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敬愛する猫たちへ

    近所の猫が亡くなった。車に轢かれたらしい。普通猫はそんなミスを犯さない。車に轢かれるということは目や耳や反射神経がかなり悪くなっていたということで、つまり寿命が近かったのだ。つい最近兄弟の猫と喧嘩しているのを見たばかりだったから、そんな風には感じなかったけど。
    亡くなったのは「きらら」という名前のオス猫で、兄弟の猫は「げんき」と呼ばれていた。紳士的でエレガントなきららとは対照的にげんきは気性が荒い。二匹は近隣住民にとても愛されていたが、彼らの家とは道路を一本挟んだ向かい側に居を構える私達には懐かなかった。庭にはよく訪れていたが、それとこれとは別ということだったのだろう。
    しかし最近になって変化があった。きららが亡くなる前、母がげんきに声をかけたところ返事をしたというのだ。あんなにも頑なに懐いてくれなかったのに不思議ね、可愛いね、と私達は感慨深く思っていた。今になって思えばあれは、お別れのあいさつだったのかもしれない。きららの死後、げんきも姿を消してしまったと聞いた。彼らの飼い主であるおじさんは今、貼り紙などを使ってげんきを探している。おじさんには申し訳ないが、げんきは帰ってこないだろう。二匹とも、おそらく失踪などしたことがなかった。そもそも私達の住む地域は猫が多く、彼らの縄張り外はほとんどが他の猫の縄張りである。げんきはきららの死を知り、自らの死期を悟ったために姿を消したのだと思う。私達にさえあいさつをしてくれたげんきがおじさんに何も伝えずいなくなるはずはないから、おじさんもきっとそのことはわかっているはずだ。
    猫は死期を悟ってどこへ行くのだろう。何をもって死に場所を選ぶのだろう。それぞれのお気に入りの場所があって、そこでひとり生を終えるのだろうか。轢かれたきららの第一発見者はきっとげんきだった。そのとき彼は何を思ったのだろうか。人間にはわからないことばかりだ。死のかたちにすら欲張りになってしまう人間には。
    ここまで書いたけれど、げんきが名前の通り元気に帰ってきたそのときは、私はただの考えすぎで不謹慎なわからず屋としてもちろん彼の帰りを喜ぶだろう。少しひとりになりたいだけという可能性も大いにあるし、第二の猫生のために新しい住処を探しに行ったのかもしれない。いずれにせよ、きららとげんきのこれからがよいものになってほしいと思う。


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