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全てを白紙に 第三章 日常に帰る日 二、夜明け前

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 結界の異変を察したルネイに起こされ、レンとリリはランタンを持つ彼に続いた。木々の間から見える空は暗く、朝には程遠い。こんな時間の侵入者など厄介だ。レンはしばらく欠伸を噛み殺していたが、畔と周辺の森との境に当たる場所に着くなり眠気が吹き飛んだ。ランタンの明かりに、何度も自分たちへ立ち向かってきた女が照らされる。
「貴方達が探していた『虹筆』は、軍に渡っているわ。もうする事はないでしょう」
 シランの問いに、レンは考えを巡らせる。真っ先にやりたいことが、ぱっと脳裏に閃いた。
「アーウィンさんと話したい。わたし達は悪く扱うつもりなんてないって――」
「裏切られても懲りないのね。愚かの極みだわ」
 風を切るような音がして、レンは瞬時に飛びのいた。シランの抜き払った刀が、白々と不気味に光る。
「一応、忠告はしておいた筈なのだけれども。私は彼が『白紙郷』である事を、とうに知っていたわ」
 今までアーウィンへ否定的に言っていたのは、その事実を前提にしてのことだったのか。しかし彼を仲間だと信じ切っていた自分に、やたら攻撃的な女の言葉など聞き入れられるわけがない。ルネイが片手から粒子を放つ間、レンは話を変えて尋ねた。シランが旅をする目的は、一体何なのか。
「如何にも個人的な問題だけれども、死に場所探しよ」
「なら、どうして人を襲うの?」
 シランの思惑が読めず、レンは暗闇で相手を見失わないように視点を定める。疑問をぶつけられた女は淡々と答えた。
「一つは、人に愚かさを思い知らせる為。そして、戦いの中で死ぬ為。私は、自分で死を選べない。そういう呪いを受けたのよ、昔に」
 シランは長く息をついてから、闇に溶け込みそうな声で語りだした。母親の虐待、学校でのいじめに苦しんでいた彼女は、ある日魔術の師匠となる男に出会った。師匠はシランの悩みを見抜くなり、「気に入らないことの元凶を絶てば良い」と刀を渡してきた。そこまで話して、シランは手にする武器を持ち上げる。
「これを使って、親も同級生も殺してやったわ。それ以来、私は彼に弟子入りした。今まで受けた傷も治してもらったのだけれども」
 シランはひらひらと、刀を持っていない方の腕を振る。包帯の白が、ランタンに浮かんでは闇に消える。シランは「愚かな」人間を自ら滅ぼしたかった。しかしその考えを師匠に否定され、自身を恨んだ。人の愚かさを知りながら、彼らに何も出来ないのかと。そこでシランは自殺しようとしたが、出来なかった。彼女は人に殺されることでしか、死を果たせなくなったのだった。
「自分には事故に遭う運命も、病気を得る事もないと言われたわ。餓死も出来ないとも。消却爆弾の影響さえ、全く受け付けなかった」
 彼女は師匠のもとを離れ、人斬りを始めた。生まれてすぐに自身を見捨てた父も殺害し、襲撃して応戦する者があればそれに乗った。戦いの中での死を望んでいたが、その時は一向に訪れていない。
 話を聞いているうちに、リリが具合を悪くしたようにしゃがみ込んだ。レンの気遣いを必要ないと首を振り、深く俯いている。レンはシランの表情一つない顔を見た。あの冷たい面持ちの下に壮絶な過去が隠れているなど、気付かなかった。多くの人を襲ってきた彼女の行いは、褒められるものではないだろう。それを分かっていながら、レンはいつの間にかシランへの同情が強まっていた。何がそうさせるのか分からないが、語りを聞いていくうちに同情は増していった。
「……こんな私だけれども、時々私の方が周りより愚かなのではとも思うわ。いや、人でありながら人を否定する時点で、私は――」
「そんなことない!」
 思わず声が出、レンは自分でも驚いた。衝動的に口走った先で何を言えば良いのか、しばらく考えて思い付きを並べる。シランは自分よりずっと戦い慣れている、今回のような非常事態でも冷静だ、少なくとも「愚か」ではないと。しかし相手は、変わらぬ冷徹な声で一蹴する。
「それは貴方の思い込みでしょう。人に自分の在り方を決め付けられたくはないわ。それは自分で決める、魔法使いには鉄則よ」
 まだレンの隣でうずくまっていたリリが、さらに身を縮こませた。その肩を宥めるように叩いてから、レンはまっすぐシランを見据えた。
「シラン、これからどこへ行くの?」
「『白紙郷』の本拠地よ。消却が南端まで及んでいる中、あそこは首都と同様に残ったままだわ」
 レンたちの故郷からさらに東で広がる荒野に、「白紙郷」は拠点を構えているという。ただし組織を率いている団長は、いつも本拠地にいるとは限らないらしい。団長は何の理由があってか、時々首都の国防省に赴いているそうだ。
「団長はこのライニアでは珍しく、魔法がと魔術が使えない。だから他のライニア人が気に入らないのよ。全く、愚かさを知らしめてやりたいわ」
 思わぬ話に、レンは目を見開いた。団長の境遇は、少し前の自分と変わらないではないか。何が彼を、ここまでの暴挙に駆り立ててしまったのか。背を向けたシランを、レンは咄嗟に呼び止める。
「シラン、わたしを本拠地へ連れて行って。前のわたしと同じで魔術の使えなかった――それでいてわたしの好きな日常を壊している団長を問い詰めてやりたい」
「貴方には無理よ」
「別に戦うなんて言ってない!」
 いつもの言い訳に対する怒りを答え、レンはシランを睨む。
「何も出来ないなんて決め付けないで。わたしだって、子どもじゃないんだから」
 静かに訴えると、相手が小さく溜息をつくのが聞こえた。
「良いでしょう。どうせ何をした所で、貴方達は自滅するでしょうけれども。それなら覚悟を問うわ。貴方が団長あるいは団員をその銃で撃てると言うのであれば、案内をする。出来ないならここに留まって、惨めにこの国が消えるのを待ちなさい」
 予期せぬ案を出されて、レンのシランを見る目つきは強くなる。一方でいつも銃を持つ右手は小さく震えていた。この女は自分が武器を使わなければ――下手をしたら殺さなければ、目的を果たさせないつもりなのか。迂闊に団長へ会いたいと言わなければ良かったと思いかけた心を、すぐに振り払う。何も知らないままでこの旅を終えては締まらない。ここは覚悟を見せるのだ。
「……分かった。あんたの言う通りにするから案内して、シラン」
「そう。今のうちに銃弾を用意しておきなさい」
 聞き取りにくく告げて、誘いを持ち掛けた女は背を向ける。再び進みだすシランへ続くべく、レンは野宿の片付けをしてから彼女について行った。水面に日の光が映り始めたイホノ湖を離れ、木の立ち並ぶ道を進んでいく。次第に空は明るくなっていったが、まだ昼に比べて肌寒かった。
 四人はしばらく会話のないまま進んでいたが、やがてシランが消却神話をどれほど知っているか、レンたちに尋ねてきた。レンもリリも答えられず口を噤む。ただ一人、ルネイだけがすらすらと大体の流れを述べた。神が持つ恨みの力によって消えた国土が、「虹筆」によって元に戻るという物語は、よくよく思い出せば昔にレンも耳にしていた気がした。
「この神話は、今回の事件に関係あるんですか?」
 ルネイの零した疑問に、シランはすかさず頷く。
「神話の流れと同じよ。恨みの神・ルーフレが消却の中心となったように、『白紙郷』の団長もライニアの人々を恨んで、消却を起こしている」
 ここまで「白紙郷」の思惑にも詳しいシランが団員なのではないか、かつてアーウィンが言っていたような推理を思い出してレンは問うたが、こちらは否定された。シランは一度、アーウィンに「白紙郷」へ入るよう勧誘された。彼女はすぐ断ったが、以降「白紙郷」の目的などを調べるようになった。何か分かったことはあるかレンが問うと、鋭い目でシランに睨まれた。
「貴方はそれを団長へ尋ねるために、わざわざ本拠地へ向かう愚行をするのでしょう?」
 言い方に苛立ちは募るが、それは正しい。自分の耳で団長の言葉を聞けることを願い、レンは黙って足を前に踏み出した。

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