#113【介護雑記】私が嫌いな母を介護できた理由。
昨日、同僚と、ちと厄介な「接客クレーム案件」の処理をしていた。私は一応、”世を忍ぶ仮の管理職”なので、私の所にクレーム事案が上がってくる時には、既に、結構な塩梅で、”こじれた状態”で上がってくる。
しかもそれは、「(自分だったら、)こんなに、こじらせる事案じゃないだろうよ・・・。ほんのちょっとの行き違い。」という、些細なきっかけや、お互いの誤解や先入観によるものが多い。
なので、「誰が悪いのか?」ではなく、「どこに原因があるのか?」その分析がまず先だ。それをせずして、適正なクレーム処理はできない。
「いや、ここはウチの対応が悪いよね?でも、ここは、お客様も、どうなん?って所だよねぇ・・・本人は、何て?」
「いや、それがですねぇ・・・。」
「あぁ、なるほどね。でも、それ社内ルールにないよね?つか、出来ないよね?できるの?逆に、契約規約、どうなってる?」
などと、担当者と揉んでみる・・・。(いつもの事だが。)
そんなやり取りの中で、ふと気がついた。
私が嫌いな母を介護できたのは、私の職業が「接客を含むサービス業」だからではなかろうかと。思えば、認知症の母の介護は、”壮大なカスタマーハラスメント事案”だったとw
”カスハラ事案”は、ほんとーに、社員従業員が疲弊させられる。体力よりも、精神的に削られるのが、最も、深刻だ。
だけど、その”カスハラ”に、絶対に負けたくなかった自分・・・みたいなw
たとえ、そのお客様の事が、「大っ嫌い!!!」 であっても、「苦手」であっても、「人として、どうなの?」と、理解できなくても、お客様に「求められるサービス」を提供している限り、常に、『顧客満足度100%』を目標に掲げ、最善を尽くさなければならない。
これは接客サービス業の大前提であり、常道だ。
そういった「至誠」こそ、カスハラを防御する最大の武器でもある。
お客様に、「それは無理です。出来ません。」とは、言ってはならない。
代わりに、お客様にご満足頂ける、別の「ご提案」を、何通りにも立案できる、それこそが「接客業の妙」であり、「サービス業の醍醐味」であり、プロとしての仕事だ。
これらの接客理念や基本スキルは、「親の介護」においても、充分、適応することが出来る。
だがしかし、「介護」における、最大の問題は、家族介護者として、どれほど”サービス”をご提供しても、金銭での対価を頂けないw
むしろ、サービスを提供している側に、金銭的負担が生じるという・・・。
ま、ここなんだよねw
仮にも、接客業のプロとして、最善最良のサービスを常に考え、親にご提供できる力があったとしても、「対価」を頂けるわけじゃない。
むなしい・・・・・・・・・・。
銭にならないのに、毎日、「最凶のカスハラ対応」を、強いられているわけですよ。対価の源になる売上げや、利益になる他の案件(仕事)を割って・・・。
よく介護職の方が、利用者さんへは抜群のサービス提供が出来るけど、「親の介護はしたくない。」というのは、同じサービスを提供しても、「対価」にならないからだと思うんだよね。
別の事例だと、よくお笑い芸人が、「仕事」では、無茶苦茶、おもろくて、客受けも抜群なのに、「プライベート」では、”大人しくてつまらん人”というのも、プライベートで人を笑わせても、ギャラに繋がらないからだと思うんだよねw
だけど、私には、例え、対価に繋がらなくても、成し遂げたかったものがある。
それもまた、長年、生業としてきた、接客サービス業の意地というか、プライドというか・・・。
そういう、いつの間にか培われていた職業人としての矜持が、「大っ嫌いな母の介護」の原動力になっていたのかも知れない。
実際、「母の介護」を経験してから、仕事での「クレーム対応」が、ずっと自然に、楽に出来るようになっている事に気づく。だって、それで「対価」が貰えるんだものwww
「ん?なに?クレーム?また、カスハラ野郎?ん?違う?
ああ、あのパワハラ野郎?いいよ、いいよー、楽勝だよぉ~♪」とw
どんなクレーム処理も、対価の貰えない「親の介護」に比べれば、ずっとやりがいがある事に、今更ながら気づくw
「だからさ、どんなつまらないクレームでも、真摯に対応する価値があるということだ。目先ではなく、”未来の利益”の為に。面倒クサいけどなw」
「そうですよねぇ~www 超絶、面倒クサいですけどw」
数時間後、前途のクレーム案件は、担当者の冷静で真摯な対応により、無事に解決した。
大っ嫌いな母を介護したのは、私の人生において、決して、無駄ではなかったなと思う一件だった。