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それは自己実現に通じる道?それともただの自我実現?

ラグビーワールドカップ、始まりましたね!
前回の日本大会から4年経ったんだ、とあらためて月日が経つのを早く感じます。

4年前、日本でのワールドカップでは、東京の試合のチケットが取れず、私は静岡でのスコットランド対ロシア戦を観に行く予定でした。しかし、当時高校生だった息子の野球部の練習試合が入り、泣く泣くキャンセル。既に買っていた新幹線のチケットは新宿のみどりの窓口に払い戻しに行きました。

そのあと半年ほどで、コロナのため世界中が大騒ぎになり、部活動はほとんどできなくなってしまったことを思うと、やはり応援に行ってよかったと思うのです。貴重な、野球場でのナイターの試合でした。息子の打席。どんどん暮れていく夕空に、カーンと響き渡った音と共に、誰もいないレフト側の外野席へゆっくりと大きな弧を描いて飛んでいった白球を、今でも覚えています。あと数mずれていたら、という幻のホームランでした。


あれから4年。私、どうだろうか?
自己実現に通じる道を歩んでるだろうか? 


……間違いなく、歩んでます!!と言いたい。
ついに記事に「出版」の文字が出てきた!
本当の自分も、見つけた。


今回のワールドカップ開幕戦、フランス対ニュージーランドは非常におもしろい試合だった。
スカパー様様!J  SPORTSありがとう!
バタートースト、ゆで卵、ミネストローネ、コーヒーの朝食をとった後、息子と二人、それぞれソファに寝そべりながら観る。ポテチを食べながら。

解説の沢木さんがフランスの観客のブーイングに「レフリー、プレッシャー半端ないですね。これは禿げますね。」とコメント。

いち早く息子は「もう禿げてる!」と笑いながらツッコミ。
私も「もう禿げてますね。」と沢木さんの口調で言う。

レフリー、スキンヘッドの方でした。


開幕戦の前に大会のトロフィーをお披露目したダン・カーター。元ニュージーランド代表のスター選手。2018年神戸製鋼でプレーしていたときに試合を観に行きました。懐かしい!


ああ、好きだなぁ、ラグビー🏉

いま、野球はTVでいいや笑。
でもラグビーは、生で観たいと思うんですよね。

そして、ラグビーが好きだとか,おもしろいとか、素直な気持ちを共有できる家族がいるって、なんていいんだろうって思うんです。
ずっと誰にも言わず秘めていたので。


さて、前置きが長くなりましたが、
これから取り組もうとしていることが自己実現なのか、それとも自我実現なのか?
私がそういうことを考えるきっかけになった
河合隼雄先生の文章を紹介します。
私は「こころの子育て」という本を子育てのバイブルとして大切に読んできたのですが、本の最後、「おわりに」のなかで河合先生はこう書いています。

 「自己実現」という言葉はいますごく流行っていて、いろんなところで使われていますね。しかしぼくに言わせれば、あれは自己実現でもなんでもありません。ぼくはそれは「自我実現」か「利己実現」だと言っているんです。
 もちろん「自我実現」だからダメだと言っているわけではありません。「自我実現」も大事です。〜中略
自分の夢を実現してお店を開いてがんばるとか、好きな仕事で世の中に認められるとかね。でもそれは「自我実現」なんです。それはまだ大したことではない。小さい小さい「私」を実現しようとしているだけということは、わかってないといけない。

「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」
河合隼雄著

厳しい言葉ですよね。
ほとんどの人は自我実現を目標にしてるのかとさえ感じます。
もう少し読んでいくと……


ユング心理学では、意識の中心に「自我」があるのに対して、無意識も含めたこころの全体の中心として「自己」というものを考えます。「自我実現」は、意識の中心である「自我」の実現ですから、社会的にだれが見ても評価されることをやっている。ところが「自己実現」の方は、無意識というわけのわからない要素も含めてのことですから、一般的に評価されることとは違う、場合によると途方もないことが起こってくる可能性がある。

「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」
河合隼雄著

生も死もひっくるめて、命全体、魂も含めての大事業が自己実現と私は解釈しています。

以下から引用長めです……

 よく「子育てと自己実現は両立するか」なんて言われますが、ぼくは子育てほどおもしろい「自己実現」はないと思います。「子育ては自己実現だ」というのは、子育てはこころも身体も、つまり人間全体を使わないとできないからです。〜中略
自我にとってはとても不可解なんだけど、自分のところにいきなりやってきたものを自分の運命としてガッチリ受けとめて、それをどう生きるか、なんです。「どうしてこんな子なの」じゃなくて「こんな子とどう生きるか」と考えるのが自己実現です。思うようにならない子どもを受け容れるのが自己実現だ、といってもいいです。だからすごく宗教的なものと関係してきます。

 そこには思いもよらなかったことや、嫌なこと、わけのわからないことが入ってきます。
そういうときは、「あいつが悪い」「こいつが悪い」と言って逃げてしまいがちです。でもそのときに「起こってきたことは自分のことだ」とはっきり受けとめることが、自己実現の第一歩です。

子育てをしていると、「自分」というのは、自分が知っているよりもはるかに不可解で、認めたくないような要素がたくさんあることがわかってくる。それを自分のこととして受け容れるのは恐ろしいし、苦しい。しかしそういうこれまでこころの中に潜んでいた要素をちゃんと見つめて、それを使いものになるようにするのが、「自己実現」です。できることならやめたいというくらいのものが「自己実現」なんです。

「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」
河合隼雄著

私はここ↑を何度読み返したかわからないです。
孤独で苦しかった子育て中、くり返し読むことで励まされました。

 自己実現を本気で考えたら、自分が好きなことをしているだけではダメで、他人との関係を考えざるを得なくなってくる、ということもあります。だれかを好きになってその人のために生命を捨てたいと思ったり、自分は食べなくても子どもに食べさせたいと思うのは、自分が何か得たり、やったりする以上に、他人のことを考えているわけです。だから、自己実現を本気で考えだしたら、それは最終的には「世界」を考えることになります。そして、結局それは「楽しさ」をもたらします。

「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」
河合隼雄著


やってあたりまえ、誰にも褒められることはない子育てだけど、実はとても意味のある大事業なんだ、と鼓舞しながらきました。
とことん味わい尽くしました。
この本のおかげで、あまり気をそらせずにこられた。何を犠牲にしているか意識していたから。

4年前のあのとき、大好きなラグビーを観に行くより、野球を応援することを私は選んだ。同じシチュエーションで、自分の好きを優先して、ラグビーを選ぶ人もいるでしょうね。それはそれでいいと思う。正解はない。その人なりの生き方だから。

今は息子が二十歳になり、ようやく私は自分のしたかったことに向き合っています。自我実現なのか、自己実現なのか、よくわからないけど、きっと進むなかで明らかになるでしょう。危ない橋も渡ることになるでしょう。
河合先生いわく、本当の自己実現は、自我の崩壊スレスレ、死と再生というテーマが働くそうです。



〜長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪〜


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