波水浦 蓮

一端のヒトです。

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最近の記事

喫茶店の小さな思い出

好きな喫茶店が、少し前に閉店していたらしい。長く愛された店だが、マスターらしい人は見たことがなかった。厨房の方から、談笑するお姉さま方の声がいつも聞こえた。初めてあの店へ行ったとき、アイスコーヒーに指した脆いストローが折れて、そこから飛び出してきたコーヒーで本に染みを作った。風情のある染みだ、とうれしく思った。それからはよく学校の帰りに(わざわざ途中下車をしてまで)立ち寄るようになって、やたら広いアンティークの丸テーブルに、時に原稿用紙、時に数学のノートを広げ、私は書き

    • 日記:古本まつり

      池袋西武で開催中の古本まつりに行ってきた。西武の古本まつりは年に二回程別館で開催されるもので、様々な古本屋がギャラリーの中にひしめき合う。前も後ろも、右も左も、足元も、すべて古本。或いは雑貨。本好きにとってみれば、正にお宝の山である。私はこの古本まつりで、秘宝を見つけた海賊よろしく本を買い漁るのを、開催されるまでの半年間ずっと楽しみにしている。 今日の収穫はというと、本が七冊にメモ帳が一冊、ビー玉の入った袋が一袋である。私の購入品を目にした店員さんは初め薄いビ

      • サンタクロースを信じますか?

        あの頃の私は素直な子供で、かなり長い間サンタクロースが実在すると思っていた。私の住む日本があるのと同じ地球の、実在するどこかの地点にはいつもサンタクロースがいるのだと。そう思わなくなったのは、小学五年生の冬、何かの間違いかもしくは出来心で、親のLINE画面を見てしまった時だった。その日私はサンタクロースを信じるのをやめた。 そして20歳の今、再びサンタクロースを信じている。信じるとはどういうことかという問いに、自分なりの答えが出たからである。サンタクロースの由

        • 朝 マグカップ一杯のコーヒー 白湯 ミルク 読書 シリアル ヨガ 感謝 散歩 水やり 掃除 わたしの朝のルーティンは うーんと唸り伸びをすること

        喫茶店の小さな思い出

          雨 ある日言葉の雨が降った それは三日三晩にわたって続いた 雨は洪水になり街を飲み込んだ 水道は止まった 天然水は売り切れた 人々は 喉が渇いた と言って ほかの街へ移っていった 私はただ黙々と 雨水を濾過していた ひとつひとつ 宝探しをするように 果てしない孤独の中で

          雨 ある日言葉の雨が降った それは三日三晩にわたって続いた 雨は洪水になり街を飲み込んだ 水道は止まった 天然水は売り切れた 人々は 喉が渇いた と言って ほかの街へ移っていった 私はただ黙々と 雨水を濾過していた ひとつひとつ 宝探しをするように 果てしない孤独の中で

          本屋あるいは迷路でのこと

          本屋に入って、ちゃんと出口から出られたことが、今まで何度あっただろうか。 本屋は好きだ。人よりも本の数の方がずっと多くて、みなが自分に買って行かれる可能性を有している。ひとつひとつ見てやりたいが大型書店だとそうもいかず、直感的に表紙やタイトルを見ていき、気になったものを手に取り、また棚に戻す。その繰り返しの中で一等強く心惹かれた本のみを片手に、あるいは買い物カゴの中にキープする。ほんの僅かな心の揺れを逃さぬよう、慎重に、慎重に。本屋での買い物は、自分自身との

          本屋あるいは迷路でのこと

          日記

          昨夜は、久しぶりに日記帳を開いて思いのままに言葉を綴った。私にとって言葉を紙に書くことはリラックス方法のひとつで、だからもしかすると字が綺麗になったのかもしれない。 私がしたいのは、言葉を声に出して発音することでも、手を動かして書くことでもなく、紙に書いた自分の素直な言葉を見ることだ、と思う。これは絵を描くのが好きな人にも当てはまる場合があるんじゃないかな。心に浮かんだイメージや思いを手を使って描くことではなく、目に見える形となった自分の中身を見たくて絵を描

          カラメルで海をよごす

          なんとなく四限に出たくなくて、ふらっと入った本屋では何も買えなかった。外に出ると太陽は隠れて、心地よい薄曇りに包まれていた。疲れている。このまま帰るより、少し休んでから帰りたい、べつに帰ってもいいけど、これもまたなんとなく自分の再生のために。喫茶店に入った。コーヒーミルクプリンとアイスコーヒー。何もせず、ただぼんやりと食べ、飲み、それから帰る。こんな月曜日が私にあってもいいと思う。プリンは白くて、そこにカラメルをかけて食べるので、見た目は冷や奴のようになった。ひややっこ

          カラメルで海をよごす

          1/11 ノスタルジー

          喫茶店のふたりがけの席に、向かいあって座っている。紅茶が運ばれる。コーヒーでもクリームソーダでもなく、つやつやした紅茶がテーブルにそっと置かれる。向こうにはケーキだけが置かれる。あるいはチョコレートパフェ。あるいはレモンスカッシュ。喫茶店はひとりで行くものだと思っていたし、実際365日中350日の私は今もそう思っているけど、残りの15日の私がだれかと喫茶店へ行きたがる。リビングで冷めた白湯を飲む私が、届かない(届く気もない)人のぬくもりを求めている。本当なら交差しなか

          1/11 ノスタルジー

          第6話「もう冬になるのに」

          ひとりが好きだ。 最近は、家族ですら一日中一緒にいられない。 人が誰かと一緒にいたがるのは、ほんとうには皆孤独だからだ。家族や友達や恋人がいても抹消できない深い深い孤独がすべての人間にあって、それを誤魔化したり忘れたりするために、暖を取るように集まるのだろう。でも私は、その孤独がうれしい。寒々と孤独でいられることが喜びで、誤魔化さずに噛みしめたい。 もちろん、孤独であっても完全にひとりでいられないことはわかっている。そもそも、無償の愛を注

          第6話「もう冬になるのに」

          第5話「小さな秋、小さな一歩」

          お久しぶりです。ここのところ気が向かなくて更新できませんでしたが、今日は家から出る予定もなく静かな気分なので、何か文章を書いてみようという気持ちになっています。今回は近況報告という感じになります。深まる秋の休息に、温かい飲み物でも飲みながらお読みいただければ幸いです。 最近、特に9~10月はとても忙しい日々でした。真面目な大学生でいようと思い、それでも授業中は寝ることもありましたが、全休の日含め毎日大学へ行っていました。さらに週3でバイト、月2でサークル。普

          第5話「小さな秋、小さな一歩」

          敬愛する猫たちへ

          近所の猫が亡くなった。車に轢かれたらしい。普通猫はそんなミスを犯さない。車に轢かれるということは目や耳や反射神経がかなり悪くなっていたということで、つまり寿命が近かったのだ。つい最近兄弟の猫と喧嘩しているのを見たばかりだったから、そんな風には感じなかったけど。 亡くなったのは「きらら」という名前のオス猫で、兄弟の猫は「げんき」と呼ばれていた。紳士的でエレガントなきららとは対照的にげんきは気性が荒い。二匹は近隣住民にとても愛されていたが、彼らの家とは道路を一本挟

          敬愛する猫たちへ

          シューマンの指を語らせて(ネタバレ有)

          「シューマンの指」はつい先日、神保町で友人とデートした際に買った本だ。著者は奥泉光先生。買う前に一応口コミを調べ、とりあえずとんでもない低評価は付けられていないことを確認、次に値段とスピンの艶やかな黒を確認し、私は購入を決意した。口コミなど気にせずただ直感で買えばいいのだろう。例え評価が芳しくなくとも、ただの人を選ぶ本だという可能性もある。常々そう思ってはいるのだが、やはりどうしてもあらすじと評価を確認したくなるところに私の貧乏ったらしさが表れていると思う。

          シューマンの指を語らせて(ネタバレ有)

          第四話「有恋無恋」

          お久しぶりです。ご無沙汰していたのはnoteだけではありません。時折短歌は詠むものの、このところは詩や文章を綴るということができておりませんでした。少し、ゴチャッとしているんです。こういうときの少しが全然少しではないことは皆様ご存知でしょうけれど、ひっ絡まっているのは学業その他きちんとした活動ではなくて、至ってパーソナルな、しかし重大な部分です。私もそれはそれは青二才ということですね。どう生きようか、精神面、食い扶持、素敵な人間に巡り会いたい、学生らしくて可愛らしい切

          第四話「有恋無恋」

          もしコラは一回お休み

          すこぶる体調が悪い。体調が悪い上に今日はバイトに出なければならない。こんな日は、好きなひとに愛されたくなる。 最早私の好きなひとがこれを読む可能性は0に限りなく近いので書くが、私の知る範囲で彼はとても控えめな人間だった。コミュ障で、リセットくんだ。リセットくんというのは、一度仲良くなったにも関わらず数ヶ月後に会ったらまたぎこちなくなってしまうという意味で。そしておそらく、素晴らしく綺麗な世界に住んでいる。幻想かもしれないが、私には彼が、日光を反射した海のよう

          もしコラは一回お休み

          第三話「詩」

          小学生の頃、図書室で(辞書を除き)一番分厚い本を手に取りました。本棚の上のほうにあって、開くと小さな文字がいっぱい。ふりがなもない。その本の名前は「谷川俊太郎詩集 続」でした。私は夢中で頁をめくり、特別好きな「今」と「雪山讃歌」の頁にスピンを挟みました。きっと私以外に読む人がいなかったのでしょう、それはいつ行っても同じ場所にあり、スピンが移動したこともありません。あの時すでに、私は詩人でした。 詩人という言葉のもつ意味が単に「詩を書く人」だけでないことはご存

          第三話「詩」