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連載(61):人類の夜明|宇宙の法則「慣性の法則」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

慣性の法則

気分良く運転しているとき急に横合いから犬が飛び出し、あわてて急ブレーキをかけた!、そんな体験をした人も多いでしょうが、そのとき車は直ぐに止まらず、しばらくは惰性で進んだはずです。

これが二つ目の法則、『慣性の法則』です。この法則は、心の傾向性という形で心にも働くのです。


“なくて七癖”といわれるように、人にはさまざまな癖があります。

仕草に癖のある人や言葉に癖のある人は、他人から指摘を受け修正もしやすいですが、心の癖は目に見えないだけに見過ごされ、本人が自覚しない限り修正は困難です。

その種類も十人十色、しかも一人で二つも三つも抱えている場合がありますから修正が大変です。


さて死ぬ直前に、“懺悔したからあなたの罪は許されましたよ”と気休めをいう人がいますが、懺悔しただけで罪が許されるなら、この世に罪人は一人もいなくなるでしょう。

今まで極悪非道の行いをしていた人が、死ぬ直前に懺悔したからといって本当に救われるものでしょうか。

もし本当に救われるなら、若い時好き勝手に生き、死ぬ間際に懺悔して許しを乞えば良いでしょう。

しかし、そんなペテン師まがいが通るはずはないのです。

たとえ本心から悔い改めたとしても、心の癖というものは抜けるものではなく、『慣性』という形で意識界まで引きずって行き、そこで苦しむことになるのです。

これを宗教では『業』といっておりますが、私たちがこの世で修行する理由の一つに、この癖をなくすことがあるのです。


さて、この法則を先程と同じように対比させてみましょう。

[物体に働く慣性の法則]
“物体に力が働かなければ、あるいは物体に働く力が釣り合っている場合は、静止物体はいつまでも静止しようとし、運動している物体は同じ速度でいつまでも等速運動を続けようとする”


これを物体に働く慣性の法則といい、ニュートンの第一法則です。

この法則は次のような性質をもっています。

“物体に力が働いているとき、物体には力と同じ向きの加速度が生じる。

加速度aの大きさは、働いているFの力の大きさに比例し、物体の質量mに反比例する”このことから次の式が得られます。


F=ma(aは加速度の大きさ、mは質量、Fは働いている力の大きさ)これをニユートンの第二法則といいます。


このことからいえるのは、物体に力を加えなければ物体はいつまでも静止したままであり、運動している物体に逆方向から力が加えられなければ、その物体はいつまでも等速運動を続ける。

そして物体に力が働けば、加えられた力の方向に加速度が生じ、その加速度の大きさは力に比例し質量に反比例するということです。


[心に働く慣性の法則]
あるmという悪念を発したとします。

思いを発するにはエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは念の力(a)です。

その思いは行動(F)に駆り立てるでしょう。

しかしその思い(念)の力が弱ければ、行動にまでつながらないかもしれません。

なぜならば、物質が動くと摩擦や抵抗生じるように、心にも逆念つまり摩擦や抵抗力が加わるからです。

逆念とは良心から発せられる理性です。

しかし、aの力がますます募って理性を上回ってしまうと均衡が破れ、そこにmaという運動がはじまり行動化されるでしょう。


これで、F=maが心の法則にも当てはまることが理解されたでしょう。

理性を打ち破り己の欲望を満足させた思いは癖として生き残り、縁があれば再び行動に駆り立てるでしよう。

今度は当初とは違い、すでに等速運動を続けていますから念の力はそれほど必要とせず、少々躊躇(良心が咎める)はするものの、実行に移すのはそう困難ではないでしょう。

これが度重なると、他人の意見に耳も貸さず暴走することになるわけですが、これは癖が理性を上回ったために起きる一種のノンブレーキ現象です。

つまりそこに、『業』が作られたわけです。

これも早いうちなら修復も簡単ですが、度重なると修復にはそれ相当の逆工ネルギーと時間が必要になってきます。

それも質量が大きければ大きいほど、修復は困難を極めるでしょう。

心の世界での質量(m)とは、思いと行為の内容をさしているのですが、どのような思いや行為が質量の大きなものか、ここで代表的なものを挙げてみましょう。


『狂思想家、狂宗教家、狂闘争家、破壊活動家、異常性欲者、殺人者、暴力者、盗癖者、人を平気で陥れる者、怒りと愚痴で調和を乱す者、人を憎んだり、恨んだり、誹謗したり、自己中心的な者、見栄っ張り、意地っ張り、自己顕示欲の強い者、心配性、ネクラ性』などでしょうが、これらの癖も何種類か絡みあって浮かび上がってくるから厄介です。


人がこの世に生を受けたときには、みな正しい心をもっているのですが、傾向性(業)というものは心の芯に残り火のように残っており、人生道を歩む中で縁に触れ発火しはじめるのです。

ではこの傾向性(業)を直すには、どうすればよいのでしょうか?。


物体が加速している場合、まず加速している原因を捜し出し取り除く必要があります。

加速度を取りのぞくと物体は等速運動に変わるから、今度は逆方向から同じ力を加えてやれば物体は静止します。

心の癖もこの要領で止めればよいのです。

ただ物と違って心の場合は、原因を捜し出すのが厄介です。

心の癖というものは案外と自覚していないもので、また他人もはばかって指摘してくれませんから、なおざりになってしまいます。

その欠点を捜し出すには、自分の心をジーッと見詰める『反省』以外ないでしょう。

反省だけが心の欠点を見つけ出してくれるのです。

反省によって原因をつかまえたら、あとは加速度を加えないよう普段の想念と行為を謹めばよいのです。

しかし、これで安心してはなりません。

等速運動に変わったとはいえ、まだ悪癖の根は残っているわけですから、その根を掘り起こし完全に息の根を止めるまで油断は禁物です。

息の根を止めるには、逆方向から力を加え等速運動を完全にストップさせることですが、それは先ほどもいったように、良い想念を常にもち続けそれを行為につなげることです。

その行為も人前だけの繕いではなく、人知れずところ、つまり良心の前でやるところに意味があるのです。


こうして悪い等速運動が止まり、良い等速運動がはじまるわけですが、それを意識して加速していくと、今度は良い癖(善業)がつきはじめるのです。

※悪癖を修正するには、宇宙心と一体になることである。

(つづく)

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