……伝統的なミュスか」
 その語にレンの心臓が一つ脈打つ。ヘイズが去ってから慌ててルネイを追い、こちらに駆け寄るリリたちも気にせず彼に話し掛ける。
「きみ、ちょっと事情を聞いて良い? とりあえずここを離れてさ」
 レンに聞かれて、ルネイはようやく反応を見せた。少し黙ってから、静かに頷いてくる。彼が本来どこへ行くつもりだったかは分からないが、ひとまず軍人のたまり場から離れることにした。
 石畳の続く町を歩く中で、レンたちはライニアを旅しているという少年の事情を知った。彼はある人を長く探していたが、消却事件が起きてそれどころではなくなってしまった。早く人探しを再開するためにも、まず現状解決を優先したという。
 彼の探す人を知っているかもしれないと考え、レンは特徴を尋ねた。しかし「職業は外交官」「背が高い」「髪は結構長い青色」「目は確か緑」「武器は銃」などとまで並べられると、レンにも思い当たる人はいなかった。
「じゃあ『虹筆』を見つけたら、わたしも一緒に探してあげる!」
「レンちゃん、まだ学校があるよ?」
 リリの突っ込みに加え、ルネイもまた難しい顔をした。どうやら尋ね人は、「ライニア国内だが遠い所」にいるようだ。俯いて寂しそうな表情を見ていると、彼を何とか助けてやりたい思いがレンに募ってきた。彼の会いたい人に会わせてやるためにも、日常を取り戻さなければ。
 ここでルネイの名を聞いていながら、自分の紹介はまだだったと気付いた。「レン」と名乗るなり、ルネイは足を止めてこちらをじっと見上げた。
「……やっぱり」
 ルネイには感じるものがあったようだが、レンには分からなかった。彼は続けて何か言いたそうにしていたものの、やがて姿勢をふらつかせて地面に倒れ込む。レンたちが慌てて起こしてやると、ルネイはすぐに気を取り直した。
「すみません、あの……昔から、話すのは苦手で」
 緊張して言いたいことを言えなかったらしい。その不安を何とか取り除いてやろうと、レンは思い付いた。
「よし、わたしがきみの考えを当てよう。そうだなぁ……わたし達と一緒に旅がしたい、とか?」
「は、はい! そうです!」
 たまたま浮かんだものが本当に正解だという事実に、レン自身が驚いた。
「『白紙郷』を何とかしたいのもそうですが……ぼくは探している人を守れるくらい、強くなりたいんです。でも一人じゃ不安で……」
「じゃあ、わたし達が応援するよ!」
 レンはすぐさま、リリとアーウィンにも同意を求めた。二人とも仲間が増えるのは心強いと了承してくれた。特にアーウィンは、ルネイの得意とする魔術が守備に特化しているという点に興味を示した。ルネイは先ほど軍人を止めたように、半透明の壁を作ってあらゆる刺激や攻撃から守るのを得意としているようだ。
「でも、ぼくの使う技は攻撃に向いていません。もしかしたらたいして役に立てないかも……」
「気にしなくて良い! 攻撃の魔術なら、わたしも使えって言われて出来なかったから」
 そのために村ではシランへも何も出来なかったと思い出し、レンの胸はちくりと痛んだ。だが昔の失敗を引きずってもいられない。ルネイには何とかなると励まし、イホノ湖へ向けた移動を進めた。
「ところであなたのことを……『レン姉さん』って呼んでも良いですか?」
 消え入りそうな声で提案したルネイに、レンは一瞬考えた。ルネイは見たところ、こちらよりも年下のようである。それに自分を頼ってくれてそう呼ぼうとしているなら、止めるのも悪い気がしてきた。
「良いよ、好きに呼んでも。で、ルネイくんが通っている学校はどこ?」
「ああ、去年卒業しているんです。魔法使いに弟子入りしていたんですが、師匠が急死してしまって――」
 どこか自分の想像とずれているように思えて、レンはいったんルネイの話を止める。よくよく聞くと、彼はレンやリリより年上の十六歳であった。リリに比べても若干背が低く、幼い容姿との差にアーウィンも驚きを隠さない。
「むしろ君が、レンやリリに敬われるべきなんじゃないか?」
「でも、レンちゃんを『お姉さん』って呼びたくなる気持ちもわかるよ」
 アーウィンとリリの言葉を聞きながら、ルネイは顔を赤らめている。勘違いをしていたレンの方もかっこ悪さで恥ずかしかったが、やがて落ち着くと旅の再開を促した。いきなり態度を変えるのは難しいから、今まで通りでいこう。ルネイにその思いを伝えると、彼もようやく面持ちを和らげた。

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