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全てを白紙に 第一章 消却迫る 五、魔法の掟

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 脅威が迫ってきている。予想だにしなかったシランの攻撃から逃れたイムトは、その危機を伝えるべく自らが属する組織の本部に駆け戻った。暗い雲が広がり、地面の草がざわつくほどの強風が度々吹き付ける荒野を進む。自身の技に利用する魔導書が飛ばされないようしっかり抱え、イムトはいつ建てられたのかも分からない古城へ入っていった。
 赤茶色の石が組み上げられた建物は、二階部分がほとんど崩れて実質一階のみとなっている。入り口で既に外よりも暗く、迷路のような廊下を過ぎる。そうして肝心の部屋が見えてきた時、扉の前には会いたくない女がいた。外跳ね気味な赤に近い桃色の髪が、天井の薄暗い照明に照らされている。彼女は切れ長な橙色の目をイムトに向けた。
「団長なら留守だよ。何かあったら、あたしに言いな」
 彼女が、まともに団長へ報告するわけがない。そう思いながら、イムトは森で出会った脅威――神話に由来する技を受け付けないシラン、そして堂々と団長に会うなど言ってのけた少女の話をした。そして歩きだした二歳上の同僚・フュシャの背を眺める。
「おや、戻らないのかい?」
 笑顔で見返ったフュシャに、しばらくここに残ると告げる。やはり大事なことは、団長に直接伝えた方が良い。フュシャがあの森を抜けた先にある町へ行くと聞き、イムトは眉をひそめた。昔から自分勝手な彼女が、きちんと仕事をこなすだろうか。到底そうは思えない。一人で湿っぽい廊下に佇み、真っ先に事態を報告したい相手の帰りを待った。
 やがて、彼は戻ってきた。白いシャツをきっちりと着た団長は、イムトの報告を「既に聞いた」と切り捨てた。彼に慌てて続き、部屋へ入る。正面の机からこちらを見据え、団長は停止を促す。
「北部の消却を、勝手に進めたな?」
 団長の後ろに貼られたライニア全土の地図へ、イムトは視線を移した。早くこの国を変えるべく、自発的に動いたまでだ。それをなぜ叱られなければならないのか。疑問を胸に留めて謝罪し、イムトは団長の前で固まった。彼が次に指示を出してくるものと思っていたが、団長は机に広げた書面をぱらぱら読むだけだ。
 イムトは途方に暮れて、部屋を見回した。この場に似合わない天井貼り付け式の照明は、後世に備え付けられたのだろう。色のくすんだ壁を埋めるように、本棚が並んでいる。団長、そしてイムトが研究対象とするものにまつわる本が、棚のほとんどを占めている。だがその上部は、うっすらと白い埃を被っていた。
 あまりに室内が静かなので、イムトはやむなく口を開く。
「『牽制』の方は、いかがでしょう?」
 団長は顔も上げずに、極秘だとのみ明かした。そこからいくら話し掛けても、相手にしてもらえなかった。
「先ほどから何をしている。邪魔だ、仕事に戻れ」
 ついにはそう吐き捨てられ、団長がこちらへ移ったかと思えば背を押して部屋から追いやる。後ろで素早く戸を閉める音が、イムトには無情に聞こえた。
 何をしようか悩んだ末、足を動かす。団長に従うか分からないフュシャを監視しよう。靴音の反響が鈍い廊下を行き、途中で消却爆弾の保管された部屋を過ぎる。一つ持って行こうか迷ったが、先ほどの叱責を思い出してやめた。何より、両手に抱えても結構な重さがあるのだ。それを手にあまり長く歩きたくない。
 持っていた本を腰の革紐に装着し、イムトは両手を揺らしつつ口笛を吹き始めた。
 
 
 目覚めたレンの視界に入ったのは、白い平らなものだった。しばらくして、あれがどこかの天井なのだと思い当たる。ゆっくり首を動かすと、自分を見下ろしていたリリが涙声で具合を問うてきた。頬にあった傷は、もうなくなっている。彼女の無事に安堵し、レンは恐る恐る布団から右手を出した。シランに深々と斬られた辺りは、元通りに接合されている。試しにゆっくり手首を振ると、問題なく動いた。
「さすがに斬り落とされていたら、俺にもどうにも出来なかったけどな」
 リリの隣にいたアーウィンが、こちらの顔を覗き込む。彼は医師のように高度ではないが、「治療」魔術が使えるらしい。あれほどひどかった傷がここまで回復したことに、レンは驚きを隠せなかった。これから体調の悪化があれば専門知識のある医師に診てもらうと話すアーウィンに、深く礼を言う。確かに使用者によって精度にむらのある魔術よりは心強いかもしれない。とはいえアーウィンの腕も信用できそうだったが。
 傷はアーウィンが癒してくれたが、出血が多かったからかレンは気を失った。そこで森を抜けてすぐの所にある町の宿に運ばれたという。今いるのは、レンとリリ二人で泊まる予定になっている部屋だそうだ。レンが寝る隣にはもう一つベッドがあり、その奥に小さな机や鏡が置かれている。
 とりあえず窮地は脱した。手の動きに支障もない。これなら明日も、「虹筆」を探しに行ける。手首の辺りに触れ、レンは大きく頷いた。
「もう大丈夫、二人とも。次シランに会ったら、今度こそやり返してやる。もう魔術を使えなかったころのわたしじゃない。弾だって作れるんだから、ちゃんと狙いを定めて――」
「……レン、無理してないか?」
 アーウィンの落ち着いた言葉が、逆にこちらの胸を抉る。どうやら本心を隠し切れなかったらしい。長く息を吐き、レンは訥々と話しだした。
「まさかあんなことに――人と戦うことになるなんて、思ってもいなかった」
 今まで魔術を使えず、その理由もはっきり分からない。シランの言っていたことと関わりはあるのだろうか。おまけに今は枕元に置かれている拳銃さえ、使いこなせなかった。部活で使用していながら、実戦では全く状況が違った。そもそも人を撃った経験がないのだ。
 イムトの時もシランの時も、自分はまさに何も出来なかった。リリでさえ勇気を出して戦っていたのに、対する自分ときたら情けない。そんな心を零すと、アーウィンが励ますように言った。
「魔術のことなんて気にしなくて良いさ。世界を見渡せば、君の知る魔法や魔術を使えない人も多い。それに、君は人を撃つ覚悟を持たないで良い。敵は俺が何とかする」
 リリの方も見て顔をくしゃりとさせたアーウィンは、ふと眉根を寄せた。
「それにさっきは、相手が悪かった。シランだったか? あいつも『白紙郷』なんじゃないか?」
 彼女はサーレイ村で、消却爆弾を止めようとした少年を責めていた。それを思い出しながら、レンはアーウィンの話に聞き入った。「白紙郷」は消却爆弾を用いて国内を消していくのが主な仕事だ。だが中には自由に動く団員もおり、シランはその一人なのではないか。
「あいつは神話にまつわる攻撃を受けなかったが、そういう団員もいるんだろう。『白紙郷』は、神話を実現しようとしている団体みたいだけど」
「……神話って、どんなのだっけ?」
「君たちの方が、詳しいんじゃないのか?」
 アーウィンは目を見開く。彼が「白紙郷」について詳しく話していたのだから、その目的だという神話もよく知っているのではとレンは思っていた。だがアーウィンは、自分が元々ライニア神話とは縁のない人間だと言う。
「アーウィンさんは、ライニアによくいる人ではなさそうですね」
 リリの呟きに、レンは改めてアーウィンの姿を凝視した。なるほど特徴的な白い肌は、あまり周りで見ない。この多民族国家では、数は少なくとも彼のような人も見受けられるものだ。
「まぁ、俺みたいな出身は珍しいだろうな。ところでライニアでは、神話を習ったりしなかったのか?」
「昔は教えていたみたいだけど……」
 今はどの初等・中等学校でも扱っていないようだと話して、レンは口ごもった。ここで神話の詳細を知っていればアーウィンへ自慢げに語れただろうが、そうはいかない。リリもまた、自分の不勉強を反省していた。
「何、教わっていないなら仕方ないさ。これから生かしていけば良いんだ」
 そう励ましてから、アーウィンはレンへ向き直った。シランとのやり取りで明かされたこと――二つの国にまたがった生まれや、魔術が使えなかったのは事実か尋ねられる。どれも本当と答え、レンは再びシランとの対峙で痛感したものを思い出す。
「わたし、『魔術師』としてはやっぱり初心者だから……何か上達方法とかありませんか? アーウィンさん」
「そうだなぁ。一般的な魔法の成り立ちは分かるな?」
 アーウィンは腕を組み、レンとリリを交互に一瞥する。魔法が人の思いから生まれ、とりわけ個人の願いや確立された世界観によって扱えるものが異なるとは、レンたちも授業で口酸っぱく聞かされた。そういえばレンは、自らの願望をあまりはっきりと意識してこなかった。時々に応じてあれが欲しいなどの一時的な衝動を除けば、将来の夢のような強い目標を持っていなかった。シランの悪く言ったインディに憧れている、というのはぼんやりとあるが。
「どうやら魔法を生み出す思いってのは、無自覚のこともあるみたいだな。見つけようと焦るのも良くないさ」
 アーウィンがレンの肩を軽く叩いて笑う。そしてふと真顔になり、森では「錬成」魔術が使えていたと指摘してきた。昨日から急に使えるようになったその経緯を明かすと、アーウィンは顎に手をやって考え始めた。
「昨日から君たちの村が消されていったのか? なら、それがレンの魔術が発現したきっかけってのもあり得るな……」
 仮に「白紙郷」の襲撃が、自分の魔術に関わっているとしたら。そこから己の願望、世界観や価値観に目を向けようとして、レンは頭がこんがらがってしまった。自分が世界をどう見ているかなど、考えてもいなかった。だから魔法が確立しなかったのだと顧み、また自虐する。それを真っ先にリリが止めに入った。
「わたしだって、わたしの魔法が何だかも知らないよ。とにかく今は魔術ができるんだから、そっちを大事にしようよ」
「そうだな、今起きている問題が重要だ。この町も、半分以上が消されている」
 アーウィンの発言に、リリが大声を上げてから震えだした。レンが寝ている間に彼は町を見て回り、現状を知ったそうだ。この宿も消される前に、早く町を出なければ。そして相変わらず消却を恐れているリリを、守らなければならない。素早く思いが駆け巡り、レンは髪をさっと上へ跳ねさせてから拳を握る。
「こんな所で消されてたまるもんか! 早速、アーウィンさんが行きたがっている所に行こう!」
「君の体調が落ち着いてからだね」
 明日には彼の探す「虹筆」があるイホノ湖へ行きたいと、アーウィンは話す。イホノ湖は湖水地方の一角にあり、ここからも遠くない。布団の端を掴み、レンは期待に胸を膨らませていた。ベッドにいるのが億劫で、早く動きたくて仕方がなかった。

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