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#放射能避難
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅰ家族のプロフィール
今度の3月11日であの日から10年が経つ。2011年3月11日、東日本大震災。私と3人の子供達は福島県川俣町で震災に遭った。今、カナダであの時を振り返ると、10年が1年のようにも感じる。随分遠いところまで来たなあ。逃げ切れたのかなあ。でもカナダの永住権、その後の市民権が取れるまでまだ私達の避難生活は終わってない…
今日から少しずつ当時のことから今日に至るまで私たち家族の軌跡を振り返ってみたい。
震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅹ 内部被曝した⁈
Ⅹ 内部被曝した?!
私は町営住宅に住んでいたのでどうしても全部の荷物を引き揚げざるを得ず、また、あの短い滞在中に分別して物を捨てることもできなかったので、放射能がついたであろう物を持ってきてしまいました。子ども達は「大丈夫なの?」と心配そうでしたが、どうしようもないので、「大丈夫、大丈夫。」と言うしかありませんでした。出来るだけ拭き取れる物は拭き、外に置きっぱなしだった子どもたちの自転車ごしご
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅱ震災当日
1. 巨大地震だ!
2011年3月11日午後2時46分、運命のあの瞬間、私は福島県川俣町山木屋地区の豚舎の中で働いていました。もうすぐ出産する母豚24頭を豚舎に入れて落ち着いたところで、同僚と餌やりとチェックをしていました。
突然ドドド、グラグラッと大きな揺れを感じました。東日本に長年暮らしていて地震には慣れていましたが、この尋常ではない揺れは人生でも全く経験したことがないものでした。
初
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅲ 3月12日 放射能漏れ⁈逃げる⁈
Ⅲ 3月12日
1.放射能漏れ?! 朝5時半に目が覚めたとき、携帯で千葉の母の家に電話をかけてみました。奇跡的につながりました。余計な心配をさせたくないと思い、「こちらはみんな無事で、大した被害もないよ。」と言っておきました。
ラジオをつけると、ちょうど、長野県で震度6弱の地震というニュースが。東北の地震とは関係ないという報道でしたが、全国各地で地震が起きるのか、これから日本に何かおそろしいこ
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅲ 3月12日 7. 長い長い一夜
7.長い長い一夜
(1)国道の渋滞 酒屋の横に公衆電話があったので、震災以来2度目の電話を母にかけました。前の電話では心配をかけたくなくて、「大丈夫。」としか言っていなかったので、母の家に突然避難しに押しかけて行くと言ったらどう言われるだろうと心配でした。後で書きますが、母はいわゆる毒親で予測のつかないことを言う人だったので。でも、このまま順調に進んだら、早くて今夜遅くに着くかもしれないので、い
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅳ 3月13日 ゴミ屋敷の母の家
1. 物がいっぱい!
朝早かったので起きているかな?と思いましたが、母は起きていました。次男と娘を起こし、みんなで母の家に入りました。
ドアを開けた途端、玄関には大人の腰より高く物が積まれ、靴を脱ぐ場所もあまりないほどでした。私は予想していたことでしたが、子どもたちは心底びっくりしていました。次男が小さな声で私に「これどうしたの?」と何度も聞いてきました。
台所に入っても、棚から物があふれ、
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅴ 3月14日 物不足と3号機の爆発
Ⅴ 3月14日
1.物不足! 翌14日、計画停電が始まりました。母の家のある地区が何時から停電になるのか、停電が本当に実施されるかは直前にならないと分かりません。とにかく大量に洗濯物が溜まっていたので、洗濯機を3回も回しました。母の家では干すスペースが少なすぎるので、コインランドリーを探しに行きました。
また、停電中は冷蔵庫が使えなくなるので、乾物など日持ちのする食糧を買いに行こうと買い出しに
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅵ 3月15日 再び避難!
Ⅵ 3月15日
1. 放射能が来た! 3月15日早朝、関東でも放射性物質が検出されたというニュースが報道されました。また、2号機で爆発音、格納容器に繋がるサプレッションルームに欠損が見つかったことも報道されました。
もう、子どもたちを外に出したくなかったのですが、母が、どうしても買い出しに行くと言い張り、おばあちゃん子の次男も付いて行きました。「できるだけ早く帰ってきてよ。」と言ったのですが、
震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅶ 3月16日 和歌山到着!
Ⅶ 3月16日
1.いよいよ和歌山到着! 名神高速を通り、京滋バイパスを経由し、近畿、阪和自動車道を通りました。奈良に住んでいた時は、もと旦が伊勢湾岸、東名阪自動車道、名阪国道を通っていたのですが、今地図を見れば、和歌山へもそのルートで行った方が近かったかな、と思います。でも、あの時はゆっくり考える時間もなく、ナビもないので、とにかく即決して行くしかありませんでした。
一度、パーキングで10分
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅷ 和歌山にて 母に追い出されそうに
Ⅷ 和歌山にて
1. 役場と学校に行った! 3月17日、紀美野町役場に行きました。私の住んでいた福島県川俣町は福島第一原発から42㎞、避難区域は30㎞圏内なので、私は自主避難にあたります。本来なら行政に何も言えない立場のはずですが、震災がきっかけで避難したことに変わりはないので、役場に報告だけはしておこうかな、と思ったのです。
「自主避難ですが、」と言ったのですが、役場の人達は福島から来たとい
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅷ 和歌山にて 親友も合流
5. 親友も来た!
私は福島で子ども劇場に入っていて、劇場を通じた友人がたくさんいました。その中でも一番交友が深く、次男の幼稚園の時からの親友のお母さんでもある友人のAさんから、3月17日の夕方、「避難しようと思うんだけど、どこかないかな?」とメールが来ました。私は、山形や奈良県の自然農の仲間が住むところを提供してくれるという、やまなみ農場の佐藤幸子さんから聞いた情報を教えました。
翌日の夕
震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅸ 福島に戻らなきゃ!
Ⅸ 福島に戻らなきゃ!
1.明け渡しの通告
福島では町営住宅に住んでいました。避難して2週間後の3月下旬、和歌山に避難したことを町役場の担当者に伝えると、交通事情が悪いのですぐには戻れないだろうが、何年も荷物を置きっぱなしにすることはできない、と言われました。
私自身も、春休みが終わって新学期が始まれば、子どもの学用品や服、家具などがないと困ると思い、できるだけ早く取りに戻りたいと思いまし