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サンタクロースを信じますか?

    あの頃の私は素直な子供で、かなり長い間サンタクロースが実在すると思っていた。私の住む日本があるのと同じ地球の、実在するどこかの地点にはいつもサンタクロースがいるのだと。そう思わなくなったのは、小学五年生の冬、何かの間違いかもしくは出来心で、親のLINE画面を見てしまった時だった。その日私はサンタクロースを信じるのをやめた。
    そして20歳の今、再びサンタクロースを信じている。信じるとはどういうことかという問いに、自分なりの答えが出たからである。サンタクロースの由来はキリスト教の聖人ニコラウスだそうだ。彼はとても慈悲深い人物で、一説によると貧しい家庭の窓から投げ入れた金貨を暖炉にかかっていた靴下に見事シュートしたことが「靴下にプレゼント」の起源だともいわれる。しかし現代のサンタクロースは、「子供達にプレゼントを配る人」である。ニコラウスとサンタクロースの間には、もしかしたらタイガーマスクのような心優しいおじさんがいて、子供達にプレゼントを贈ったのかもしれない。
    話が逸れてしまった。さて、信じるとはどういうことか。私は「想像すること」だと思う。この世界人口の約3割はキリスト教の信者だが、全員がキリストの奇蹟を信じている訳ではないだろう。勿論信じている人もいるが、キリストの伝説を過去に実際あった事実として捉えることだけがキリストを「信じる」ことではない。彼らは人生の選択に迷ったとき、「キリストの教えでは…」と考える。行動の指針を聖書の教えにし、より善い人生を目指す。「キリストならどのようにすべきと考えるだろう」という想像。「信じる」とはそういうことである。
    まあ、サンタクロースは季節限定の人で、子供にプレゼントを配るということ以外には特に善いことをするという話もないから、「サンタクロースならどうするだろう」なんて考えることはないけれど。しかし、街がきらきらとしてどこか夢のような空気を帯びるこの季節、見上げた空をサンタクロースの乗ったそりが星屑の尾を引きながら横切っていく想像をしたなら。世界中の子供に夢を与える一人の老人の姿を想像し、その人がもしかしたらすぐ側にいるのかもしれない、と想ったなら。それが、「サンタクロースを信じる」ことだと思うのだ。
    幼い頃の自分の枕元にプレゼントを置いてくれていたのは自分の親だったと知っても、それでも尚サンタクロースを想う心があるのなら、今再び、私はサンタクロースを信じられる。

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