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『武士道』新渡戸稲造

はじめに:古来の日本人の哲学

武士道とは、日本人なら誰しも聞き覚えがある言葉だ。武士に始まり、いつしかサムライではない大衆市民たちまでもがその教えを学び、取り入れることとなった。武士道は、”大和魂”と言われるまでに大成したのである。

現代では、世界中からの文化や人間の流入が日々繰り返される。

そんな今だからこそ、当時の日本人が心に刻み込んでいた武士道とは何たるか、学ぶ必要があると女史は思った。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

武士道とは:鉄の訓え

武士道とは、武士の守るべき、道徳的行動規範である。そして、武士道は非成文法であり、この教えは人の口を通じて伝えられていく。

武士道は、封建制度の元で勃興した哲学である。その一方で、封建制度が崩壊した現在でもなお生き続け、さらに、武士以外の一般日本市民にも浸透していった哲学でもある。

武士道の源泉:仏と神と東洋哲学

封建制度が世を支配する時代に、武士道は、一体何を祖としてその産声を上げたのか。それは、仏教、神道、孔子そして孟子の教えである。

武士道は、様々な宗教及び哲学から影響を受け、封建制度という社会の仕組みに、その教えを巧みに美しく適応させて出来上がった代物である。

仏教の伝える、いかなる場面においても心の平静を保ち、運命を受け入れる精神。座禅と瞑想により、物事の原理を悟り、世俗を超越する精神の鍛練。

神道の伝える、主君・祖先・親への忠誠・尊敬・孝心を持つことの重視。忍耐と謙譲心を保ち、常に澄んだ心を持って内省する。

孔子・孟子の伝える、仁・礼・義といった、道徳的教義を持って自己と相手と接していくこと。

これらの哲学が混ぜ合わさって、武士道は誕生した。

以降の章で、武士道が武士に課した、基礎的な教えを述べていく。

武士道の基礎①:義・勇

義と勇は、武士道の重要な教えの一つであり、双方関連している。

とは、卑劣で不正な行動は忌まわしきものであり、防ぐべきであるとする教えである。言い換えると、義は、”自分の身の処し方を、道理に従って、ためらわずに決断する力”であるとされる。やるべきことを、やるべき時に迷わずにやれ。死ぬべき時は死に、敵を討つべき時は討て。ということだ。

そして、義とは”義務”ともほぼ同義であり、義の示す道理を絶対命令として死守することを武士に徹底させる教えでもある。

次にである。勇は、”正しきことを為すこと”である。やみくもに危険を冒すことは勇ではない。勇は、恐れるべきものとそうでないものを識別し、義に従って行動するための一歩を踏み出すことである。

武士道の基礎②:仁・礼・誠

これら仁・礼・誠は、日本で生まれ育った方ならばきっと容易にわかるに違いない。

とは、愛・寛容・哀れみを持つことである。仁を持つ者は、常に心の中で苦悩し、辛苦に耐え、弱い人間を思いやることができる。謂わば、人間愛である。常に義と勇の道理を以てして、相手を思いやるのである。

とは、愛に限りなく近いものである。他人を思いやり、共に喜びや悲しみを共有する。常に心の平静を保ち、平和と友情を見出すのである。例として、茶道があげられる。戦国時代のさなか、あえて刀を置いて、茶道のルール=道理に身を置くことで、平和と友情を育むのである。

とは、文字通り、言ったことを成すことだ。嘘をついてはいけない。武士に二言はない、と、そういうことだ。嘘をつくということは、心が弱い人間であることを証明する。そしてそれは、武士にとって、名誉を深く傷つけるものである。

武士道の基礎③:名誉・忠義

名誉と忠義は、義・勇・仁・礼・誠とは異なり、封建制度の中で育まれた哲学としての最大の特徴であると女史は思う。

名誉とは、高潔さである。これは、武士の最も大事な特質の一つである。名誉を保つということは、個人に与えられた役割をしっかりと全うすることである。

ここで注意せねばならないのは、何かにつけて名誉だ名誉だと騒ぐことを武士道は良しとしない。名誉とは、他者からやみくもに与えられたり、奪われたりするものではない。あくまで、自分自身が天から受けた使命を、忠実に全うすることである。

無礼なことを言われた!顔に泥を塗られた!不名誉だ!と騒いで、すぐに刀を振り回すような人間は、武士ではない、と武士道は切り捨てる。

忠義とは、個人に対する忠誠心である。封建制度の時代、武士の生命は、主君に使えるための手段であった。これを全うすることが最大の忠義であり、武士の名誉であるとされた。

武士の教育:己を制せよ

武士は、上記で述べてきた武士道の基礎を、武術・書道・道徳・文学・歴史の教育を通して、幼少期から身に着けていった。常に己を制し、鍛練を怠らない克己心を、スパルタ的教育で育んでいったのである。

また、ここで興味深いのは、武士の教育に数学等の科学的な科目が含まれていなかったことだ。これは、当時の時代情勢を鑑みるに、科学が彼らの戦術に寄与する機会が少なかったことが考えられる。

そしてこれは、武士が金銭を忌み嫌い、一切の関心を持つこと許さなかったことに関係している。現代では、”武士の商法”といえば、商売下手を揶揄する言葉となっている。

武士道と女性:武士道は男だけのものではない

ここは女史が大好きなパートだ。武士道は男だけのものではない。女性も、武士道の教えをしかと学び、実践していた。

武士道は、女性であっても、”女性の弱さから自らを解き放ち、最も強くて勇敢な男性に決して劣らない、英雄的な不屈の精神を示す”ことができるとした。それ故、武家の女性は、薙刀を学び、自己と家庭を守る術を身に着けた。精神的鍛練を怠らず、常に克己心を持って、自身を育んだ

もちろん、女性としてのしとやかさも求められており、音楽・舞踊・読書にも励む必要があった。

武家の女性は、いざとなれば男性同様、自害をも辞さない、強い精神を持っていたことが本著では述べられている。

武士道と西洋文明:大いなる使命を見据えよ

さて、ここまで紹介してきた武士道であったが、西洋文明が流入してきたことで、その在り方は、今後必ず変化していくこととなる。

新渡戸氏は、他民族・他国家との交流が盛んになったからこそ、新たなことを学び、そして取り入れていく必要があるとした。

武士道の教えを頑なに守るのではなく、外部知識からも新しいことを取り入れていこうではないか、というのだ。

もともと武士道自体が、様々な宗教や教えをベースに作られている。だからこそ、新たな発見を取り入れ易い哲学でもある。

変わりゆく社会の中で、武士道の示す使命を超えた、さらに大きな使命を見つけるのだ、と新渡戸氏は我々に訴える。

おわりに:万物の垣根を超越しうるサムライの哲学

女史は、武士道の哲学が大好きだ。武士道と言えば、”男らしさ”、”日本人らしさ”の象徴と思われがちだ。しかし、女史は、人種、国籍、性別、立場関係なく、どんな人でも取り入れるべき哲学であると思う。

義・勇・仁・礼・誠は、無用な争いの絶えない現代こそ、万人が重要視すべき哲学である。女史の別の記事で、世界での闘争が、一人一人の人間の無関心性が起因であることなどを批判した。

万人が、勇をもって義を実行し、仁をもって弱気を助け、礼をもって人を愛し、誠を以てして自己に一切の虚偽を許さないことで、世界の争いは消える。

そんな世界を実現するために、女史は一体、いかなる天命を果たせばよいのか。女史は、常に熟考し、行動していきたい。




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